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千夜の晩餐  作者: 卯堂 成隆
第一夜 待ち望まれた男と、恋に落ちた女の話
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第五節 我は千の夜の償いを求む

 女王の口から飛び出した言葉に、ジンはあせったように目を見開いた。


「い、いや、それは出来ないと最初に言っただろう。

 俺がこの場にやってきたのは、天使シヴリールと名乗る天使と取引をしたからだ」

「ほう? 天使シヴリールとな!?」

 どうやら言ってはならない言葉を口にしてしまったようである。

 シェヘラザードの反応にジンは慌てて口を隠すが、時すでに遅し。


 ジンのあずかり知らぬ話ではあるが、天使シヴリールとは、この国の宗教の聖典を預言者に伝えた、もっとも尊い天使の名である。

 邪悪なものにその聖なる名が唱えられるとも思えぬし、今までのことも天使の導きであると思えばすべて納得できる話であった。


 そんな状況での、先ほどの台詞である。


 獅子の精霊(アサド・ジン)がお告げの天使に導かれてやってきた!?

 衝撃の事実に、周囲の人々は次々と神の名を讃え始める。


 その様子を苦々しく思いながら、ジンはなんとか女王の申し出を断ろうと頭をひねった。


「俺は女王を満足させる料理を作って、望まぬ惨劇を止める代わりに、遠く離れた故郷に帰してもらうことになっている。

 それに女王よ、俺は料理は作れるけれど政治はわからない。 貴女には自らの生きる支えとなる相応の伴侶が必要だ」

 なるほど、筋の通った答えではある。

 だが――


「ならぬ」

 だが、シェヘラザードは微笑みながらその訴えを叩き落す。


「お前は、我の女としての矜持を傷つけた!

 その罪を贖うまで、故郷に帰ることは許さぬ!!」

 シェヘラザードが思慕とも怒りともつかぬ視線をジンに向けつつ、告発の言葉を投げた瞬間だった。


「……その訴え、たしかに聞き届けました」

 突然聞こえてきた厳かな声に、周囲の人々はいっせいに天を見上げる。

 ――しかしその姿は見えない。

 だが、それが何者なのかなど、考える必要も無いだろう。

 ここに、かの偉大なる天使がいる事は疑いようもなかった。


「な、なに!? 約束が違うぞ、シヴリール!!」

「約束はたがえておりません。 貴方を元の国に帰してあげる約束は守りましょう。

 ですが、それがいつになるかなど言っておりませんし、すぐに帰す約束もしておりませんよ」

「詭弁だ!」

 偉大なる天使にはむかうジンの姿に、周囲の人々はなんて恐れ多いことをとおののいた。


「そう、詭弁ですね。 貴方の気持ちはわかります。

 ですが、女王の気持ちも察してあげなさい。

 貴方は、彼女がやっと見つけることの出来た、彼女がこの地上において神以外に頼ることの出来る相手なのですよ?

 貴方に慈悲があるなら、私にもそれ相応の慈悲を示しましょう。

 なによりも、神がそれをお望みです。

 それでも嫌だというのなら、我々といえど異世界の住人である貴方に強制は出来ません。

 今すぐ元の世界に戻して差し上げます……が、二度とこの世界に来る事はできないと思ってください。

 ……言わなくてもわかってますね? 心優しい貴方は、きっと後悔するでしょう」

 その言葉に、ジンはギリギリと音が出るほど強く奥歯をかみ締め、そしてガックリと項垂れた。

「……否定できないわが身が恨めしい」


 ジンのつぶやく嘆きの言葉に、偉大なる大天使は微笑みを感じさせる声で告げる。

「――慈悲深き者は幸いである。

 慈悲を行う者はさらに幸いである。

 なぜなら、神がその行いを深く愛するのだから。

 祝福あれ」

 そして天使の気配は消えた。


 天使シヴリールの去ったあと、床に座ったままで拗ねているジンの前に腰を下ろし、シェヘラザードはその目を覗き込んだ。

「……なんだよ」

「御使いたる獅子の精霊(アサド・ジン)よ、わが心を奪った償いをしてもらおう」

「……結婚ならしないぞ」

 恨みがましさの煮詰まった声で、ジンはシェヘラザードをにらみつける。


「わかった。 求婚はいったん取り下げよう」

 その言葉に、ジンはホッと息をついた。

 だが、シェヘラザードはにやりと人の悪い笑みを浮かべる。


「そのかわり、夜毎に我のために食事を作っておくれ。

 そして我が満ち足りるまで作り続け、一度たりとも我を失望させるな」

「なんてことだ……千夜一夜物語じゃあるまいし」

 千夜一夜物語とは、若い女を夜毎に殺す冷酷な王をいさめるため、才知ある女が死を免れる代償として毎晩少しずつ物語を聞かせるというアラブの物語の集大成である。

 性別も逆だし、ジンには物語を作る才覚も無い。

 だが、この状況はその物語にとても似ている。


 あぁ、たしかその物語で王に話を聞かせる才女の名は、奇しくもシェヘラザードだったか。

 まったくもって、なんと言う皮肉な状況の逆転。


「天使シヴリールは、異界から訪れたと言っていたな。

 では、さぞ珍しい料理を知っていることだろう。

 楽しみにしておるぞ」

 なんという我侭……だが、彼は小憎らしい笑みを浮かべる女王の目の奥に、途方にくれた子供のような不安と寂しさを見つけてしまった。

 それを見てなお、この孤独な女性を突き放せる男がいるだろうか?


「あまり苛めるなよ。 まぁ、全力は尽くすさ」

 いつか必ず帰ることが出来るというのなら、この女の孤独を消してからにするのも悪くない。

 そして男は、その優しさゆえにいわれの無い罪を受け入れた。


 かくして異界の料理人はこの世界で料理の腕を振るうことになったのである。

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