第35話
「じゃあ、私もお手伝いさせてください」
「本当ですか」
慎吾は聞きなおさずにはいられない。
「はい」
と彩世が答えると、慎吾が顔一杯に喜びを表し。
「お願いします」
と頭を下げた。
「じゃあ、私の荷物を片付けます」
早速、二人は、写生道具一式を持ち、ききょう緑地公園横に駐車している彩世の車へ運び込んだ。
「慎吾さんの車は?」と、彩世が尋ねた。
「僕は車に乗ってきていないのです」
「なぜ?」
「川の調査は、車で素通りしては何も分かりません。自分の足で川の中を歩き、身体で体感することが大切だと思っているのです。車を利用すると、出発点に車を置くので、また、後戻りをしなくてはならない。それは、あまりにも効果的でないと思ったからです。今日は、美袋駅から川を上がって来ました」
「じゃあ、ここより上流は、車で御供しますわ」
「車なら調査が容易になります。有難う」
「源流や市町村の資料の調査をしなくてもいいの?」
「昨年までに、全ての資料を集め、源流から瀬戸内海まで歩いて調査しました」
「じゃあ終わっているのでは?」
「いえ、終わっていません。理由は、昨年の調査は、上流から下流に歩いて見た視点でした。今回は視線を変え、下流から上流へ向かって調査しているんです」
「あら、じゃあ、昨年もここを通ったのでしょう」
「なぜ会えなかったんだろう、でも、会えてよかった」
と、慎吾が顔を赤らめて、
「彩世さん、今日の調査が終わったら、一緒に食事してくれませんか」
彩世は喜んで受けた。
慎吾は一分一秒でも早く今日の調査を終わらせようと思ったのか、急いで調査道具を持ち川に駆け込み調査を始めた。
彩世は慎吾の後に続こうとして、車に乗った。そのとき、ふと、タクシーに乗る男の姿がよぎったが、すぐ忘れた。如何に初恋の男でも、恋し合う実態がない片思いゆえに、新しい恋が芽生えたら、忘れてしまうのは当然のことである。
彩世は、幸せそうな顔をして、慎吾の歩調に合わせるように車を走らせた。