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千夜の晩餐  作者: 卯堂 成隆
第七夜 人騒がせな死人の話
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第六節 目には目を、毒には毒を

 ジン、有無を言わさず仕立て屋の厨房に入り込む。

「さて、さっそく調理を始めるが……危ないからしばらく厨房から離れていろ」

「危ない?」

 ジンが魚の下ごしらえを始めると、何か鋭い物が飛んできた。

 ドスっと音がしたかと思うと、壁に何かが刺さっている。


「うわっ!?」

 正体は、魚のうろこ。

 一枚が子供の掌よりも大きく、縁がナイフのように鋭い。


「触るなよ。 人間の皮膚ぐらい簡単に引き裂くからな」

「ジンさん、これもらってもいいデスか?」

「構わんぞ。 さすがにそこは食べる部分じゃないからな」

 貴重な生物のサンプルだと喜ぶアイディン。



「さぁ、まずは身の柔らかい腹の部分をスープにしよう。

 作るのは……広州料理の例湯(リータン)だ。

 もともと決まった作り方の無い料理だが、俺はいつも日本料理の技術と組み合わせて作っている」

 そう告げながら、ジンは魚の切り身に塩をすり込み、暫く時間をおいてから熱湯で丁寧に洗い流した。

 こうすることで、魚の臭みがかなり消えるのである。


 続いてジンは鍋に下ごしらえをした魚を入れ、どこからともなく取り出した清湯と呼ばれる透明な鳥のスープを注いだ。

 これが昆布出汁ならば、そのまま白身魚のお吸い物である。

 そして薄く斬った生姜を一枚と、ネギを入れて弱火にかけた。

 和食に近いものに関しては、できるだけ香味野菜の類をできるだけ使わないのがジンのこだわりである。


 やがてアクを取りながら沸騰寸前まで鍋の温度を上げると、生姜とネギを取り出して一度火を止め、切り分けた青梗菜を入れてそのまま分厚い毛布で包んだ。

 こうすることで野菜を余熱で調理し、魚をごく低温で調理することで風味を良くするのである。

 煮込み系の魚を美味しく調理するコツは、できるだけ低温で調理すること。

 そして、一度にできるだけたくさん作ることだ。


 そしてしばらく次の料理の作業をしたあと、ジンはおもむろに毛布を解いて中の鍋を取り出した。


「まぁ、本当はもっと時間がかかる料理なんだが……神がそうお望みになるならこのように仕上がる」

 そう言いながら鍋の蓋を開いた瞬間、殺人的な香りが部屋を襲う。


「む、むむむ、な、なかなかよい匂いではないか」

「涎垂れてますよ、カンマカーンさん。

 それにしても、ジンさんは香りで私を殺す気ですか!

 こんなの我慢できるはず無いデよ! さぁ、今すぐ私にその魅惑的なスープを!!」

 舌の肥えている二人だからこそ、この料理の奥深さが理解できるのである。

 同時に魚の身を損ねることなく切断する技術、その厚みの調整、塩の加減、熱を加えるタイミングと温度管理、それらにが完璧であり、どれだけ高度な見切りでもって調理されているのかが、どれだけ美味なものが出来上がっているのかがわかってしまうのだ。


「これ、本当に魚のスープなのか?

