第七節 貴様の度肝を抜いてやろう
大后ハトゥとの話が終わり、その話をメモに記し終えると、世界はすっかり明るくなっていた。
「さて、帰るか……」
用件を終えた以上、いつまでもここにいるわけには行かない。
むしろサルタン王国の使者がくる時までさほど時間は残されていなかった。
だが……
「何をしにきた。 その体で喧嘩でも売りに来たのか?」
ジンの前に、馬に乗った一人の武人が現れる。
並外れた体格をもつジンと並んでも見劣りしないその屈強な体は、同考えても見間違いようがない。
先日公衆浴場で喧嘩をした相手、カンマカーンその人であった。
すわ、先日の復讐にでもやってきたかと思いきや、彼はニヤニヤと笑いながら首を大きく横に振る。
「まさか。 先日の怪我もまだ痛むし、己の実力ぐらいわきまえている。
今日はお前に大切なことを教えてやりにきただけだ。 むしろ感謝するがいい」
「何だと?」
そこだけ切り取れば善意のように聞こえるだけに、それは恐ろしくいかがわしい台詞だった。
警戒を強めて強張るジンの顔を気持ちよさそうに眺めながら、カンマカーンは腕を大きく動かしながら、芝居かかった調子で毒を吐く。
「ここから西に一日ほど進むと村がある。
湿地の多い水辺の村だ。
その湿地にはお前が昨日倒したマスーラという化け物が多く生息していてな……」
「それがどうしたというんだ」
その説明をさえぎるようにジンの苛立たしげな声が飛んだ。
彼の背筋を、千の蛆虫が這うようにおぞましい気配が撫で回す。
「俺の部下を通じて、村人たちには隣村を救った獅子の精霊という男がこの村を助けに来ると伝えてあるんだ。
そして今、俺の部下とその村の住人がマスーラをおびき寄せる香りのする煙を炊いている。
……何をすべきかは言うまでも無いよな?
これで10年はマスーラの脅威に怯えなくてもすむと、村人たちは大喜びだぞ」
だが、ジンが駆けつけなければ大勢の村人が死ぬ。
つまり、シェヘラザードの立場と村人たちの命を天秤に掛けろと言いたいらしい。
「ご高説どうも。 だが、俺が無視するとは思わなかったのか?
その村を救ったところで、お前たちの企みが通れば何倍もの人が苦しむことになる」
はらわたが煮えくりかえるような怒りを押し殺し、ジンはきわめて冷静を装ってそんな言葉を相手に返した。
その賢明にして冷酷な言葉に、カンマカーンは我が意をえたりとばかりに膝を打つ。
「そうなのだ! まさにその通り!!
王としてならばお前の言葉はとても正しい! さすが俺を倒した男だとしか言いようがないな!」
歓喜に身悶えながらカンマカーンは馬を降り、悪鬼のような笑みを浮かべて嬉しそうにジンに顔を近づけ、鼻先が触れんばかりの距離でその目を覗き込む。
「だが、困ったことに微塵も疑う余地はないんだ。
拳を交え、完膚なきまでに敗北したからこそわかる。
俺が心から憎み、そして心から尊敬する獅子の精霊という男は、愚かしいほど情に厚いのだよ。
だから、たとえ計略だとわかっていてもそこに飛び込むのさ」
その顔に浮かぶのは、狂いおしいほどの強者への敬愛であり、それを上回るほどの嫉妬と悪意。
まるで鬼神を従えし魔霊のような表情は、常人であれば見ただけで気がふれてしまいそうなほど歪んだ生気に満ちていた。
「一つ聞くが、これはお前が考えた策か?」
感情を殺しきった顔で、ジンがふとそんな疑問を口にすする。
「まさか。 お前のことを報告したところ、我が母がこの策を俺に与えたのだ。
お前はシャルカーン王子とよく似ているのでくみしやすいらしいぞ」
なるほどと、ジンはその答えに一人で納得をする。
カンマカーンは良くも悪くも武人であり、同じ卑怯な妨害であってもやり方が違うはずだ。
彼ならば手勢を連れて取り囲み、闇討ちするような手段を選ぶだろう。
少なくとも、このような有効ではあるが陰湿な手を考える性格ではない。
「そうやってシャルカーン王子も殺したのか?」
「そんな事まで俺が知るか。
ただ、我が母はとても賢いのだ。 俺やお前よりも、ずっとな」
目を細め、怖気を感じるような笑みをむけつつも、ジンを見るカンマカーンの目には何かを期待するかのような色があった。
――この男、もしやこの俺がこの窮地を打ち破ることを求めているのか?
