第52話 哀しみの再会
(今は誰に話せないけれど、お伽の国は確かにあった)
彩世に逢えずに帰ったあの日のことを思い出すと、祐二の胸が切なく震える。
(雨が止んだら、必ず、あなたに、逢いに行きます)
心の中で、祐二は彩世に云った。
だが、彩世が河原で写生する日は、八月二日だけだ、よほどの事情が無いかぎり、祐二は彩世には逢えないのだ。
そんな事情があるとは知らない祐二は、希望的観測から、夏休み期間中、彩世が河原へ来ると思った。
祐二は、二日後の日曜日には、絶対に雨が止むよう祈りながら、故郷へ帰っていった。
翌日、島根県の天候は、人々の日常生活に影響がないほどの曇り時々小雨だった。
祐二は兄の件で多忙だったが、天候予報だけは見ていた。しかし、明日の日曜日も雨の予報だった。
もし、翌日の八月最後の日曜日が雨だったら、二度と彩世に逢えないだろう思うと胸が締め付けられ、その夜はなかなか眠れなかったが、昨日までの多忙が佑二を眠らせた。
小鳥の鳴き声で目を覚ますと、部屋の窓から朝日が差し込んでいた。
「晴れた!」
祐二は喜びの声を上げて、飛び起きると、
「母さん、大切な用があるのを忘れていたから、すぐ、帰るよ」
その慌ただしさに、母親は、訳を聞くのを忘れ、帰り支度を手伝った。
祐二が、荷物を持ち、バス停へ走ると、すぐバスが来た。
バスに乗り松江駅前で降り、駅のプラットホームに駆け上がると、すぐ、やくも号が到着し乗車した。
(バスも電車も、僕が乗るのを待っていてくれた。もしかしたら、あの女性に逢えるのかも)
佑二は自分に元気をつけるために、全てを良い方に考えた。そして、電車の中では、逢った時のことをあれこれ考えている間に、やくも号は、高梁駅に到着していた。
電車を降りた祐二は、荷物をコインロッカーに入れると、高梁大橋に向かって走り、着くと、前回と同じように、高梁川に入り、川下に向かって歩いて行った。
やがて、祐二は彩世の姿が見る場所まできた、しかし、もし、彩世が居なかったらと思うと、直視できずに一度目を閉じ、心を落ち着けてから、恐々目をあけて見ると、見覚えがあるパラソルが立ち、その下に彩世の姿があった。
「有り難う!愛する高梁川!」
思わず礼を高梁川にお礼を云っていた。
だが、佑二には見えないが、彩世の顔は悲しみで沈んでいた。
彩世を悲しくさせた原因は、新見駅で慎吾を見送った翌日から、慎吾との連絡がつかないばかりか、両親に結婚を申し込む日が来ても、慎吾が現れなかったのだ。
彩世は慎吾の言葉を信じ、京都へ戻ることを一週間延ばした。
それでも慎吾が現れないので、一度は京都へ戻り、フィギュアスケートの練習を始めた。
しかし、悲しくて、どうしても練習に打ち込めず、実家に戻り、今日まで、写生をしながら慎吾が現れるのを待っているのだ。
彩世に、そんな不幸があったことなど知らない祐二は、逢える喜びに震えながら、自分の心に、冷静にと云って聞かせた。
(人の居ない所で、静かに近寄るのは、いくら行儀良くても、相手に恐怖感を与える)
と考えた祐二は、前回と同じように、自分の存在を知らされるべきだと考え、激しい水音をたてながら歩いていった。
激しい水音に、一瞬、慎吾が来たのか思ったが、慎吾はあんな乱暴な歩き方をしないから、きっと、魚を取っている人だと思い、写生に専念していた。
祐二は、彩世が恐がらずに写生していることに安心して少し離れた河原に上がった。しかし、此処からでは彩世の後ろ姿しか見えない。
(このまま、女性の後ろから近付くと怖がられる)
気付いた祐二は、彩世の正面方向に移動し、少し離れた場所から写生している彩世の顔を真正面から見た。
(何故なんだ。僕がお伽の国の女性の顔を想像した時に現れたのがこの顔だった。しかし、最初に見た時の顔は生き生きと輝いていた。でも、今はなんだか悲しそう)
不審に思いながらも、佑二はその美しさに恥ずかしさを覚え、電車の中で考えていたこと「電車から貴女を見て、どうしても逢いなったのできました」と正直に云えなくなってしまった。
そこで祐二は、この川の美しさに惹かれて来たと、思わせるために、彩世に背を向けて立つと、川を見ながら、さりげなく、
「この川は美しいですね」
と云うと彩世は、佑二の後ろ姿を見ながら頷いた。しかし、慎吾の姿が脳裏に強烈に染込んでいる彩世には佑二の後ろ姿だけで佑二だと認識出来なかった。