3.ニーちゃんは首長竜
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空が青い。
真夏の空はぬけるような青だ。
昨日の夜の恐ろしい名残も、今はない。
隣で首長竜が俺に甘えてくる。
あそぼぉ、あそぼぉ。
甘えて顔を擦り付ける。
そんな不気味な外側なんて脱げばいいと言ったけれど、中にいる子供は視界が高いのが楽しいからと、いっこうに脱ぐ気はないらしかった。
あんまりうるさいから、首長竜を伏せさせて背中に乗ってやる。
「うれしー、うれしー」
首長竜は立ち上がり、とことこと歩く。
彼女または彼は、遊園地を一週するのが特にお気に召しているらしい。
メリーゴーランドの側を通る。
ミラーハウスの側を通ってまだ、どしんどしんと首長竜は駆けた。
どしんどしん、勢いは徐々に失速し、ついにドリームキャッスル前で停止する。
「ウサミ…」
「どうした、首長竜?」
ウサミ、と言ったあと、首長竜の人面はこちらを向いて顔を歪ませた。
ヤダヤダヤダ、と小さく呻いたが、観念したように呟く。
「ここ、ここウサミ、待ってる…」
「なんだ…お前、バスだったのか?」
「…ニーちゃんはバスじゃない…」
首長竜は顔をぐしゃぐしゃにした。
どうやらこいつの名前はニーちゃんというらしい。
首長竜のニーちゃんは、その場でメソメソと泣いてしまった。
「ニーちゃん、泣かないで。お前の顔は怖いんだから」
「ニーちゃん怖くない…!」
頭を撫でてやって、その背中から降りる。
「ニーちゃん、いい?俺が帰るまで、いい子でここにいるんだよ」
その長い継ぎはぎの首をさすると、首長竜は俺の顔に頬をすり付けた。
見た目はグロいが、行動はかわいい。
ニーちゃんはお利口に頷いた。
大っ嫌いなドリームキャッスル。
朝の日の中で、パステルカラーのドリームキャッスルは色を失って見えた。
入り口の看板に目をやる。
今度は二つ並んでいる。
片方は黒で、"入るのには許可がいる"
片方はピンクで、"welcome to rabbithole ‼ "
地下にこい。
俺がここを嫌っていることを知っていてやっている。質の悪い、悪質な、揚地で執拗で陰湿な彼の考えそうなことだった。
それでも無視した方がよほど質が悪い仕返しをされるだろう。
それを考えれば、入らないという選択肢はハナから無い。
勇気をもって一歩踏み出した。
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裏野ドリームランドの噂。
この遊園地で子供がいなくなる事件があった。
それは事実だが、正確ではない。
いなくなるのではなく、正しくは、見えなくされる。
ドリームキャッスルの地下室の噂が、その証明だ。
地下にはウサミの部屋がある。チーちゃんや彼がどうされたかは知らないが、少なくとも俺はそこで変な機械に入れられて、見えない煙にされた。
ドリームキャッスルの地下に続く階段を降りていると、その時のことを鮮明に思い出す。
いつのことか忘れてしまったほど昔、両親と兄ちゃんとはぐれた俺は、どうしようもなくなって、近くにいたマスコットキャラに泣きついた。
「みんながいないよぉ…」
泣きながら言う俺を、大きなウサギは頭を撫でて手を引いてくれた。
そのまま何故か、ドリームキャッスルの中に。
俺の手を引いて、ウサギはどんどん歩いていく。
歓声をあげて群がってくる客を無愛想に押し退け、どんどんと奥に突き進む。
暗い城内、人も段々と減っていきはじめ、とうとう下に降りる階段の前で、俺はウサギに抵抗した。
「どこいくの?」
ウサギは手を離してくれない。
そのまま片手で自分のウサギ頭を掴み、投げ捨ててしまった。
現れたのは白髪の長い髪に赤い目、狙ったようにウサギのような男。
