第112話
急いで訂正しようとしたが、訂正すれば、信用されなくなると考え、鈴木の名前を借りることにした。
「この名刺の電話番号は仕事専用なので、携帯電話の番号をお教えします」
祐二は手帳を破り、携帯番号を書いた紙を慎吾に渡した。
「分かりました。仕事の邪魔になるといけないですね。名刺の番号にはかけません」
「そんなに堅く考えないでください」
「いえ、僕の父や兄も個人的な用で社に電話すると怒ります」
「そうですね、社の電話では長く話しもできないからね、僕は慎吾君に会った瞬間から初めて会ったという気がしないんです。ご住所は姫路市ですか?もし、その方面へ行く時があったら、お伺いしてもいいですか」
「ぜひ来てください。それも出来れば早く来て欲しいです」
祐二には願ってもない誘いだった。
「分かりました。出来るだけ早く、お伺いします」
「本当に来てくださるんですね。その日を待ってます」
慎吾が嬉しそうに云った。
祐二は慎吾をタクシー乗り場へ送り、タクシーに乗せた。
タクシーの窓から慎吾が淋しそうに手を振る。
祐二は、彩世を失う哀しみを隠し、去り行く慎吾親子に手を振っていた。
慎吾にしてみれば、もっと早く、いや、何度も彩世の姿を陰ながら見、その胸の苦しみを伝え、許しを乞いたかったに違いない。しかし、彩世の姿を陰ながら見られるのは、年に一度、それも、あの時間帯に限られているのだ。
この一年間、今日の、あの時間をどんなに辛い思いをしながら、その時がくるのを待っていたかは、祐二にしても想像に難くない。
だが、祐二にしてみれば、慎吾の出現は、まさに天国から地獄への坂道だった。
しかし、慎吾のあの苦しむ姿を目にした祐二は、彩世を諦めるしかなかったのだ。
祐二は、堪え難い哀しみを堪え、故郷の家に戻った。
そんな祐二の心もしらず、母親がしかり付けるように云った。
「遅かったわね。まさか、お見合いを忘れてんじゃあないでしょうね」
「見合いなど、知らないよ」
「ええ?知らなかったの!」
「そうだよ」
「父さんから聞いてないの?」
「聞いてないよ」
「変ね、一週間も前に決まっていたのよ」