第55話
祐二は、川に向かって、百合の冥福を祈った後、話を続ける。真面目な彩世は佑二に云われた、目を閉じて聞いて下さい、の言葉を忠実に守っていたので、まだ佑二とは気付かない。
「少女が手を伸ばした時、意地悪にも通り雨が川に降り、魚の姿を消してしまった。魚を取る手段を奪われた悲しみで、少女はその場に崩れ落ちました。それから、どの位いの時間が経ったでしょうか。少女が起き上がり、何気なく西方をみると、美しい虹が出ていました」
少女は虹に向かって跪き「父さんを母さんや弟の所へ帰してください」と祈ったのです」
彩世は百合の悲しみを思い、祐二の話を涙を浮かべて聞いたが、思わず尋ねた。
「お父さんは帰って来たの?」
それに答えず祐二は、話を続けた。
「それからじばらく経った時、虹の架かった西方の川上で、ゴーと激しい音がしました。そして、その音が
川を下ってくるのです。恐くなった少女は川から土手まで逃げた時、赤茶けた濁流が少女の足下まで打ち寄せて来ました」
「怖い」と彩世がか顔を覆う。
「しかし、濁流の水位はそれ以上は上がりませんでした。少女は荒れ狂う濁流を恨めしげに眺め、今日は母や妹に食べさせる魚が取れないと泣きました」
「可哀相」
と彩世が涙を逃がす。
「その時、濁流の勢いで流された大きな鯉が岸へ打ち上げられました。少女は大喜びして捕まえると、持っていた籠に入れました」
「よかったわね」
彩世が思わず喜びの声をあげてから、
「それからどうなったの?」
催促した。
「少女はもっと鯉が取れるのはと思い濁流を眺めていました。すると、真っ黒い大きな流木が流れてきました、その流木の上には人が乗っていた、その人は濁流の中へ振り落とされないようにと太い木にしがみついていました。流木に乗った人間は、少女の父親だったのです」
「少女は泣きながら叫びました「父さんを返して!」その声が聞こえたのか、父親を乗せた流木がゴムのように曲がり、反動を利用して父親を少女の前に投げ飛ばしました。少女は嬉しくて父親に抱きついた、すると父親は愛する娘を力一杯抱きしめました、少女はこの幸せが真実なのか確かめようと、父親の肩越しに濁流を見ると、その目に映ったのは、流木が反転し、真っ白な腹だったのです。流木の正体は、人間の腕で抱かえられないほど大きな大蛇だったのです、父と娘は溢れる涙を止められないままに、濁流の中を浮き沈みしながら川下へ流れて行く大蛇に「ありがとうございます」と手を合わせました」
佑二が話しを止めると、すかさず、彩世が、それからどうなったの、と聞く。
「母親は夫が帰ったことと、少女が取った鯉を食べ病気が治りました。それから父親の漁は、大きな鯉や美しいヤマメがたくさん獲れるようになり、一家に幸せが訪れました、これで話しは終わり」
佑二のお伽噺が終わった。
「大蛇さんはどうなったの?」
とお伽話の中に居る彩世が、祖母の話しを聞き終わった幼女のように尋ねた。
「大蛇はね、中国山地を護る神様だったので、高梁川から瀬戸内海へ出ると、龍に変身し、雲を湧かせると、その雲に飛び乗り、風を起こすと、また、中国山地へと戻ったそうだよ」
「じゃあ、神様は少女を可哀想と思って、お父様を返してくれたのね」
「可哀想、だけでは神様といえども何も出来なかったでしょうね。それよりか、両親や妹たちを思う優しい心と、その行動力に報いたのかもね」
「お父様は、半年間も何をしていたのでしょうか」
「父親は、家族に少しでも多くの食物を食べさせてやりたいと思い、誰も行ったことがない山深い谷に入り、道に迷っていたのです。神様はそのことを知っていたので、雨を降らせ、谷に洪水を起こし、神様が変身した流木に父親を乗せ少女の前まで運んできたのです」
「優しい神様ね」
「良いことをしていると、必ず、神様に届くと僕は信じています」
「じゃあ、神様は、なぜ、ユリを死なせたんでしょうか?」
彩世が悲しげに言った。
「そうだね、百合さんは、自分の命を犠牲に子供を助けたんだ。だから、神様は、百合さんの意志を尊重したのかもしれないね」
「ユリの意志?」