男の表情はニヤついていて、いやらしい顔をしている。
「僕の部屋に。君はこれからずっと、僕とこの巣穴で暮らすんだ!」
つくづくイカれた男だ。
だけど、俺が子供である限りどんなに抵抗しても敵わない。
嫌がって、必死の抵抗に腹を立てたウサミは、俺の口を塞ぎ、二本の腕を握りつぶして抵抗を封じた。
大人相手なら萎縮するウサミは、子供相手にとても強気になれた。
そのまま十何年と一緒にいたことか。
俺のいた間に他に拐われた子供はいなかったはずだが、だとするとチーちゃんがいるのはどういうことなのだろう。
地下室の扉の前まで来た。
ピンクの文字は、馬鹿丁寧にもこんなところにまで書いてあった。
"いらっしゃい"
ノックをする義理もないのですぐに入った。ミラーハウスの時のように中にいなければどうしたものかと思ったが、彼は部屋の中央にいた。
ウサミは、彼にしては珍しく神妙にしている。大体が常に不気味にニヤついた男なので、ギャップがまた恐ろしい。
扉から離れないようにしていると、ウサミは手を招いた。
「ユウキくん…。ユウキくん、僕は親友の君に喜んでほしかったんだ」
手を招いても俺が扉から離れないので業を煮やしたか、彼が立ち上がる。
それがとても余裕がなくて、迫るものを感じた。
直ぐ様後ずさりの距離を詰められて、逃げ出す前に捕まってしまう。
「な、何の用だって聞いてるんだけど」
「ねぇ、なんでそうやって逃げるの?僕らは親友のはずだろう…?」
噛み合わない会話に、声が震えそうだ。
ウサミは俺の腕を掴み、部屋の中に引っ張った。
扉は背後で閉まったが、今回は鍵はかからなかった。
ウサミはあの時のように、腕を握りこんで離してくれない。
部屋の中央、ソファーのある場所まで引き摺られる間、ウサミと二人でドリームキャッスルを探検した日のことを思い出していた。
「今はまだあの首長竜しかいないけど、これからまだまだ沢山作ってあげるから。そうしたら、もう出ていかないよね?」
─俺が助けに飛び込んだ部屋は、ついこの真上の部屋じゃなかったか?
それならば、あの日聞いたおぞましい叫び声の意味するところは、つまり。
ここでニーちゃんを作っていたのか?
俺が出ていこうとしたから?いや、出ていける絶好のチャンスは偶然にすぎなかった。彼の魂が抜けた原因は知らないが、それはたまたまだったはずだ。
俺がウサミを嫌がる素振りを見せたからか?じゃあ、結局俺の機嫌をとるためだけに?
隔てた階層を越えて絶叫が聞こえるまでの苦痛を与えた末に魂をとって、つぎはぎの首長竜に入れたのか。
「頭おかしいんじゃないか…」
思わず口をついて出た言葉だが、小声だったためか、ウサミは反応しなかった。
「出ていかないよね…」
ウサミは涙を一杯に目に溜めていた。
歩く足は、気付けばピタリと止まっている。ソファーはもう目の前だ。
俺が言うべき言葉は一つだった。
「出ていかない。ウサミのそばにいるよ。だから、もうなにも作らないでいい」
「本当?ずっと一緒にいてくれる?」
「ずっと一緒にいるよ」
ウサミの手をとって、握り締めて、目を見つめてそう言ってやると、ウサミは顔を輝かした。
「やったあ!!」
俺は、この男を喜ばせる方法を知っていた。ウサミと一緒に居た今までも、そうして機嫌をとって生きてきた。
損ねると痛い目を見るのは俺だ。
しかし、喜ばせることができたなら、言うことを聞かせることだってできた。
これでよかった。きっとこれ以上の被害者は出ない。
ただ、ニーちゃんには申し訳がない。
あの子はきっと、俺が助けられなかったウサミの被害者だったからだ。
「こんなに優しいこと言ってくれるなんて…!あの首長竜のおかげかな?やっぱり君も、お兄ちゃんが居た方が嬉しいんだね!」
「…うん?」
今、ウサミは意味のわからないことを言った。
ニーちゃんが、俺のお兄ちゃん?
