第60話
しかし、失恋の痛手は祐二から気力を失わせたのか、ストーカーと疑われたときのように、肩を落として歩いていた。
彩世は、祐二がカワラナデシコの花を写生してくださいと、云った言葉が冷たく聞こえ、目に涙を浮かべ去って行く祐二を見送っていた、だが、その姿が見えなくなるのと同時に、
(私は祐二さんを死ぬほど愛していた。でも、祐二さんは私を愛していなかったのだ)
自分勝手に佑二の心を読んだ彩世は、思わず河原に泣き伏した。
だが、彩世は自分の感情に溺れるあまり、祐二の歩く姿に気付かなかった。もし、彩世が素直に祐二の歩く姿をみたら、あのストーカー男が誰だったか分かっただろう。
祐二に逢い、一層の哀しみを抱いた彩世は、書き終わった絵を百合に上げると家に帰った。
彩世が家に入ると母親が「今日は何時もより早かったわね、どう、連絡ついた?」
「いえ」
寂しげに彩世が答えると母親が慰めるように云った。
「優しい彩世を騙す男など居ないわ。きっと何時か現れるわよ。元気をだしなさい」
「そうならいいんだけど」
彩世は、叱られるのを覚悟して祐二に逢ったことを話した。無論、電話番号は伏せた。
「なぜ、お連れしなかったの?」
予想通り、母親は顔を真っ赤にして怒った。
「どうしても嫌だというから」
「じゃあ仕方ないわね。でも、今度、逢った時には、必ずお連れしてね。もし、慎吾さんが来なかったら祐二さんと、いえ、つまらない事を云い出してごめんなさいね」
母親は、約束を破る慎吾より、祐二と彩世を結婚させたいと思ったのだ。
「今度逢ったら、絶対に電話番号を聞くのよ」
「いいわ、京都の大学に戻った時に話してみる」
(大学へ戻る?今朝まで私は大学とフィギアスケートを辞め、河原で写生しながら慎吾さんを待つと決めていたのに)
彩世は自らの心境の変化に驚いた。
翌日、彩世が河原へ現れた。
彩世は写生道具を持ち、カワラナデシコの花を求めて、河原をあちこちと歩いたが、見つけだせなかったので、ユリが病室に活けてくれたナデシコの花を思い出し描こうとした。しかし、ユリと祐二と慎吾の顔が交互に現れ、何時の間にか泣いていた。
(祐二さんのことを忘れた私が悪い)
彩世は自分を責めた。しかし、いくら初恋の人でも、片思いのうえ、二年以上の年月が経っているのだ、忘れて当然だ。それなのに責めるのは祐二への愛が蘇った証だ。