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千夜の晩餐  作者: 卯堂 成隆
第五夜 叡智が奸智に勝利する話
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第三節 驚嘆の一夜

「ずいぶんと良い匂いがするではないか」

 ドアから顔を出した女は、店内を見回してほかに女性がいないことを確認すると、なぜかウンウンと満足そうに頷いた。


「なんだシェ……シェーラ。 さっき晩飯は食っただろ?」

 シェヘラザードといいかけて、ジンは慌てて適当な偽名を口にする。

 もっとも、ジンがそんな事をしなくとも、この店の客たちはそれが誰だかをよく知っていた。


「夜食が欲しくなったのだ。 何か作れ」

「へいへい。 あまり夜中に食うと太るぞ?」

 思わずそんな言葉を口にすると、ブルカから覗く目がジロリとジンの顔を睨みつける。


「そこに口出ししたいなら、せめて我が夫になってからにするがいい。

 ただし我に命令をできるだけの度量がなければ、その余計なことを言う唇を食いちぎるぞ」

 要するに、誰の指図も受けぬということだ。

 そのままシェヘラザードはツンと取り澄ました顔で店に踏み込み、勝手に空いている席に座る。

 続いてその後ろから、ドカドカと足音をたてて二人の武官姿の男たちが店に入ってきた。


「あぁ、もぅ、先に行かないでくださいよ……

 すいませんねジンさん。 止めようとしたのですが、どうしてもと言って聞かなかったんですよ」

「あ、俺たちにも何かよろしく! 腹減った!!」

「シャヒーンとミールザか。 今日はお前らの当番だったんだな」

 やってきた男たち――シェヘラザードの近習である二人に、ジンは少し哀れむような声をかける。

 いくら仕事とはいえ、こんな時間まで女王に振り回されるとは難儀なことだ。


「少し待ってろ。 さすがにこの時間だと余り物になるがな」

 ジンは余っていたターメリックライスに溶き卵を混ぜいれると、手を洗いなおしてから片手に掬った。

 そこにタマネギと一つのひき肉を炒めた料理の残りを挟み込むと、小判のような形に整えて熱したフライパンの上に置く。

 ジュッと食欲をそそる音と共に、スパイスと羊肉とタマネギの香りが漂い、飢えた三人の客は思わず唾を飲み込んだ。


「ほら、出来たぞ。 米団子(クフテ・ベレンジ)だ」

 差し出されたのは、イラン人がわが国の焼きおにぎりと冗談交じりに紹介する料理……綺麗に焼き目のついた黄色の肉入り握り飯である。

 本来ならばもっと大きな形に作る代物だが、今日は待ちきれない客のために調理時間を短縮すべく一口サイズにしてあった。


「美味そう! さっそく一口……」

「こら! 主を差し置いて真っ先に手を着ける奴があるか、このうつけもの!!」

「……うひっ、熱っ、美味ひ……熱っ!!」

 待ちきれなくてさっそく手を伸ばしたのは、お調子者のミールザ。

 すかさずシェヘラザードに頭を叩かれ、熱々の団子が一気に口の中に入ってしまったらしく顔を上にむけたまま奇妙なダンスを踊り続ける。

 そんな様子を苦笑ながら、ジンは付け合せのスープを三人に差し出した。

 

「えらく疲れた顔をしているな」

 やがて、ようやく三人が人心地つくと、ジンはコーヒーを出しながらシェヘラザードに声をかける。

 目元しか外に出ないブルカ姿なのに、よくそんな事まで分かるものだ。

 そしてコーヒーを受け取ると、彼女は疲れた声でボソリと呟いた。


「少しこの街で困ったことが起きていてな」

 シェヘラザードの語るところによると、なんでもここ数日の間に百件近い火災が発生しているらしい。

 しかも、街の中で水タバコの中身が突然アルコールに変わり、爆発して炎上するという奇妙な現象なのである。

 調べてはみたものの、特に水タバコの構造に問題があるということではなく、魔術か妖術の類に違いないというのが大まかな意見であった。


 なお、水タバコとは香り付けされたタバコの葉に炭を載せて熱し、出た煙を瓶の中の水に潜らせてから吸うという嗜好品である。

 その機材は小さくても30センチほど。

 大きくなれば1mを超えるような代物であり、なかなかのぜいたく品だ。


 そしてこの国の飲食店ではたいていこの水タバコの道具がおいてあり、たいがいの男たちは食事と同じく金を払って楽しむのだが……ジンはこの店に水タバコの機材を置くことを良しとしなかった。

 ほかのタバコと同じく肉体には有害であり、煙と共に発生する一酸化炭素が脳に有害であることを知っているからである。


「それで警察長官から、調査のための人員と予算の追加を申請されているのだが……」

 問題は、その費用を火事の被害者への見舞金を削って捻出しようと言い出した者がいたからであった。


「あぁ、それで馬鹿共といろいろやりあったのか。 そりゃ疲れもするだろうな」

「おそらく魔術師(マギ)の仕業だろうとは思うのだが、いったいなぜこんなことをしているのやら」

 だが、そんなシェヘラザードの呟きに答える者がいた。

 件の真っ黒な怪人である。


「そんなこと、水タバコが嫌いだからに決まっているでしょ。

 この店は良いですなぁ。 あの忌まわしい水タバコが一つも置いてない」

 そののんびりとした声に反応し、けだるげにしていたミールザとシャヒーンがすばやくシェヘラザードの前にたって構える。


「おい、お前、まさか……」

 ジンが問いただすような言葉を口にすると、この黒衣の怪人はなんでもないかのように頷いた。


「えぇ、私が火をつけましたよ? それがどうしたというンです?

