第3話
その影響を受けたのかどうかは不明だが、祐二の兄の保は、家業の園芸農園を継ぎ、三十歳にして三人の子の親となり、また、妹の美保は二人の子の親となっていた。
しかし、祐二には、恋人の噂さえない。そこで、父親は策を弄し、祐二を見合場に引っ張りだしていたが、祐二は子供の時に立てた目標があり、目標以外の諸事に一切関わらず、結婚する気など全く無い。
母親が云う。
「ねえ、今、東の空には美しい虹が架かっているわ。この虹は、もしかすると、祐二の上に架かっている虹かもね?」
母親が居る島根県松江市春日町から、京都市二条までの距離は、東へ三百キロ以上もあり、見える訳がないと思いながらも、祐二は空を見上げた。
「家路雲」
祐二が懐かしそうに呟くと、
「何か云った?」
母親が聞き直したが祐二は答えず、バラに染まった美しい夕焼け雲を見ていた。
日本人の大人の中で、夕焼けの美しさに目を奪われ、沈む夕日を見ながら物思いに更けられるほど、心に余裕を持っている人が、今、何人いるだろう、
また、遊び好きな子供たちも塾通いと室内でのゲーム機遊びでは、夕焼け雲を見ながら家路につくものは少ないだろう。
それに比べ、祐二は親から勉強を強いられなかったために、毎日のように外で友達と遊んでいた。
しかし、遊びに熱中するあまり、暗くなっても帰ってこないことが度々あったため、心配した両親は、夕焼け雲が現れたら絶対に帰ってこいと厳命した。
しかし、そこは子供のこと、夕焼け雲を見忘れて遊んでいると、いつも本とノートを持ち、何かを書いている近所のおじさんが、祐二の所へ近寄ってきて、
「おい、いえじへのくもがあらわれたよ」
と云って、西の空を指差した。差された方を祐二が見ると、ばら色に染まった美しい夕焼け雲が浮かんでいた。
祐二は、おじさんが、夕焼け雲を、いえじへのくもと云っているんだと気付いたが、文字が知りたくて尋ねた。
すると、おじさんがノートに「家路への雲」と書いて見せた。文字を見た祐二は、おじさんが、家に帰れ、帰りなさい等の命令的な言葉を使いたくないため、間接的な云い方をしたんだと思った。
初めて聞く「家路への雲」が、子供の祐二には、聞き慣れた夕焼け雲より、遥かに新鮮で、魅力的な言葉に聞こえた。
その時から、家路への雲は、祐二にとって、暖かい父母が居る家へ帰る合図、そして、友との淋しい別れの合図になった。
しかし、都会生活は祐二に、空を見る余裕すら与えなかったために、何時の間にか、家路への雲が家路雲に簡略化され、夕焼け雲を、夕焼け雲と意識した時だけ、その美しさに目を奪われるが、家路雲と意識すれば故郷が目に浮かぶのだ。