第142部
寂しそうに望遠鏡から目を離す。
「望遠鏡なしでは、彩世さんの姿が米粒程度しか見えないから悲しいです。でも、彩世さんが見るなと云うのなら」
祐二は彩世が目の前にいるかのように云った。
見られているとも知らず、彩世は電車の音が聞こえてくるたび、写生を中止し、電車の方を見る。慎吾が消えてから早、二年、祐二とは八ヶ月が過ぎ去った。この間、彩世の愛は慎吾と祐二の間で揺れ動いた。
だが、慎吾が消息をたって二年は長すぎた。そして、祐二への愛は慎吾の愛よりより強い真実の愛になっていた。
今、この河原で待っているのは慎吾でなく祐二であった。愛する祐二に、二度と逢うことが出来ないと思う心が、彩世を一層辛くさせた。
彩世の心の支えは、この河原で待っていれば、何時の日か、必ず祐二が、川を渡って逢いにくるという希望だった。
急に空が曇ったと思う間もなく雨が降ってきた。彩世は絵が濡れないよう画用紙に急いでカバーを掛けた。
雨は通り雨らしく、しばらくすると止み、東の方へ移っていった。
彩世は、祐二の話を思い出し、虹がどこかに出ていないかと探した。しかし、その期待は外れた。
通り過ぎてゆく雨に彩世は、
「祐二さんに逢わせてください」
祐二に見られているとも知らず、祈った。そして、彩世は写生を続けた。
悲しむ彩世の姿を見ても、祐二は動かなかった。どのくらいの時間が経っただろう、彩世は突然、川下から騒めきを聞いた。
一瞬、彩世は祐二のお伽話が蘇り、通り雨による洪水が襲って来たと勘違いし、反射的に逃げようとしたが、昨日のことを思い出した。
(アユ釣りのおじさんだわ)
彩世は無視しようとしたが、やっぱり見られずにはいられないため、音がした方へ顔を向けて驚きの声を上げた。
「あっ!」
川の中を慎吾が松葉杖を使いながら歩いてくる
「慎吾さん!」
思わず、彩世は感動の叫びを上げ、パラソルを倒しながら慎吾に向かって走った。
「彩世さん!」
慎吾も叫びながら急いで歩こうとしたが、義足の足で川を歩くのは非常に難しく思うように歩けない、だがが、慎吾は懸命に彩世の方へと歩いた。
松葉杖の先端が川底に開いていた穴がに入り、急に姿勢を崩した慎吾が川に倒れた。駆け寄った彩世は慎吾を抱き起こした。
「慎吾さん」
「彩世さん」
互いの名を呼び合った。