 ぜんぜん魚臭さが無いし、なんというか、上品過ぎてもうわけがわからないんだが……」

 そして舌の肥えていない仕立て屋も、そのスープが今まで食してきたものとは別次元にある物であることを、陶然とするような香りから強制的に理解させられている。

 なるほど、女王の料理人と言うのはこうも凄まじいものなのかと。


「さぁ、まずは最初の一品……蘇眉例湯スーメイリータンだ。

 舌を火傷しないようにして食べてくれ」

 そしてジンがそのスープの入った器を配り終えると、その場に沈黙が訪れた。

 あまりにも美味すぎて、声を上げることももどかしいのだ。


「獅子の旦那、いったいこれは?」

 ようやく戻ってきた胡蝶(パルヴァネハ)が部屋に入ってくると、そこは粋の音すら聞こえてくるような沈黙の中にあった。


「気にしなくていい。 それよりも、料理が冷める前にお前も食え」

「その前に、これを……」

 そう告げると、胡蝶(パルヴァネハ)は手にしていた袋の中身をジンに見せる。


「やはりか」

 眉間に深い皺を刻みながら、ジンは静かにソレの冥福を祈った。


 袋の中にあったのは、まだ幼い猫の死体。

 胡蝶(パルヴァネハ)はそれを仕立て屋の出したゴミの近くで見つけたのだった。

 おそらくそこに仕込まれていた眠り薬が、その小さな体には強すぎたせいであろう。


 ここから導き出される答えはそう多くは無い。

 おそらく仕立て屋は、スールマーズに眠り薬を盛って奴隷商人にでも売り飛ばそうとしたのだろう。


「おい、お前ら現実に戻って来い。

 そろそろ次の料理ができるぞ」

 すると、料理と言う言葉に反応し、放心していた三人が正気に戻る。


「……あれ? 綺麗なおねえちゃんは?」

「はっ、ワタシは今何を?」

「く、くそっ、俺としたことが!」

 そんな様子をクックッと喉の奥で笑いながら、ジンは次の料理を持ってくる。

 少量ずつでは在るが、野菜の炒め物に蒸しシュウマイなど、いつのまにと思うほど手の込んだ料理が次から次へと現れて、胡蝶(パルヴァネハ)も加わった四人は夢見心地でそれらを食べ続けた。

 文句があるとすれば一皿に乗っている料理がやや少ないことであるが、種類が多いので彼らはそれを意識する暇も無い。


 同時に、飲茶の作法としては順番が間違っているが、ジンは料理の合間をぬって思い出したように普?(プーアル)茶を淹れた。

 ――まぁ、ここは広州ではないのだから多めに見てもらおう。

 

 そしてジンは神の恩寵とばかりに、日本では入手の難しい、茶葉の酵素だけで醗酵させた生茶、しかも十年物の高級品を取り出した。

 一杯目を作法に従って捨て、ジンは大きな薬缶から使い切る分の湯を急須に注ぐ。

 何度もお湯を入れて楽しむ茶なので、出涸らしにならないよう急須に湯を残さないのが美味しく楽しむコツなのだ。


 そしてこの国の作法に則り、皆が会話を楽しみながら食事を始めると、ジンは再び厨房に戻って行くのだった。

 

「次は清蒸蘇眉魚チンヂォンスーメイユイ、唐辛子を醗酵させた特製のソースと一緒に蘇眉魚(ナポレオンフィッシュ)を蒸し上げた逸品だ。

 蘇眉魚(ナポレオンフィッシュ)を食べるなら、これだけは絶対にはずせない」

 そう告げると、ジンは切り分けた蘇眉魚(ナポレオンフィッシュ)の上に赤や緑の細かい唐辛子の漬物を載せて蒸した料理を運んできた。


「ほほう、ずいぶんと言うではないか」

「でも、ジンさんがそこまで言うのならよほどのものなのでしょうねぇ。 実に楽しみです」

 いつも喧嘩腰のカンマカーンですら無意識に足を小刻みに動かして期待に震え、仕立て屋と胡蝶(パルヴァネハ)にいたっては、目を爛々と輝かせながら無言で待ち構えている。


「まぁ、食って驚け」

 そんな言葉と共に皆の前に皿が配られ……そして再びその場に沈黙が下りた。


「おーい、寝るな。

 次は酸湯魚だぞ。 蘇眉魚(ナポレオンフィッシュ)の頭とカマをトマトや豆腐と一緒にあっさり目のピリ辛スープで煮込んだ鍋料理だ。

 後半は味が濃くなりすぎるから、ミントやアッサリ系の香味野菜を投入する。

 腹が膨れていても容赦なく食欲を刺激してやるから覚悟しろ」

 ……とまぁ、こと食べることに関してこの男は鬼のように容赦が無い。


 そして皆が満腹で全員沈没舌頃を見計らい、ジンはにやりとわらってこう告げたのである。


「あぁ、ちなみ腹が痛かったり頭痛がしたりはしてないか?

 実はこの魚には、たまにシガテラ毒といって恐ろしい毒を食べながら成長する個体がいてな。

 その毒にあたって死ぬ奴がいる」

 その瞬間、全員が目を見開いて苦しげな声を上げながら起き上がった。


「き、貴様……はかったな!」

「獅子の旦那、酷い!!」

「てめぇ、なんてことを!!」

 三人は過剰な満腹でフラフラと師ながらもジンに詰め寄る。

 よほど切羽詰っているのだろう……その後ろで黒衣の怪人が声を出さないようにして笑い転げていることにまったく気づかない。


「はっはっは、まんまとかかったな?

