第十二節 お騒がせ娘の帰還
「なんだとぉっ!?」
思いもよらぬ宣告に、ふたたびイース教徒の商人が青ざめる。
そう、神の敵としての認定……それこそが、ジンをして女王に裁可を求めた理由であった。
なぜならば、異教徒との婚姻が禁止であるためシェヘラザードと結婚する過程で神の教えに改宗こそしているものの、神の被造物ならぬ魂を持つジンには聖戦を宣告することにはためらいがあったからである。
「ふふふ、聖戦を宣告されたという事は、そいつは神の敵だよねぇ」
聞こえてきた不気味な声に振り向くと、そこには蝶の模様が刺繍されたヒジャブ姿の女と、その背後に付き従う人相と顔色の悪い男たち。
胡蝶と、アイディンから手下として与えた胡蝶の元情夫の成れの果てである。
「き、貴様ら何を!?」
うろたえる異教徒の商人をよそに、胡蝶はすばやく駆け寄り、その後ろにいたスールマーズを抱き上げた。
「この女はもらったよ。 聖戦の戦利品だ!」
「あら、お兄様。 わたくし、また攫われてしまいましたわ」
のんきに呟くスールマーズだが、彼女が抵抗しないのは、これが予め予定されていたことだからであるに過ぎない。
「き、貴様! そんな事が許されるとでも!」
「許されるさ。 それが聖戦だからね! あんた、どうせいい家柄のボンボンだろ? 商人としてつたなすぎるよ」
唾を撒き散らしながら喚く異教徒の商人に、胡蝶は高笑いをしながらそう言い返す。
聖戦によって征伐された者は、奴隷としてもよいと聖典に記されたのだから間違いではない。
そしてスールマーズを抱きかかえたまま、胡蝶はシェヘラザードの前に跪いた。
「さて、我らが女王シェヘラザード陛下に申し上げます」
「申してみよ」
庶民と直接言葉を交わすことに難色を示す侍従たちを視線で退け、シェヘラザードは胡蝶に発言を許す。
「この戦利品を、謹んで女王陛下に献上させていただきたく思うのですが、いかに?」
そして胡蝶の口から予め予定された言葉が告げられると、シェヘラザードは芝居のかかった調子で大げさな身振りと共にニッコリと微笑んだ。
「おぉ、そなたの我に対する献身、嬉しく思うぞ。
ジンよ、聖者ムバラクよ、この者にどのような褒美を与えればよいと思う?」
「聞けば、その者は罪により神へと祈る権利を奪われたとの事。
ならば、再び神に祈り縋る権利を得るべく、私が神にとりなしをいたしましょう」
聖者ムバラクがそう告げた瞬間であった。
「神よ……御身は偉大なり」
胡蝶の口から、失われた神への祈りが零れる。
同時に、彼女の目から涙が流れた。
だが、その清らかな光景に無粋な言葉を吐き散らす者がいた。
「茶番だ! こんな茶番でよくもこのワシを欺こうとしたな!」
それが誰の言葉かなど、もはや説明するまでも無いだろう。
「何を抜かす。 盗まれたものであっても、その後に報酬を支払って手に入れたのならばもう私のものだろう?」
一見して機嫌が良いような女王の声に、ジンは無言で耳に指を突っ込んだ。
それを見た近習や侍従もそれに習い、侍女たちはサッと隣の部屋に逃げ込む。
「自分の吐いた言葉を思い出すがいい!!」
まさに爆発するような一喝。
女王は薄汚い言い分をあざ笑い、火の女王の二つ名なふさわしい激しさで異教徒の理屈を焼き尽くした。
「さて、そこの異教徒の始末だが……ない、カンマカーン。
俺が許す。 殺しさえしなければ好きにしていいぞ」
「ふん、やっと出番か。 待ちかねたぞ!!」
ジンが隣の部屋に向かって声をかけると、顔に凶悪な笑みを貼り付けたカンマカーンが抜き身の剣をもってやってくる。
「殺すなと言うのなら、留意しよう。
たぶんなんとか出来るだろうさ……神がそれをお望みならばな」
「ひぃぃ、ワシに近寄るな! 離せ! さ、触るな……グフッ」
カンマカーンは異教徒の商人を拳で黙らせると、嬉々として部屋から引きずり出した。
いったいどんな悲惨な運命が彼を待ち受けているのか?
それは神とカンマカーン次第である。
そして、さらに事件の後始末は続いた。
「では、そこな黒衣の怪人よ。
女王たる我の名においてこの娘を奴隷という身分から解放し、そなたに返却しよう」
シェヘラザードが宣言すると、スールマーズはしずしずとアイディンの元に歩み寄る。
だが、スールマーズを抱きしめながらアイディンは不満げな声を漏らした。
「まぁ、それはありがたいんですけどねぇ。
一つ文句を言ってもいいですか?」
「何じゃ」
女王が尋ねると、アイディンはその視線をジンに向けた。
「ジンさん、うちの妹をよくも傷物にしてくれましたね?」
スールマーズの左腕は、ジンの一撃によって未だに動かすことが出来ない。
「ふ、不可抗力だ! お前がスールマーズを止めなかったからだろ!!」
「それはそれ、これはこれデス! さぁ、スールマーズを娶れとはいいませんが、それなりの代償をいただきましょうか」
そう告げながら、黒衣の怪人は懐からよく手入れされた鋏を取り出した。
「お、おい、何をする気だ!」
「ふふふ、何でしょう?」
不気味に笑うアイディンの指は、ジンのトレードマークでもあるフサフサとした髭に伸びる。
「まぁ、仕方がないな。 許す。
我をさしおいて美味いものを振舞った罰じゃ」
「裏切ったなシェヘラザード!!」
「我にも同じものを作って食わせるまでは許さんからな!」
食べ物の罪と言うものは実に根深く、げにそれは夫婦の仲ですら用意にこじらせるものなのだという実例であった。
「大丈夫。 痛くありませんから」
「嫌だ! 近寄るな!」
だが、彼の退路はすでな近習たちがふさいでいる。
なぜか神の厨房すらも発動しなかった。
そう、逃げ場など、最初から無い。
「床屋に代わっておしおきです!!」
――ジョキン。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
……なんとも小気味良い音が辺りに響き、ジンの悲痛な叫びと共に、黒い髭が一房ほど床に飛び散った。
「ほほほ、ジンさんとてもお似合いですよ?」
高らかに嗤う怪人を、ジンが涙の浮かんだ目を睨み返す。
「……暫く俺の前に鏡を持ってくるな。 さもなくば聖戦を仕掛けるぞ」
なお、スールマーズとジンをのぞく全員が、身をよじるほど笑い転げていたのはここだけの話である。