なんとも矛盾した考えに、だがそうとしか思えない彼の態度に、ジンは思わず笑い出しそうになった。
そうか、こんな勝ち方はお前も嫌だよなぁ。
なんとも武人らしい頭の悪さに、思わずにやりと笑みが浮かぶ。
「それは自惚れだな。 悪巧みで俺に勝とうなんぞ10年は早い」
「では、その勝利を俺に見せてくれよ。 出来るものならな」
まるで挑発するような台詞だが、もしかしたらこれはこの男なりの励ましだったのかもしれない。
それが意識した物ではなかったとしてもだ。
「先にテヘルの街に帰るがいい。 そして王宮で待て。
俺はかならず時間までにそこへ来る。
そして俺が勝利する瞬間を、目を見開いてしっかり見届けるがいい」
そう告げると、ジンは西を目指して走り出す。
やがて村が近くなるに連れてジンは何か巨大な気配がこの先に集まっていることに気づき始めた。
「カンマカーン、武勇伝を期待しているであろうお前には悪いが、少し効率よくやらせてもらうぞ」
誰にともなしに呟くと、ジンはその手に地球産の果物を呼び出した。
その名はアボカド。
およそ人が口にすることが出来るのは生命の神秘とまで言われるほどの猛毒を持つ果物である。
特に鳥や爬虫類に対しては少量でも致命的となり、それらにとっては悪魔にも等しい存在だ。
「ほぉら、お前らが食べた事も無い珍しい物を食わせてやろう! 喜べ!」
大きな口をあけたマスーラの群れに対し、ジンは容赦なくアボカドを投げつける。
そしてアボカドをいくつか口にしたマスーラは、5分もしないうちに苦しげな声をあげてもだえ始めた。
おぞましいことにすぐには死ねない。
おそらくは、その体の大きさと生命力ゆえに一日ほどかけて苦痛の果てに息絶えるであろう。
ジンはそのままマスーラの群れを突っ切ると、バリケードを軽々と踏み越えて村の中に着地する。
そして目を丸くしている村人たちの前でアボカドを山と積み上げ、有無を言わせぬ声で命令を下した。
「おい、そこのお前ら! こいつをマスーラの口の中に放り込め! すぐに動けなくなる!!」
半信半疑の村人たちではあったが、ジンの言葉に逆らえるような気概があるはずもなく、アボカドを手にしてヒョイヒョイとバリケードの向こうで口を上げているマスーラめがけて投げ込んだ。
そしてほどなくしてその効果が現れ始めると、オォと歓喜の声を上げて次々と憎きマスーラを退治を開始する。
幸い、マスーラには口をあけた状態で襲い掛かってくる習性があるらしく、アボカドという恐るべき武器を手にした村人たちに対しては成す術も無い。
そんな光景を見つめながら、ジンは村の広場に尽きることなくアボカドを積み上げ、誰もこちらを見ていないタイミングですばやく神の厨房へと入り込んだ。
これで興奮した村人に捕まって時間を取られることもないだろう。
あとはこの厨房の扉をテヘルの街のどこかに繋げてしまえば、サルタンの使節を迎える祭典の時間にも十分に間に合うはずだ。
……だが、それだけでは満足できなかった。
どうせ、ジンがシェヘラザードと打ち合わせが出来ぬよう、女王のほうにも何か仕掛けをしているに違いない。
だったら……全部ひっくり返してやる!
ジンは大后ハトゥの言葉をつづったメモを広げ、厨房の中で料理を考えながら、いつのまにか地球にいた頃に好きだった曲を手拍子と共に口ずさんでいた。
これはジンが派手な喧嘩を始める時の儀式、もしくは癖のようなものである。
二度足を踏み鳴らし、一度手を打ち鳴らす――その独特のリズムに身を任せながら、ジンは自分の血が熱く滾り始めるのを感じめていた。
同時に次々とアイディアが湧き上がり、策としてまとまってゆく。
「災厄の母アズーラか。 たしかに小賢しい女だ。
だが、俺と神の前には無力であることを、お前にしっかりと教えてやろう」
音楽のサビの部分を脳裏に奏でながら、ジンは立ち上がった。
「さぁ、お前らをアッといわせてやるぜ!」