第十七節 ライオンの塩撒き
動きがあったのは、テヘルアモル線が開通してまもなくのことであった。
「なに? サルタン王国のジュド族の長老が来ているだと?」
「はい。 モノレール開通の祝辞のために来ているということですが、どうされますか?」
むろん、向こうの目的がそんなものではない事は誰もが知っている。
ようは、ジンの発案による対ジュド族政策を緩和して、あわよくば鉄道事業にかませて欲しいということだろう。
「ソニア、悪いが適当な理由をつけて追い払ってくれ。 政治的に面倒な話は苦手だ」
ジンは顔をしかめて、さも嫌そうにそんな答えを口にした。
そもそも、いまさらジュド族の手など借りなくてもシャフリアール王国のほうはまったく問題がない。
むしろ政策的にも感情的にも、拒絶したほうが得策である。
なによりも、無駄なことに時間を割いている暇がジンにはなかった。
理由は……二人目が出来てしまったからである。
最近、シェヘラザードの体調が思わしくないのは感じていたが、まさかの懐妊。
現在は気候の涼しい夏の宮で、娘のゴリナールと一緒に療養中だ。
それゆえに、副王であるジンは義父にして宰相であるダンターンの手を借りながら国王の代理を務めている状態である。
「それが、ダンターン様からも会ってほしいと言われておりまして……
あの苦々しい顔からすると、よほど強いコネを使ったものかと」
「面倒な。 出来ればさっさと終わらせたいから、準備を頼む」
目を閉じたまま、鼻に皺をよせて不機嫌そうに顔をしかめると、ジンはしぶしぶ対応の指示をだした。
――きっと、ろくな会話にはなるまい。
この会談がまともに終わらない予感を感じ、ジンの秘書であるソニアは胃薬と頭痛薬のストックが残っているかについて記憶を探りはじめた。
そして15分後。
衣装を調えたジンが謁見の間にやってくると、そこには豪華な衣装に身を包んだ老人とその取り巻きが待っていた。
「副王アサド・ジン様のおなり!!」
近習であるミールザの声と共に、ジンがいつになく派手な衣装でのしのしと部屋に入ってくる。
こうして見ると、いかにも生まれついての王族に見えてしまうのだから、衣装とはまさに不思議なものだ。
「……お前がジユド族の長老か。 面を上げよ」
かろうじて礼は欠いてないが、おそろしく面倒そうな声である。
横に立っているソニアは、仕事してくださいといわんばかりに笑顔のままジンの足を踏みつけた。
「お目通り適いまして光栄の至りでございます、副王閣下。 このたびは、女王陛下のご懐妊、およぞモノレールなる新しい乗り物の開通、まことにおめでとうございます」
「丁寧な挨拶、いたみ入る。 では、これにて」
一瞬、何を言われたのか誰もわからない。
凍りついた空気の中、ジンは笑顔のまま立ち上がると、そのまま唖然とする老人を残して部屋から出て行こうとした。
……まずい。
どうやら、今日は本気で機嫌が悪かったらしい。
ソニアは、どうやってジンを呼び止めようか頭を抱える。
「お、お待ちください!」
呼び止めたのは、ジュド族の長老だった。
あの状態のジンを呼び止める気力があるとは、さすが何度も修羅場を潜っただけの事はある。
「まだ何か用が?」
笑顔を貼り付けてジンが振り返る際に、一瞬だけチッと舌打ちしたことに気づいたのは、おそらく隣にいたソニアだけだろう。
恐ろしいまでの塩対応だが、相手に殺気を向けないだけこれでもまだマシなほうだ。
いつもが笑っているので気にする者はいないが、ジンはもともと顔のつくりが怖い方向に整っている男である。
この強面が不機嫌もあらわにした状態で目の前にいても耐えることが出来るのは、おそらく女王シェヘラザードのほかに宰相ダンターンや財務大臣サイード、あとはカンマカーンぐらいのものだ。
他の面子では恐怖のあまり、会話になどなりはしない。
「先のモノレール開通ですが、なにやらたった七日で作り上げたとの事。
まるで伝説のソロモン王のごとき工事のその様子、この年寄りにも語っていただけぬでしょうか!」
そんなジンの押し殺した苛立ちに気づいているのかいないのか、ジュド族の長老はそんな要望を突きつける。
「あれか。 友人たちに頼んだ。 俺はそのときの様子を見てもおらんのだ」
「……は? 見ていない?」
あまりにも非常識な発言に、長老の顎がカクンと落ちる。
能力が違いすぎて精霊の仕事に人が関わることなど出来るはずも無いし、見たところで理解できるはずも無いのだが、そんな事をこの老人が知るはずも無い。
「そ、そそそ、それでは今後の大規模な工事の計画などは!?」
――あぁ、なるほど。
お前ら、さては工事の利権に絡みたかったのか。
「商売がしたいのならば、工事の資材や人足の奴隷の調達を当てにするのはやめておけ。
銀行や金貸しはお前らの十八番だが、こっちも出番などないぞ。
直接モノレールに関係する事業はすでにわが国の民の独壇場で、国外の人間には参入件も無い。
ただ、お前らが何も商売が出来ないわけでもないな」
「……と申されますと?」
取り付く島もなかったジンの意外な申し出に、ジュド族の長老は毒気を抜かれた顔で素直にたずねる。
そんな彼に向かって、ジンは告げた。
「宣伝だ。 このモノレールがいかにすばらしいものであるかを、世界中に根を張るお前たちの力を使って知らしめるのだ。
満足な成果が出せるなら、この俺がその代償を支払おう。
まぁ、具体的にはこのぐらいの予算は出せるな」
ソニアからペンと羊皮紙を取り上げて、ジンはそこにスラスラと数字と単位を書き記す。
「……正気でございますか?」
ジュド族の長老も、商売にとって情報やイメージが大事なのは理解しているが、現代日本で生活していたジンほど重要視はしていなかった。
そもそも、その情報で何が出来るかというアイディアの引き出しの数が違いすぎるのだ。
「いいか、これはただ単に交通機関を宣伝するわけではない。
そこに付随する駅弁の美味さや、景色のすばらしさを……そこにないものを言葉だけで味わわせ、見せてやるのだ」
――なんだろう。
おそらく、自分は今、とてつもなく深い叡智に触れようとしている。
ジュド族の長老は、自らの思考に囚われ、ジンが部屋を出て行ったことにすら気づかなかった。
その後、呆然とするジュド族たちに、炊き上げた米にスープをかけただけというシンプルな食事が、食事の時間でも無いのに振舞われる。
彼らはその食べ物が『お茶漬け』と言う料理であることも、その意味もしらなかった。




