第十五節 もげた翼とはばたく翼
その夢は、篝火に飛び込んだ蛾の薄羽のようにはかなく燃え尽きた。
「どうして……こうなった」
冷たい石の床に爪をたて、一族を聖地へと導くはずだった男は虚ろな声で呟く。
そう、彼はまだ騙されたという現実を受け入れてはいなかった。
ありえないことがおきたのは、彼がシャフリアール王国の貴族からもらった銀貨を持って、サルタン王国で宝石を買い集めた直後のことである。
一族の仲間に協力を求め、宝石の買い付けを小規模にすることでシャフリアール王国やサルタン王国の特権階級に気づかれないように事を運んだはずだった。
だが、そんな彼を待っていたのはサルタン王国の官憲たちだったのである。
宿に泊まっていた彼は、夜の寝入り端にたたき起こされ、ろくに理由も聞かされぬままこうして蝋に入れられたまま朝を迎えたのだ。
「――いったい、何が起きているというんだ!?」
どう考えても、彼に投獄されるようなことをした覚えはない。
政治的に中立であるとは言いがたいが、それでも罪に問われるような類のことではなかったはずだ。
「おい飯だぞ、ゴミ野郎」
その時、監獄の看守がやけに美味そうな臭いを漂わせながら食事を持ってくる。
だが、そのメニューを見たとたん、男の顔は恥辱のあまり真っ赤な染まった。
「貴様! この私にコレを食えというのか!!」
「……美味そうに食えよ。 俺もさっき同じものを食ったが、実に美味であったぞ」
看守が悪意に満ちた顔で陰気に笑う。
差し出された皿に盛り付けられていたのは、山羊の乳で煮込まれた子山羊の肉であった。
――子山羊を、その母の乳で煮てはならない。
ジュド族の聖典の中で、三度にわたって禁忌と記されている食事である。
「ふざけるな! ジュド族の俺が食えるわけがないと知って……」
「貴様にはお似合いじゃ、このたわけが」
だが、男が台詞を言い終えるよりも先に老人の罵声が響いた。
「……長老!?」
それは男の所属するジュド族の重鎮であり、このサルタン王国でも経済界の黒幕として恐れられていた存在である。
この人物が出てくるなど、滅多なことではない。
「お前、自分が何をしたかまだわかっておらんのじゃろう?
教えてやるわ、この無能が!!」
鉄格子の向こうで、老人は真冬の嵐のような激しさで男を罵る。
「お前が持ってきたあの銀貨の山、全て偽者じゃったぞ。
しかも、シャフリアール王国とスーディヤ王国でジュド族のイカサマ師どもが作っていた代物じゃ!!」
その瞬間、男はようやく自分がここにいる理由を悟った。
これは、シャフリアール王国によるジュド族への復讐だったのだ。
その道具として、男はまんまと利用されたのである。
「や、やられた……」
「そうだ、すっかりしてやられたわい!
あぁ、こんな無駄な話をしている場合ではない。
ワシは今からサルタン王国での足場を守るために牛のように働かねばならぬ!
では……さっさと用件を済まそう」
すると、長老は悪意に満ちた笑顔を浮かべ、絶望の言葉を解き放った。
「お前は追放だ。 この時をもって、いや、この国にやってきたときからお前はもうジュド族ではない!
最後の勤めとして、全ての罪を背負って死ぬ役目を与えてやろう……光栄に思え!!」
***
それは真夏のひどく暑い日のことだった。
突き刺すような太陽の日差しにもかかわらず、テヘルの街の人間はその記念すべき日を目に焼き付けようと外に出て、新しい時代を祝福すべく歓声を上げる。
テヘルの街の光景は一変していた。
街の中にいくつもの鉄柱がそびえ、建物の間には巨大な蔓草のように鉄の道が宙を行く……まるで御伽噺のような光景である。
そしい、今日はこの夢のような乗り物が、実際に動き出す記念すべき日なのだ。
なお、この世界初のモノレールは、この国の副王であるアサド・ジンにの依頼によって精霊たちがたった七日で作り上げたと伝えられている。
実際には三日なのだが、神の世界創造になぞらえた数字のほうが、どうやら一般受けがいいらしく、いろいろな下準備の時間なども含めてあえて七日というのが公式見解になっていた。
いずれにせよ人に許された力を大きく超えた所業に、やはりシャフリアール王国の副王は精霊の王族であったかと、本人が聞けば苦笑するしかない噂が飛び交っている。
もともと、人の足では一ヶ月はかかるテヘルとバクディードを一日に何度も行き来していたのだから、人間扱いを求めるほうがおこがましい……とは、女王シェヘラザードの言葉だ。
そしてこのモノレールはこの国の首都であるテヘルの町と、北部のハザール海に面したマザンダーラ地方の主要都市アモルを結んでおり、今日から三日の予定で開通記念の行幸啓が行われる。
なぜ最初にこのようなルートが選ばれたかと言うと、テヘルとアモルの間にはボルズ山脈と呼ばれる険しい山があり、そこを通るハラース街道は盗賊による被害が多発していたからであった。
そう、先日の部外者であるにも関わらずジンにモノレールの設置を切望していたのはアモルの首長の次男坊である。
さらにこのルートに関しては他に反対するものも障害もなかったため、すぐにでも取り掛かれるという条件がそろっていた。
そして次の理由は、鉄道が便利なものであるという認識を市民に根付かせ、反対派の部族を説得するためのデモンストレーション。
さらにボルズ山脈南部に広がるラアール高原を見下ろす景色はすばらしく、ジンはこの地域を貴族たちの避暑地として開発することを提案したのである。
この提案により、ラアール高原には夏の宮と呼ばれる新たな王家の別荘が精霊たちによって作られ、夏の間はそこで政務に励む予定だ。
……なお、最大の理由が娘であるゴリナールにテヘルの酷暑を味合わせたくないという、ジンの親馬鹿である事は一部の貴族しか知らない話である。
「では、これよりこのモノレール……シャフリアール王国の反映をもたらす鉄道、"我がゆるぎなき誓い"の開通を宣言する! 神の祝福あれ!!」
女王がそう宣言すると、押し寄せた民衆からは歓声が上がり、楽師たちの奏でる荘厳な音楽と共に純白の車体が動き出した。
それはまるで翼の生えた天使のごとくテヘルの街の中を優雅にすり抜け、やがて北の山脈へと続く空へと消えてゆく。
「女王陛下万歳! 副王閣下万歳! シャフリアール王国に神の祝福あれ!!」
テヘルの市民たちは、その後姿が見えなくなるまで手を振りながら祝福の言葉を叫び続けるのだった。
ラアール高原の光景に関しては、元ネタであるラール国立公園で検索してみてください。
中東のイメージを覆すような美しい光景が広がってますよ!




