第140部
父親が母親に病院へ行ったことを説明すると、母親が心配そうな顔で聞いた。
「それで、容態は?」
「医者は、安静にしていれば、一週間ほどで治ると云っていたから、心配ない。」
聞いて母親は安心しきれない様子で彩世に尋ねた。
「彩世、苦しい?」
「いえ、もう大丈夫よ、心配しないでね」
父親は、残念そうに云った。
「祐二くんに、天見酒造に就職をして頂こうと思い、彩世に代わって、会いに行ったんだが。失業と言う弱みに付け込むように思えて云えなかったよ」
「私なら、正直に話し、今頃、祐二さんは彩世を見舞いにきていたわ」
母親が残念そうに云った。
「そうだね」
父親が云って部屋を出ていった。
「風邪が治った、改めて祐二さんに逢って話すんですよ」
母親も部屋を出て行った。
彩世は、両親の話を聞いているうちに、自分の取り越し苦労のように思えてきた。
風邪をこじらせた彩世は、正月の三が日は寝床に伏せていたが、五日になって、ようやく床から出られるようになった。
そこで、二日後、彩世は祐二に逢うために、祐二のマンションへ行ったが、引っ越しをした後だった。
(やっぱり、祐二さんは怒っている。もし、怒っていないのなら電話を掛けて来るはずだわ。そして、住所変更も告げないのが証拠だわ)
生きる気力も失せた彩世は、溢れる涙を拭きもせず、京都の町をさ迷った挙げ句、死に場所を求めて桂川へきていた。
突然、携帯電話が鳴った。
(祐二さんだ)
そう思った彩世は、急いで電話を耳に当てた。
期待に興奮する彩世の耳に、父親の切迫した声が聞こえた。
「何かあったの!」
彩世が思わず聞き直すと、父親は心を沈めるように一息ついてから、
「母さんが脳梗塞で倒れたんだ。すぐ帰ってきてくれ」
父親の悲惨な声を聞いた彩世は、急いで帰っていった。
病院の一室、それも面会謝絶の病室で死んだような母親の姿を見た彩世は、母親が可哀相になり、何が何でも助けたいとの思いが祐二を忘れさせた。
母親の病気が治るのは三ヶ月ほどだが、後遺症による歩行困難が半年以上も続くだろうと、医師から聞いた彩世は、大学に休学届けを出し母親の看護に専念することにした。