第73話
「でも、この就職難の時代に大学中退では、いい職に就けないって聞いたけど」
「それは大丈夫よ」
恵子が自信ありげに云った。
「じゃあ、決まっているのね。良かったわ」
「いえ、まだ、決まってないけど、申し込めば採用は確実なのよ。その会社は神戸に本社があって東京や大阪に支店を置いているIT関連の会社なんだけど、そこの社長夫人は、真竹洋子さんと云って、私の母の友人なの。だから、私は高校を卒業するまで、真竹家にはよく遊びに行ったわ、社長さんには三人の息子さんがいて良く遊んでもらったのよ。お子さんもみんないい人で、家族ぐるみの付き合いで気心は知れてるし、前々から高校をでたら社長秘書にならないかと行ってくださって、今も母にそう云ってくれてるのよ」
「有り難い話ね」
「彼がちゃんと弁護士になってくれたら、彼を会社の顧問弁護士に雇って頂けたらとか、ずうずうしいけど社員に採用してもらえれば良いのにと考えてはいたんだけど、あの有様なら、雇って下さい、なんてとても云えないわ」
「それもそうね、人生は思い通りにはならないわね」
彩世は我が身を思いだしながら云っていた。
しかし彩世は、自分から運命を遠ざけてしまったことに、この時は気がついてはいなかった。
「彩世を助けた男性は、まだ、見付けだせないの?」
突然云われたので、彩世が目を丸くしていると。
「でも、羨ましい。いつまでも追い掛けて、逢った時の美しい夢を見ていられるんだからそれに比べて、私の愛は黒く汚れ切った鉄くずのように剥げ落ちてしまったわ。もう、私には、美しい夢を見ることが出来なくなってしまった」
と、恵子は悲しそうに云った。
「諦めたら駄目よ、その諦めの心が愛と夢を失うんだから」
「そうでした。私には大切すぎて近寄れなかった人がいたわ」
「そんな人が他に居たの?」
「居たわ、その人は私の初恋の人よ。でも、その人が東京の大学へ行ってから数年たって、私も京都の大学へ入ったので、その人のことを忘れ、今の彼と付き合ってしまったのよ。まだ、遅くないわ。実家へ帰ったら、その人と会えるかもしれない。そうよ、会えるわ」
云うと恵子の顔に明るさが戻った。
彩世は、恵子も、苦しい経験をしていたんだと、驚きながら聞いた。
「その人は?」
恵子の初恋の男に興味を持つ程、心に余裕がない彩世だが一応たずねた。
「真竹家の次男よ」
と云って、恵子は自分の胸を抱くような仕草をした。
「その人の名前は、真竹さんで名前は?」
と彩世が尋ねだ。