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千夜の晩餐  作者: 卯堂 成隆
第三夜 醜悪なる財産の話
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第七節 優しい嘲り、そして醜悪なる財産

「くそっ、なんという失態だ!」

 あれほどの恥は生まれて初めてのことである。

 ハラム王子は側近たちを遠ざけると、寝室にこもって一人で敗北を噛みしめていた。


 だが、そんな一人になりたい時間であったにもかかわらず、背後でなにやら大きな物音がする。

「やかましい! 少し静かに……」

 騒がしい側近たちを怒鳴りつけようとしたその瞬間である。

 寝室のドアが乱暴に開かれた。


 そしてそこにいた人物が誰かを確認し、思わず言葉を失う。

「何のつもりだ。 私を笑いに来たのか!」

 ドアの向こうに立っていたのは、先ほど自分を赤子のように投げ飛ばした大男――ジンであった。


「ちげーよ馬鹿。 説教だ」

 野性味が強い顔を笑みの形にゆがめると、その男は遠慮なく寝室の中に踏み込んでくる。

 その威圧感に、ハラム王子は思わずのけぞってベッドの上に座り込むような形になった。


「お前、なんで女王に相手にされなかったかわかってるか?」

「わかっていたら何だというのだ! 馬鹿にするな!!」

 どうでもいいから、もうほっといてくれ。

 心の中でそんな言葉を叫ぶハラム王子に、ジンは料理の載った皿を突き出す。


「これ、食ってみろ」

「……なぜ私がそんな事を」

「いいから食え!」

 その強い言葉に逆らいきれず、ハラム王子は銀のスプーンを手に取り、差し出された料理を一口食べる。

 それは先ほど食べたものと同じ料理だったのだが、微妙に味付けが異なっていた。


「……美味い。 だが、味付けが甘ったるいぞ。

 女子供ではあるまいし、私に出すならもう少し味を調整しろ。 さっきのほうがマシだったぞ」

「そりゃそうだ。 これはシェヘラザードにあわせて作った味だからな」

「そ、それが何だというのだ、ばかばかしい」

 その言葉にハラム王子は何かを感じて顔をこわばらせ、その先にある物が怖くて言葉を詰まらせた。


「やっぱりお前、心のどこかではちゃんとわかってるんだな。

 なぁ、お前は盗賊を退治したとき何を思って行動した?」

「お前の甘言に乗せられて、女王の王配にふさわしい実績を作ろうとしただけだ。

 当たり前だろう?」

 ジンの言葉に、ハラム王子は(まなじり)を吊り上げて台詞をはき捨てる。


「つまり、お前は自分のことしか考えてなかった。 そうだな?」

「……何が言いたい」

「手柄を立てたところで、自分のことを愛してもくれない身勝手なだけの男に女が振り向くか馬鹿。

 人から愛されたかったら、まずその人を愛すべきだ。

 だから騙されるんだよ。

 それがわからないお前が俺に勝てるはずないだろ。 負けて当然だ。 泣いて悔しがるがいい」

「ぐっ……」

「あぁ、そうそう。 俺の名前はな、故郷の言葉では人を思いやる優しさという意味になる。

 お前が何に負けたのか、しかと心に刻め」

 そう告げると、その獅子のような顔をした大男はハラム王子に与えられた部屋から去っていった。


「くそっ、なんだあいつは! ふざけるな! 私の負けだと!?」

 ジンが立ち去った後、ハラム王子は寝台に拳を叩きつけてあらん限りの怒りと共に吼えた。

 だが、負けではないとしたら、何なのだ? 勝ったとでも言えるのか?

 そんな冷静な声が脳裏をかすめ、ハラム王子はガックリとうなだれた。

 そしてジンの残した言葉の意味を噛みしめる。


「……そうだな。 人から愛されたいなら、まずは人を愛さなくてはならないのか。

 その通りだ。 だが、こんなこと誰も教えてはくれなかったぞ」

 いや、本当は誰かが同じようなことを言っていたかもしれない。

 おそらく自分が完全に聞き逃していたのだ。

 その考えにたどり着いたとき、彼は体が裂けてしまうのではないかと思うほどの衝撃を受けた。


「自分は今まで何を見て、何を聞いていたのだろう?

 これでは何も聞こえていない、何も見えてないのと同じではないか」

 自らの愚かさに心が軋む。

 内なる痛みに耐えかねて顔を上げれば、鏡にひどく貧相な男が映っていることに気づいた。

 ――なんだ、自分の顔ではないか。

 そもそも、この部屋に彼以外の誰もいないのだから当たり前だ。


「まったく……ひどい顔だな」

 我が事しか見えぬ濁った瞳、忠告に耳を傾けぬ傲慢な耳、道理をわきまえず人を蔑む言葉を吐く貧しい口。

 鏡に映った自分の顔を見て、泣き笑いのような顔でハラム王子はボソリと呟く。

 なんと醜くて情けない顔だろうか。


 だが、彼は鏡に映った自分に向かってさらに呟く。

 「この顔を二度と忘れないでおこう」

 今日という最悪の日を迎えてしまった戒めとして。

 この醜い顔を心に刻むのだ。

 たとえ見るたびに心が痛む代物であったとしても、これこそが自分が生まれ変わった、ようやく目が開いた記念なのだから。


 ――なるほど、あの男の言葉は確かに説教であったわ。


 翌日、ハラム王子は王宮を出て、故国へと帰った。

 もう一度、自分が見逃していたものを見て、聞き逃したものを尋ねるために。


 やがて国に帰ったハラム王子は、いかなる運命の悪戯からか故国の王となることになり、仁君として長く慕われることとなる。

 そして人からなぜ名君と呼ばれるようになれたのかと尋ねられたとき、彼は決まって自らの戒めである物語について語るのだった。


 彼を目覚めさせてくれた、『醜悪な財産』についての話を。

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