 この毒は、恐ろしいことにすぐには死なないのだ。

 一年ほどは苦しみ続けた挙句に死んで行く。

 俺に悪意を抱いたことを後悔するがいい」

 恐ろしいほどの棒読みなのだが、


「おのれ、この卑怯者!」

「み、見損なったわよ!!」

 だがその時、カンマカーンと胡蝶(パルヴァネハ)の後ろにいた仕立て屋が、驚くべき言葉を口にした。


「くそっ、なんで俺が魚に毒を盛ってあの女を殺しちまったことがわかった!!

 これは意趣返しのつもりか、この悪魔め!!」

 その台詞に、思わずカンマカーンと胡蝶(パルヴァネハ)が振り返る。


「殺したですって?」

「ケッ、いい女だから眠らせて売り飛ばそうと思ったが、睡眠薬入りの魚料理を食っているうちにぱったり倒れて、様子を見たら心臓が止まってやがる! 畜生、大損だ! あの疫病神め!!」

「で、その死体をどうしたんだ?」

 涙交じりに叫びながら机を殴る仕立て屋に、ジンはまじめな口調に戻って問いかけた。


「裏家業で死体処理をやっている医者に頼んで処分してもらったよ! 今頃はバラバラにされて内臓ごとに瓶に詰められ薬局に並んでるだろうさ!」

 その瞬間、アイディンがけたたましい声で笑いはじめ、ジン以外の全員が何事かと目を丸くする。


「……アイディン、一応聞くが完全にエネルギーが切れている思うか?」

 ジンがものいいたげな視線と共に黒衣の怪人を振り返ると、アイディンは大きく呼吸して粋を整え、ゆっくりと体を起こした。


「ヒィ、ヒィ、ああ、本当によく笑いました。

 しかし、貴方には本当におどろかされますねぇ。

 どこまで正体に気づいているんです?

 あぁ、答えを聞きたいわけではありませんからご心配なく。

 それと、スールマーズは貴方の予想通りただの休止モードですヨ。

 まだ完全にエネルギーが枯渇するほど動いた形跡がありませんから間違いありません」

 その言葉に、ジンは大きく頷く。

 そしてようやく胡蝶(パルヴァネハ)もこれがジンの狂言であることに気がついた。


「獅子の旦那、意外と性格が悪いね」

「だが、そこが魅力的だろ?」

 ニヤリと笑うその顔に、胡蝶(パルヴァネハ)は参ったとばかりに両手を挙げる。


 ――だが、未だに状況がよく分かっていない奴がここに一人。

「お、おい獅子頭! 毒を、毒を解除してくれ! 思えの望むものを何でもくれてやる!

 くそっ、手足がしびれて……」

 未だに騙されていることに気づかないカンマカーンが、冷や汗をダラダラと流しながらジンの足に縋りつく。


「そんなわけないだろうが、阿呆。 この俺が自分の作った飯に毒など入れるか」

 カンマカーンの頭をジンがポカリと軽く殴りつけると、この自尊心の高い青年は暫くキョトンとした顔になったあと、顔を真っ赤にしてジンにして叫んだ。


「騙したな、この卑怯者め!!」

 その直後、仕立て屋の作業場の壁に大きな穴が開き、牛を絞め殺すような声が近隣に響いたのは言うまでも無い。

【シガテラ毒】

 釣りを趣味とする人には是非知っておいてほしいのですが、南の海にはシガテラ毒というものがあるのです。


 これは珊瑚礁に住む微生物によって発生する毒ですが、海の魚がこの微生物を捕食することによって体内にその毒を蓄積してしまうという性質があります。

 そしてその毒は上位捕食者となるほどに凝縮し、それを食べた人体に多大な被害を与えるのです。

 しかも、その症状はすぐに中和できず、完全に回復するまで1年ほどかかるのだとか。


 しかも、この毒の被害地域は温暖化によって北上する傾向にあり、紀伊半島や伊豆諸島でもこの微生物の繁殖が確認されております。

 簡易キットなどでその毒の有無を調べることも出来るようなので、イシガキダイなどを釣って食べる際は留意しておいたほうが良いかもしれません。

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