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千夜の晩餐  作者: 卯堂 成隆
第六夜 聖なる三つの門の話
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第八節 第一の門と神の思し召し

 その頃……シェヘラザードは苛立ちと激怒をブルカで隠しながら、声だけは上機嫌を偽ってサルタン王国の使節と向かい合っていた。


「ほう、それで貴殿の国の琥珀はこのような色をしておるのじゃな」

「はい、私どもの国の中でも、その鉱山からはこのように真っ赤な色をした琥珀が採れるのでございます」

 紺と赤を基準とした、伝統的かつ目の細かい絨毯の上には、サルタン王国の使者から献上された血のような色の琥珀が並べられている。

 この世界で取れる琥珀の中でも、千に一つといわれる珍品だ。

 だが、確かに美しい代物ではあるが、同じ赤であるならば、ジンの初めて差し出した石榴(ざくろ)のシャルバードのほうがシェヘラザードは好きだった。


「ずいぶんとご執心だな。 そんなにお好きならば、気に入ったものを一つ選んでも構わぬぞ」

 シェヘラザードは隣で食い入るようにして宝石を見ているアズーラ夫人に目をやり、半ば呆れたような声を浴びせる。


「まぁ、この中から一つを選べと? 殿下はむごいことをおっしゃいますのね」

 つまり、全部欲しいということか、この欲深め!

 ブルカの奥で歯をむき出しながら、シェヘラザードはこの邪魔者に向かって唇を『死ね』と叫ぶ形にゆがめる。

 こんな時ばかりは、この面倒なブルカの存在もありがたい。


「少し疲れた。 しばし奥で休みたいのだが」

「では、私もご一緒しましょう」

 シェヘラザードはなんとか独りになろうとするのだが、そのたびにアズーラ夫人が蜘蛛の糸のようにくっついてくる。

 お陰で女王は、ジンが無事に戻ったかどうかの報告ですら受けとることが出来ないでいた。


 ――おのれ、この妖怪ババァめ。

 僭王を即位させた罪こそあるものの、大きな地方を治める有力な首長(ハーキム)の姉であり、ネマーン王の側室でもあったために現女王であるシェヘラザードですら無碍には扱えない。

 そんな感じで時間は流れるように過ぎてゆき、シェヘラザードは三つの門の何たるカを知ることも出来ぬまま、やがてサルタン王国の使節を迎える式典も最後の会食を残すところとなってしまった。

 未だにジンの姿はなく、シェヘラザードの顔にも時折焦りが浮かぶ。

 だが、それでも彼女は信じていた。

 なぜなら、あの男がやると言ったのだから。


「さて、女王閣下。 そろそろ宴もたけなわですが、そろそろお願いしていた三つの門の逸話についてお話をお伺いできませぬか」

 見れば、アレーゾ夫人がニヤニヤといやらしい笑みを隠そうともせずにこちらの方を見ている。


 ――ジン、お前でも駄目だったのか? まぁ、いい。

 アレーゾよ、この程度でこの私を追い詰めたと思ったら大間違いだ。

 あらかじめ考えておいた作り話で強引にこの場を切り抜けてくれる。

 どうせそれが真実であるかどうかなど、誰も確かめる事は出来ないのだからな!