ウサミはニコニコしながら気付いてなかった?と首を捻った。
「あの首長竜にはね、君のお兄ちゃんの魂を入れてあげたんだよ!」
時が止まった。
「……俺の、お兄ちゃんの、魂?」
どうにか聞き返せば、ウサミはベラベラと話し始めた。
「そう!どこで嗅ぎ付けたのか、ここに来て君を返せ返せってうるさいから、ここで魂をとってさ…。あの人は大人だったけど、君のために頑張ったんだ」
褒めてほしそうに、横っ面に頬を擦り付けてくる。
「待って…それじゃあ、俺が入ってた体っていうのは、あれは」
「……嬉しかった?嬉しかったでしょう?お兄ちゃんと一緒に、一年もお外で遊べたもんねぇ」
嫌な汗が、じんわりと身体中からにじみ出てくる。
現実を受け止められない…。
騒ぐ、混乱の頭の中に、ふとあることが浮かんだ。
「…じゃあ、あの子供の中にいたやつは誰なんだよ…!」
「あれはこの近くで事故死した子供の魂。丁度よかったから体も使ったんだ」
俺の兄ちゃんはドリームキャッスルで苦痛を与えられて、体を奪われて、あんな不気味なものに入れられてしまったのか。
俺を取り返しに来たために。
それを俺は、怖いからってだけで見捨てたんだ。
「なんで…!ニーちゃんを、俺の兄ちゃんを、お前!よくも、俺の兄ちゃんに酷いことしたな!!」
ウサミに掴みかかる。
こんなに悔しいのに、怒っているのに、涙はじわりとも出ない。
俺は死んでいるからだ。魂だけの化け物だからだ。
こんな酷いことをしたウサミは、眉を下げている。まるで自分が被害者みたいに。
「だって、君を返せって言うのが悪いんじゃないか…。泣いてる君を迎えに行かなかったのはあっちの方でしょ?僕は悪くないのに、どうして怒るの…?」
「兄ちゃんの体を返せっ!」
「む、無理だよ…だって、あの子がどこにいるか知らないんだ…」
ウサミは怯えて涙を目に浮かべた。
「役立たずっ!」
すっかり力の抜けた手のひらを払ってそう罵ると、ウサミは呆けて尻餅をついた。
「ユウキくん…ごめんなさい…怒らないで…怒らないで…」
飄々とした、いつものウサミとはまるで違った。
今日はどうにも様子がおかしい。
だからといって気にかけるほどの情も一片たりと涌くわけがないが。
とって返して背後の扉を開けた。
早く、兄ちゃんの元へ行きたい一心だった。
悔しさ、怒り、悲しみ、ない交ぜの感情が胸を焼いたけど、結局それらが冷えてしまえば、後に残るのはどうしようもない幸福感だ。
ただ、家族が俺を探してくれていたことが嬉しかった。
「兄ちゃん!」
ドリームキャッスルから出て直ぐのところ、俺が待っててと言った位置から微塵も動かずに、彼はいた。
俺の声に首をもたげる。
「おかえり」
「ただいま…兄ちゃん。ただいま!」
長い首にすがりついて抱き締めると、兄ちゃんは恐ろしい顔をにこりと歪めた。
「あそぼぉ?」
「ああ、兄ちゃん!なにして遊ぼう?」
「ジェットコースター、乗りたい」
「兄ちゃん大きいから、どうかなぁ…」
楽しく会話をしていると、ドリームキャッスルの入り口から、扉の開く音がした。
「ユウキくんっ!」
ウサミだ。
どうやら立ち直ったらしい。一生落ち込んで引きこもっていればいいのに。
涙と鼻水を流していて、太陽の下で見るととても滑稽だった。
「僕もまぜて…」
ぐちゃぐちゃになった顔で、いつものように笑うウサミ。
不気味だが、彼には負ってもらわないといけない役目がある。
ひとつ、一計を案じた。
「…交ぜてあげる代わりに、1つ条件がある」
ウサミは嬉しそうに頷いた。
「兄ちゃんの体を作り直してくれ。兄ちゃんにそっくりな大人の体を用意するんだ。…どうする?できるか?」
ウサミは胸を張って答えた。
「できるよ。ここに忍び込んでくる人達を使えばいいだけだ」
俺は頷いて、「それじゃあ三人で遊ぼう」ウサミの手を引いた。
ウサミは観覧車に乗せた。
兄ちゃんは入られないので、俺も乗らない。つまり、ウサミは1人で乗る。
すごく嫌がったが、一緒に遊ばないぞと言えば、大人しく乗り込んでくれた。
最後まで未練がましく「出して」と言っていたけど、俺達は揃って無視した。
ミラーハウスに向かう道中、兄ちゃんの背に乗りながら、俺はずっと考えていた。
ここに人を入ってこさせるためには、一体どんなことをすればいいのか。




