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千夜の晩餐  作者: 卯堂 成隆
第七夜 人騒がせな死人の話
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第八節 右手に手折られる者たち

 ――さぁさぁ、見ていっておくれ。

 アカラド人との混血の娘だよ!

 ご存知の通り、かの部族との間に生まれた娘は利口で聡明だ!

 夜の相手にはちと不向きな面相だが、家事を任せるならこれしかない!


 ――ちょいとお待ちよお兄さん!

 うちの娘はサランシュの生まれだよ!

 見た目もなかなかの器量よしだが、夜の臥所で神より与えられし勤めに励むなら、麝香の香りの汗をかく!


 さぁさぁ、見ていっておくれ……


「これが奴隷市場か……」

 はじめてみる奴隷市場の喧騒に、ジンは柄にもなく呆然と立ちすくんでいた。

 奴隷をよく品定めしたいからであろうか、そこは他の商品と違って屋根の無い広場となっていて、砂漠の強い日差しが容赦なく照りつけている。

 だが、その場の空気はバザールの中よりも黒く淀んでいるように見えた。


「フン、はじめて見たのか。 この庶民上がりが」

 そんなジンの様子を横目で笑いながら、カンマカーンはスールマーズらしき女性を探すと同時に、何か掘り出し物が無いかと目を走らせる。


 そこに並んでいるのは肌の黒い者が多く、さらに女性が多い。

 ほとんどが別の国から船で運ばれてきた者達だ。

 神の定めた法によれば、奴隷として扱うことが認められるのは2種類。


 一つ目は、すでに奴隷である者を買い取った場合。

 これは貧しい身分の人間が、自らを対価に金を稼ぐというものだ。


 買い求められた奴隷は最初に「自分で稼ぐか、主人に養ってもらうか」を選択する。

 そして奴隷の同意が無い限り、主人は自分のために金を稼いでくるよう命令する事はできないのだ。


 この奴隷はいわばエリートであり、場合によっては将軍や宰相になることも出来る。

 さらに必要な金額を溜めることが出来れば、奴隷から開放されることが出来るのだ。


 ただし、途中で無能の烙印を押された奴隷がどのような末路を辿るかも忘れてはいけない。。

 奴隷であることを解除された彼らは、扶養義務からもはずされてしまう。

 そうなると、あとは物乞いや乞食となるしか生きる道は無いのだ。


 そして二つ目は、神の教えのための戦いである聖戦によって制圧された地域の人間達。

 単なる略奪行為によって奴隷を手に入れる事は固く禁じられているのだが、強欲な人間と言うのは詭弁にも長けているもので……

 これを、宗教が異なる国の人間は奴隷にしても構わないという解釈をしている人間が少なからずいるのだ。

 そのため、ここに売られている奴隷のほとんど……特に黒人奴隷たちは国外に出た商人たちが奴隷狩りや誘拐、詐欺などで連行してきた者である。


 これこそが、この国のある地域の商人達が、他の地域の国々から忌み嫌われる所以であった。

 そして被害者である奴隷達はというと、商人が広げた絨毯の上に裸で立ち、客たちの無遠慮な視線を浴びて、重労働に耐えられるかを品定めされている。


「どうもこういうのは苦手だな……」

 苦笑いに失敗し、ジンはその野趣あふれる顔に明らかな嫌悪を僅かにのぞかせた。

 ……とは言っても、この世界の奴隷は日本人が想像するほど酷い扱いではない。

 どちらかといえば契約社員のようなものと考えるほうが的確で、ジンが日本にいた頃に見聞きしたブラック企業の社員のほうがはるかに扱いは悪い。


 そして神が定めた法典にも奴隷に対する福祉がはっきりと記されており、奴隷に教育をほどこし、解放し、結婚した者には、天国でさらなる祝福があるという。


 そんな事を考えていると、不意にジンの腕が誰かに掴まれた。


「兄さん、いい男だね! どうだい、ここに来るって事はアッチのほうもたまってるんだろ?