「……その話か」

 シェヘラザードが勧進帳よろしくそれらしい作り話を披露しようと決めたその時だった。

 バァンと、大きな音を立てて宴席の部屋へと続く扉が開かれる。

 そしてそのドアの向こうに見慣れた大きな体を見つけ、シェヘラザードは不覚にも涙ぐみそうになった。


「皆様、大変恐縮ではございますが、ここで一つ余興をごらんいただきたく思います」

 まるで暗雲を払う風のように力強い声が、壁も床もビリビリと震わせる。

 その嵐の化身のような男は、紛れもなく麻戸(あさど) (じん)その人であった。


「サルタン王国の使節の皆様におきましては、この国の大后ハトゥ閣下がかつてシャルカーン王子に語ったとされる三つの門についてお知りになりたいとの事。

 そこで我が女王シェヘラザード陛下はただ語るだけでは趣に欠けると申しまして、この私めに料理としてそれを示せと仰せになりました」

 するとジンは、その大きな体を横に移動させて、背中に隠れていた人物に道を譲る。


「ただ、この料理人に過ぎないわたくしめが徳を語るなど不遜と言うもの。

 そこで皆様に法を語るにふさわしいい方をお連れしました。

 では、聖者(ワリー)ムバラク殿、お願いします」

 前に進み出たのは、白い衣服に身を包んだ生真面目そうな壮年であった。

 かの黒衣の怪人アイディンが起こした事件で知り合ったこの国でも数少ない本物の聖者(ワリー)であり、ジンを巨鳥の上まで打ち上げた魔術師の元師匠にあたる人物である。


「では、語らせていただこう。

 まず、三つの門とはいかなるものであるか?

 それは形ある門にはあらず。 人生において人々が辿るべき正しき道へと続く、神のつくりたまいし心得の門である」

 聖者(ワリー)ムバラクは音もなく前に進み出ると、巌のような声でそう告げた。


「そして第一の門、それは処世術である。

 処世術とは、世界をいかにして治めるかと言うこと。

 まこと正しき預言者もこう言い残された……国を治めるということは、権威と智を汚さぬようにすることであると。

 国を正しく治めようとする情熱には、権威と智という受け皿が必要であるということだ。

 ゆえに神はこの門を大きさを人の大きさにあわせて定め、その人が自らの姿を知ることが出来るように、その扉を鏡のように磨いておかれる。

 その理解を深めるために、逸話を披露しよう」


 ――これはとある国の王が我が子に向けた手紙の話。

 その文面にはこのように記されていた。


 おお、我が子よ。 情に流されて政治を行ってはいけない。

 それはお前の権威を失わせることだろう。


 されど我が子よ、酷薄に振舞ってもならない。

 それはお前の下にいるものに反抗の心を育てるだろう。


 また、ある男は別の王にこう告げた。

 ご自身の犬を常に侍られておきたいならば、その犬を常に飢えた状態にして置きなさいませ。


 王が怒りの目を向けると、男はさらにこう言った。

 けれど通りすがりの者が閣下の犬に食べ物を差し出さないようにもご注意なさいませ。

 なぜなら、犬は閣下の傍を離れて通りすがりの者の後を追いかけるでしょう。


「つまり外の上に立つも者……王とは常に臣下の者を正しく扱い、彼らの心を惹き付ける人徳を持っていなくてはならぬ。

 これを人々に知らしめて鎖のごとく形にしたものが智である。

 そして王とは常に臣下の者から恐れ敬われ、他者が臣下のものを惑わすことを許してはならぬ。

 この人を守る盾の如きものこそが権威である」


 そこまで聖者(ワリー)が語ったところで、再びジンが前に出てくる。


「そこで用意しましたのは、魁偉なる食べ物……その名も異国の言葉にて石塊の王を意味する菓子、ガレット・デ・ロワでございます」

 すると、王宮に勤める侍従たちの手によって運ばれてきたのは、大人が腕を伸ばしても一抱え切れないほどの大きさをした巨大な焼き菓子であった。


 表面には人をひきつけてやまない智の多様性を表すように細かく美しいアラベスク模様を刻んであるが、まるで神の権威に穢れがないことを示しているように余分な色をつけず、ただ一色のみで形作られている。

 人々は、その大きさと美しさに驚き、言葉もなくその成り行きを見守りつづけた。


「では、早速この菓子を切り分けたく思いますが……ここでさらにひとつ趣向を凝らしましょう」

 ジンが目配せをすると、聖者(ワリー)ムバラクが一つ頷き、よく通る声で神への祈りを口にする。


「神よ、御身は偉大なり!!」

 その祝福の元、ジンは巨大な包丁を抜き放って一瞬でこの巨大な菓子を切り分けた。

 あまりにも鮮やか過ぎて、その場にいた詩人ですら何かに例えることも出来ず、困り果てるほどの手際である。

 だが、その業前に口をはさむ者がいた。


「なんだ、ずいぶんと形が不揃いじゃないか」

「これはカンマカーン殿、いかにもこの菓子はわざと不揃いに切り分けてございます。

 実はこのガレット・デ・ロワ……本来は占いをかねておりまして、この中に1つだけフェーヴと呼ばれる陶器の飾りが入っているのですよ。

 食べたときにその飾りが出てきた物が、最高の幸せを得られるというものですが……今回はこの中でもっとも智に穢れなき者のところにその飾りがゆくように、神の祝福を頂きました。

