第二節 荒くれ者すら恐るるところ
「うん、美味い!! やるな、店主!!」
「ははは、次は金を持って食べに来てくださいね」
「そうだな、なんとかして稼いでくるから、その時はもっとうまいものを用意しておいてくれよ?」
そんなやり取りが何度続いただろうか?
ジンの快活な様子と大きな声が宣伝になって、屋台街に次々と客が寄ってくる。
「あの兄さんが食べてる美味しそうな奴をもらえるか?」
「俺にも一つ売ってくれ!」
空腹を刺激された客は待ち時間がつらそうだが、屋台の店主はウハウハである。
なかにはジンのまねをして大げさに宣伝しようとする輩も何人かいたが、声の質といい、大きさといい、その誰もが彼の足元にも及ばない。
しかも絶対にまずいとは言わず、時には的確なアドバイスまでさりげなくくれるのだから本当に福の神のような存在だ。
「ご馳走様だ、店主。 美味しかったぞ!」
「あの……よろしかったらもう一ついかがです?」
菓子を売る中年女が、名残惜しげにお茶をさし出す。
「いや、さすがにそんなわけにはいかん。 いささか貰いすぎた」
「気にしないでください旦那さん。 実は、さっきから旦那があまりにも美味そうに食っているせいで、客の入りがいつもよりいいんですよ。
……ウチの店以外もね」
見れば、先ほどよりずいぶんと人の通りが多い。
しかも、どの顔もとても幸せそうだ。
だが、その時だった。
「おい、上納金がこれっぽっちってのはどういうことだ! あぁ!?」
突如と響き渡った声に、ジンの太い眉が不愉快を示す方向に捻じ曲がる。
彼は食事の後のひと時を邪魔する奴が大嫌いであった。
思わず拳を握り締めて立ち上がったジンだが、その腕を誰かが引きとめる。
「旦那さん、ダメだよ。
あんたが今助けに入っても事を荒立てるだけだ。
今日彼を守ることが出来たとしても、明日もあんたが守ってくれるわけじゃないだろ?
気持ちは嬉しいが、私たちには私たちの流儀があるのさ」
ジンの腕を握り締めて悲しげに呟いたのは、ジンが最初に目をつけた屋台の店主だった。
「払える金が無いってんなら、奴隷にでもなってもらおうか!」
「そ、そんな無茶な!?」
「あぁン、無茶だと? 悪いのはどっちだごるぁ!?」
むろん悪いのはならず者である。
誰もが恐れと憎しみをもって見守る中、ならず者がその屋台の店主を殴る音が何度も響き渡った。
そして、店主の作ったスープを蹴り飛ばして台無しにしたとき……とうとうブツリと何かが切れるような音が響く。
「たしかに明日も俺が救いにやってくるとは限らない。
だが、いま救ってやらなければ、いつ救われるというのだ?
永遠に苦しい日々が続くだけだぞ」
そう告げると、ジンは自らを引き止める手を振り払い前に出た。
「おい、お前……」
声をかけながら、ジンはならず者の一人の肩を掴んだ。
「なんだぁ!?」
「食べ物は粗末にするなと教えられなかったのか、この不心得者が!!」
その瞬間、肩を掴まれていた男は宙を飛んだ。
彼の幸運は滅多と人には体験できぬことにめぐり合ったこと。
そして彼の不幸は、殴られた衝撃でせっかくの貴重な体験の瞬間を気絶したまま過ごしたことである。
「て、てめぇやりやがったな!」
その凄まじい力に驚きながらも、ならず者たちはジンを囲んでナイフを引き抜いた。
「やめとけ。 そんなものを出したところで余計に痛い目を見るだけだぞ」
「しゃらくせぇ! 死ねや!!」
腰に手を当てたままのジンに向かい、いくつものナイフが迫る。
だが、ジンはむしろ緩やかにすら見える動きでそのナイフを握った腕を振り払うと、古武術特有の動きの小さなすり足で間合いをつめて軽く相手の足を払った。
「うへっ!?」
「遅い。 そして、母と神から与えられた右腕はこのような不義を行うためにあるのではないことを、僭越ながら神になりかわり教えてやろう。 痛みと共にその身に刻め!!」