 いい娘が揃ってるよ!」

 なるほど、どうやら奴隷商人に雇われた呼び込みのようである。

 どうやら、夜の相手か嫁にするための奴隷を探しに来たのだと勘違いをされたらしい。


 だが、その瞬間……つめたい氷のような気配が呼び込みの男を襲った。

 とっさにジンの右手が短刀を引き抜き、振り下ろされた斬撃とぶつかってガキンと大きな音を立てる。


「カンマカーン、なにもいきなり腕を切り落とそうとする事はないだろう?」

 だが、カンマカーンはジンの問いに答えず、抜き身の剣を構えたままギラギラした殺気のこもる目で呼び込みの男を冷たく見下ろす。


「……おい、そこのゴミ。

 こいつはお前が扱っているような端女なんか相手にしない」

 太陽の光を背に抑揚の無い口調で呟かれた言葉は、地獄から死神が呼んでいるような錯覚を覚える代物だった。

 この男……ジンに対する無礼にかこつけて切り捨てる気だったのである。


「ひっ、カンマカーン様!? ご、ご無礼を……」

「勝手に口を利くな、虫が」

 即座に跪いた呼び込みの男を、カンマカーンは路傍の石のように蹴飛ばした。

 いや、実際にその程度の認識なのだろう。


「いちいち貴様の相手などするつもりは無いが、喜べ。

 お前に仕事を与えてやろう。

 今すぐここの支配人を呼んで来い」

「た、ただいま!!」

 面倒そうに言い放ったカンマカーンから逃げるようにして、呼び込みの男は市場のどこかへ駆けていった。

 おそらくジンが庇うことも含めて全て計算ずくでやったのだろう。

 効率のよいやり方ではあるが、気持ちの良いやり方ではない。


「なんだ獅子男。 文句がありそうだな」

 そんな気分が顔に出ていたのだろう、カンマカーンが不機嫌そうな顔でジンを振り返る。


「……いや、特に無い。

 ただ、あまり奴隷という制度になじみが無いだけだ。

 俺の住んでいたところには、何日も睡眠時間なしで働かされる家畜以下の人間はいたが、名目として奴隷自体は存在しなかったのでな」

 思い返せば、ずいぶんと酷い世界に住んでいたものである。


「奴隷として守ってももらえないのかい。 そいつは地獄のようなところだねぇ」

 胡蝶(パルヴァネハ)の呟きに、ジンは反論する事はできなかった。

 改めて考えると、罪を償うという理由があるだけ地獄のほうがマシなのだろう。


「だが、少しここも少し空気が悪いようだ」

 そしてジンは大きく息を吸うと、広場の隅から隅まで響くような声で聖典の一部を口にした。


「またあなたがたの右手が持つ者の中に証を求める者があって、あなたがたがかれらの善良さを認めるならば、その証を書きなさい」

 右手が持つ者とは、誰かが所有する奴隷のことだ。

 これは奴隷の虐待を戒め、そこから開放することを良しとする神の言葉を説いた部分である。


「そして神があなたがたに与えられた資財の一部をかれらに与えなさい」

 突如として聞こえてきた声に、ある者は恥じて俯き、ある者は憎憎しげに睨み返す。

 それは、この奴隷市場が正しく神の名に恥じない行いをしている場所ではないという証明であった。


 さらに、それが地獄と天国の選別が行われた瞬間であることを、自分の取り分が増えたとひそかに喜ぶ黒衣の怪人いがいにこの時は誰も知る由はない。

 奴隷市場から多くの人間が姿を消す事となるのは数日後の話である。


「……奴隷の娘たちが貞操を守るよう願うならば、現世の果ない利得を求めて醜業を強制してはならない。

 かの女らが仮に誰かに強制されたなら、神がやさしく罪を赦し、いたわって下さるだろう」

 ジンが祈りの言葉をそう締め括るとほぼ同時に、一人の男が目の前に現れた。

 おそらく、この男がこの奴隷市場を支配する人間か、その代理の人間なのだろう。

 

「御光の章、33節ですな。 この場で聞くには、少々耳に痛いお言葉です」

 顔に傷のある強面ではあるが、男の声は酷く穏やかで紳士的であった。

 その様子に少し安心すると、ジンは率直に自分がやってきた用件を告げる。


「この場所に、俺の知っている女性がかどわかされ持ち込まれた」

「それは……困りましたな。

 その女性のお名前をお伺いしても?」

 男の目が、カンマカーンに向かって困ったように向けられる。

 なぜ貴方を差し置いてこの男が用件を告げるのか? ……といいたいようだ。


 だが、カンマカーンはそんな事もわからんのかと馬鹿にした視線を男に返す。

 なにぶん公の場を好まないため、この自由きままな男の正体がこの街の首長(ハーキム)であるということを知る者はまだとても少ないのを知っての上での振る舞いだ。


「探している女性の名はスールマーズ。 ただ、ここに持ち込んだ罪人は彼女の名前を知らないはずだ。

 おそらく、今も死人のように鼓動を止めたまま意識を失っていると思う」


 ――この男、何者だ?

 正体こそよく分からないが、あのカンマカーンを差し置いて話しを進めている以上、おそらく粗略に扱ってよい人間ではないだろう。

 そう判断すると、奴隷市場の首長(シャイフ)は出来るだけこの男に対して丁重に接することにした。


「す、すぐにも行方を捜しましょう。 ただ、速やかにお返しできるとはお約束できません。

 なにぶん、ここは商人達の摂理で動く場所でございますから」

 つまり、彼女を買い求めた人間との間で交渉が必要との事である。


 さらに、この国の文化は交渉事を楽しむ傾向にあり、しかも時間に囚われることをよしとしない。

 ――急ぐのは悪魔の仕業。

 この格言が、この国の性質を如実に物語っていた。


「時間がかかりそうだな。 話し合いの場所も提供してもらっていいか?」

「お任せください」

 ニッコリと笑うジンに、奴隷市場の首長(シャイフ)は引きつった顔で頷く。


 やがて意識の無いスールマーズと共にやってきたのは、異教徒の服を身に纏う強欲そうな商人であった。

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