 なにぶん、人の身で智と権威を図ることなど出来るはずもありませんから」


 そう言いながら、ジンは並み居る客をぐるりと見渡す。

「さて、並み居る皆様はどの部分を選びますかな?」


 ほとんど返り討ちになったような形であるが、カンマカーンはなぜかギラついた目をしたまま嬉しそうに笑った。


「神は占いなどと言った世迷い事は好まぬが、心清き者に形をもって報いることを厭う事はない。

 さぁ、われこそはと思う者はこの菓子を口にしてみよ!」

 そして聖者(ワリー)ムバラクが朗々とした声でそう告げると、ジンはまず意趣返しとばかりにサルタン王国の使節に目を向ける。


「よろしければ、まず客分であるサルタン王国の方々からお選びください」

「……いただこう」

 むろんアレーゾ夫人の謀略に加担した彼らの智に、神の尊ぶ清らかさなど有りはしない。

 だが、客に最初の料理を振舞うのは礼儀にもかなう行動であり、彼らは断る理由を思いつくことも出来ず、なけなしの良心に心を痛めながらぎこちない笑みを浮かべて菓子を手に取る。

 その様子を見ていたシェヘラザードは、自らの太股をつねりあげ、必死で笑いをこらえていた。


「では次は誰が?」

「妾が頂こう、 そこな料理人、許す。 近う寄れ」

 そう告げたのは、なんとアレーゾ夫人であった。

 なるほど、これはたいしたふてぶてしさである。


 そしてジンが菓子を手渡すと、アレーゾ夫人はジンの男らしい大きな手に偶然を装って指を這わせ、好色な視線を彼の横顔に注ぐ。

 なるほど、これはたいした俗物だ。


「おい、料理人。 僭王の息子である俺にもこの菓子を食べる権利はあるか?」

 その自嘲とも場を壊す狼藉ともつかない台詞に、この会食の参会者がギョッと目を見開く。

 自らの母の浅ましい姿を面白くもなさそうに見つめながら名乗り出たのは、この席において最も招かれざる客であろう巨漢……カンマカーンだった。


「無論でございます。 僭越ながら申し上げますと、僭王の息子がどうしたというのです?

 偉大なる神は自らの懐に飛び込むものを避けることはありませんし、誰であろうとも縋る者を突き放したりはいたしません。

 私は神が振舞われるように貴方に対しても接しましょう。

 いわんや、智を求める者に貴賎などありますでしょうか?

 御身が智に、誉れがありますように」

 おそらくはアレーゾ夫人のコネでここに潜り込んでいるのだろうが、本来なら追放刑をくらった男がここにいることを不満に思う者は少なくないらしく、鋭い視線が何箇所からか飛んでくる。

 だが、視線ごとき出この男が毛ほども傷つくはずもなく、ジンの取り分ける前の皿から菓子を摘み取り、そのまま一口で噛み砕いた。


「……残念、外れだ。 お前も試してみたらどうだ?」

「大変恐縮ですが、私は客の立場ではありませんので」

 あくまでも使用人としての立場を偽りながら、ジンはそのまま次の客へと菓子を運ぶ。

 そして誰もフェーヴを引き当てることなく、ジンは最後の客の前にたどり着いた。


「なんと、我が最後であるか」

「はい。 偉大なる女王陛下の智ことが、もっとも清らかであると信じておりましたから」

 そこに残されていたのは、あの巨大な菓子の縁に当たる、ほんの小さな一片であった。


「まったくこしゃくなことを抜かす。 だが、その忠義は悪くない」

 皆が見守る中、女王はその小石(ガレット)の欠片を口にする。

 そして、息の音すら聞こえるほどの沈黙の中、彼女の口からカリッと小さな音が響いた。


「……見よ、王冠である」

 彼女は口から小さな王冠の形をしたフェーヴを取り出し、その場の客に見せ付けた。

 その瞬間、周囲から割れんばかりの歓声が響き渡り、女王万歳の声がこだまする。


 この場にて、女王の智に穢れがなく、最も権威に優れていることが示された瞬間であった。

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