その言葉と共に、ジンは倒れた男の右腕を掴み、あらぬ方向に捻じ曲げた。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
魂が口から飛び出るのではないかと思うほどの悲鳴と、棒をへし折るような鈍い音に、見物していた野次馬がおもわず目を閉じて神への祈りを唱える。
だが、このタイミングで被害にあっていた屋台の店主が正気に戻った。
「だ、旦那さん、どうかそこまでで! これ以上は……なにとぞ穏便に!」
「なるほど、俺はよそ者だ。
俺が手を出せば、そのぶんの仕返しは後日この店の人間に降りかかるだろう。
だったら……」
そこで再びジンはならず者へと視線を向ける。
「元から根絶やしにしてやる」
「ひぃぃ!?」
結局、ならず者たちはジンと目があった瞬間に残らず失神した上に失禁してしまった。
そのあまりの恐ろしさに、並み居る群集はジンのことを実は人ではなく精霊ではないかと囁きあう。
天使と共にこの世に生まれたとされる精霊は、この国の民にとって畏怖と恐怖の対象であった。
彼ら精霊は時に人の助けとなることもあるのだが、大概は恐ろしい災いを引き起こす存在である。
そんな恐ろしい精霊の怒りを買えば、その末路はいかに悲惨なものになるか……
ある者は巨鳥の餌となるために空へと連れ去られるのではないかと語り、またあるものは食人鬼の餌食になるに違いないと語る。
昔話ならば、神に救いを求めることで助かるという展開が待っているが、これは寝物語の舞台ではない。
ましてや怒りを買ったのは、神に恥じるような振る舞いをしている連中である。
助かる可能性などありえない。
彼らの神は寛容であるが、筋の通らない話が大嫌いなのだ。
そんな群集の思惑を知らず、ジンは一歩前へ出る。
誰もが恐ろしい惨劇を脳裏に描いた。
だが……
「待たれよ、そこの御仁!!」
「誰だお前?」
突如として目の前に転がり出てきたむさくるしい男に、ジンは怪訝そうな視線を向ける。
「俺は、この不心得者たちの兄貴分です!
自分は食人鬼の餌になってもかまいません! どうか、なにとぞこいつらの命だけは……」
そう告げながら、大柄でひげ面の男は地面に頭をこすり付ける。
「ずいぶんと都合のいい話だな」
地面にひれ伏した男の頭を、ジンは靴で踏みつけた。
額が地面にこすれてジャリジャリと音を立て、ミシミシと頭蓋がきしむ音がする。
「うっ、ぐあぁぁぁ……た、たのむ、俺はどうなってもいいから……」
さて、どうしようか?
この手の義理人情に篤い人物は嫌いではないし、最初からそこまで恐ろしいことをするつもりも無い。
なによりも、暴力による解決は次の暴力を持ってくるだけである。
ジンとしても、このまま修羅の道に足を踏み入れる気はさらさらなかった。
しかしここでも人外扱いとは気が滅入るな……せっかくいい雰囲気だったのに。
ジンは人知れずため息をつく。
どうせまた精霊と間違われているのだろう。
だったら、それっぽく脅かしてやるか。
「ならば力の使い方を間違えるな。
強い力というのは、誰かを守り、何かを与えるために神から授かったものであって、弱きものから搾取するためにあるのではない。
二度とこんなことが無いように言っておけ。
さもなくば……」
ジンはそこで言葉を区切り、足をならず者の頭からはずしてわざと厳かな声で告げた。
「その舌を引きちぎって未来永劫神への祈りを唱えられなくしてやるぞ」
それは神への礼拝が義務付けられているこの世界において、どんなに許しを請うても天国に行けなくなるという意味となる。
死をも恐れぬ荒くれ者も、神の愛から永遠に遠ざけるといわれたら恐怖を感じずにはいられない。
精霊の報復とは、かくも恐ろしいものなのか。
想像以上の苛烈な言葉に、聞いている人間達までもが恐怖で震え上がる。
「……冗談だ。 そんなことにならないように、神への感謝と祈りを忘れるなよ」
やりすぎた事に気づき、あわててフォローを入れようとするジンだったが、それを冗談だと思う人間は一人もいなかった。