 あんなものは、私の住むこの国にあってはいけませン。

 知ってますか?

 水タバコを吸うと、脳に良くない気体が入って知能が低下するンですよ。

 馬鹿がさらに馬鹿になるのは構いませんが、その漏れた煙でこの私の繊細な脳に悪影響を与えたらどうするんです?

 だから私のように高邁な叡智を持つ者には、危険なおしゃぶりを馬鹿共から取り上げてやらなくてはならない義務があるのですよ」

 なんとも、あきれるほど傲慢な語り口である。

 それがあまりにも自然すぎて、シェヘラザードは一瞬何を言われているのか理解が出来なかった。

 だが、その意味を知るなり烈火のごとく怒りがこみ上げる。


「だからと言って、いきなり爆破する奴があるか!

 ジン、ミールザ、シャヒーン、こやつを捕らえよ!!」

 だが、彼女の頼みとする男たちは静かに首を横に振った。


「駄目だ。 この場所の決まりを忘れたか?」

「……くっ」

 ジンの言葉に、シェヘラザードは唇を噛む。

 世俗のすべてを忘れ、争いを持ち込むなかれ。

 それこそがこの場所における絶対のルールであり、もしも破れば彼女の名声は地に落ちることだろう。

 ただでさえ男尊女卑の傾向が強いこの国である。

 いくらほかに王族と呼べる男子がいないとはいえ、彼女の失態を喜ぶものなどいくらでもいるのだ。


「それに、こんな怪しい奴だ……どんな対抗手段を持っているかわかったもんじゃない」

 いくら目の前に凶悪犯がいるとはいえ、女王のいる状況で荒事を繰り広げるのはさすがに不味い。

 もしも反撃手段に巻き込まれてシェヘラザードに傷の一つもついたならば、近習二人の首が飛ぶ。

 そもそも彼らは警察ではなく近習であり、その役目はあくまでも女王の守りなのだ。


「ほほほ、このようなところで荒事とは無粋ですよ?

 ただ、店主にはご迷惑でしょうから、今宵はこの辺で失礼しましょう。

 あなたの料理、とてもとても美味でした」

 そしてジンに向かって一礼すると、黒衣の怪人はいずこへともなく歩き出す。

 だが、その行く先にはドアがなかった。

 あるのは、この天球図(コズモグラフィア)の中に設えられた庭である。


「おいおい、どこに行く気だ?

 それにいくらここでの争い事はご法度とはいえ、一歩でも外に出たらここにいる奴らが黙っちゃいないぞ?」

 ジンの視界の中では、ここにお忍びで来ている武官たちが恐ろしい目つきでこの怪人を睨みつけていた。


「ご心配は無用です。 ちゃんと迎えが来ますから」

 その時である。

 天球図(コズモグラフィア)の中庭を臨むテラスの窓の向こうに、何か巨大なものが映りこんだ。


「馬? いや、馬の形をしたカラクリか! だが、どこから入り込んだ!?」

 シャヒーンの言葉通り、それは美しい黒檀の木馬である。

 その顔の横にはネジ巻きのような何かが取り付けられており、ひどく前衛的な美しさをかもし出していた。

 だが、異変はそれにとどまらなかった。


「うわっ、なんだこりゃ!」

 ミールザが思わず素っ頓狂な声を上げるが、誰もそれを責めようとは思わない。

 誰もが同じ言葉を心の中で叫んでいたのだから。

 皆が驚きを持って見守る中、馬の腹がパックリと割れ、いきなり内側から捲れ上がってひっくり返った。

 なんとも異様な光景である。

 そして気がつくと、そこには木馬ではなく一人の美しい少女が佇んでいた。

 あまりの異様さに、シェヘラザードは隣にいるジンの腕を強く握り締める。

 ジンはというと、そんなシェヘラザードを背中に庇うような位置に立って少女と怪人を睨みつけた。


「迎えにまいりました、アイディンお兄様」

「お迎えご苦労ですよ、スールマーズ」

 黒衣の怪人――アイディンは穏やかな口調でそれに答え、ガラスの窓を幽霊のようにすり抜ける。

 すると、少女の体は再び馬の姿にかわり、怪人を乗せてふわり空へと舞い上がった。


「ではみなさん、またお会いしましょう」

 黒衣の怪人が穏やかな声で別れの挨拶を告げると、そのまま黒檀の木馬は音もなく滑るように夜空を駆け上がる。

 なんとも怪しく、幻想的な光景であった。


 そしてその姿が夜の闇に溶けて見えなくなった頃。

 怪人の消えた方向を見つめたまま、ジンがボソリと呟いた。

「あいつ……食い逃げしやがった」


 これこそが、シャフリアール王国に長く伝説として語られる黒衣の怪人アイディンと、暴虐なる善意アサド・ジンの邂逅である。

 この後、この二人は時に厄介な敵として、時に頼もしい味方として、いくつもの物語に語られるようになるのだ。

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