第95話
「肉眼なら、彩世さんの姿が米粒程にしか見えないけど、望遠鏡なら、写生している彩世さんの姿がはっきり見えますね」
「今日まで誰かに、自分が写生している姿を見られているなんて考えもしなかったわ、だから平気でいられたけど、急に恥ずかしくなってきたわ」
「恥ずかしがることはないですよ。出来ることなら、いや、絵を上手に描けるなら、高梁川で写生する彩世さんの姿を描きたい。絵の題名は、彩世の河原、どう?ぴったりでしょう」
彩世は一層、顔を赤らめ、
「いやよ、なお恥ずかしくなってきたわ」
「そのくらい素敵だと思ったんです」
「もう、からかわないで」
彩世は怒った振りをする。
「すみません」
だが、祐二はいくら誉めても誉めたりないと思っていた。
「高梁川は彩世さん、彩世さんは高梁川」
「それはどういう意味?」
「どちらも美しいからです」
彩世が恥ずかしそうに俯いた
「高梁川でふと思いだしたけど、河原には、カワラナデシコの花が少ないから、ユリさんは淋しい思いをしているでしょうね」
「そう思うわ。でも、私が子供の頃は沢山咲いていたのよ」
「なぜ、少なくなったんだろう」
彩世が急に思い出したように云った。
「そうだ、私がナデシコの花を探しているのを見て、アユ釣りのおじさんが云うのよ、ナデシコの故郷が破壊されているからだと」
「ナデシコの故郷?」
「実は、私も分からなかったので尋ねると、おじさんが答えてくれたわ。カワラナデシコの故郷は山だそうよ」
「本当に?」
「そうよ、そのおじさんの住まいは岡山市ですけど、生まれ故郷は徳島県の吉野川上流の山地だったそうよ。おじさんが子供の頃には、山地の崖や明るい場所に、ナデシコの花が、一杯咲いていたのに、毎年、その数が減少していった。その減少に比例して、吉野川の河原のカワラナデシコの数も減っていったそうよ。おじさんは、この現象から、平地や河原で生息するナデシコは、山で実った種子を洪水などが、平野や河原へ運んだと推測して、カワラナデシコの故郷は、山だと考えているそうよ」
「成る程ね、故郷が山であると云う真偽はともかく、ナデシコの減少は、自然が破壊されていることに相違ないだろうね」
「恐い、もし、それが真実なら、数年後、河原にナデシコの花は咲かなくなるのね」