第二節 王子も歩けば精霊にあたる
シャフリアール王国といえば音に聞こえし大国で、その女王ともなれば独り身は許されるはずもない。
しかし、男であれば複数の女性を『平等に愛する』という条件で大勢囲い込むことも出来るのであるが、女である女王シェヘラザードに許されたのはたった一人の王配である。
当然ながらその王配の地位を望むものは多く、一人の男が女王の結婚条件を無効にしてしまった今とあっては、その求婚者は引きもきらない状態であった。
……もっとも、彼らのほとんどは会ってすらもらえないのが常ではあったが。
そして、そんな有象無象の求婚者の中に二人の王子がいた。
一人はハラム王子、もう一人はアキル王子。
それぞれ別々の国の出身で、王族とは言っても三男四男のうだつの上がらない身の上である。
彼らはシャフリアールの王宮を目指す途中、王都にも近いとある宿場町の旅館で邂逅を果たしたのだが……。
「はぁ? 貴様がシェヘラザード女王に求婚だと?
身の程を知るがいいわ!」
真っ赤な衣装に身を包んだ四角顔の男が、悪意のこもった台詞を声高に叫ぶと、それなりににぎわっていた食堂の空気が凍りつく。
そしてその手に禁忌であるワインのビンが握られていることに気づくと、民衆の視線に嫌悪が混じりはじめた。
「身の程を知れだと? お前の事は知っているぞ、アキル王子。 この背徳者が!!」
「女王に殺されるのが怖くて求婚も出来ずにこんな場所でガタガタ震えている奴が王配に選ばれるというのなら、いつまでもここで酔っ払っているがいい!!」
そう吼えたのは、この街に着たばかりのハラム王子とその従者たち。
彼らは宿を決め、食事の前に「シェヘラザード女王を射止めるぞ」と歓声を上げた瞬間、アキル王子から先ほどの台詞をぶつけられたのである。
これで怒るなといわれても、それは無理な話というものだ。
さて、ただでさえどちらも扱いの面倒な他国のはぐれ王族。
しかも片方は酔っ払い。
国の異なる二人の王子の間には険悪な空気が流れ、彼らの侍従が腰のものに手をかけると、巻き込まれてはたまらないとばかりに、旅の商人や地元の老人たちがそそくさと酒場から逃げ出した。
そして店の主人はというと、アキル王子に酒を融通した罪にもかかわらず、地に頭をこすり付けて神に祈り始める。
だが、その時だった。
「おいおい、こんなところで物騒なことをするんじゃない。
それに、この国の女王と結婚したいというのなら、まずは民のことを大事に考えてやるべきだぜ?
……少なくとも、シェヘラザード女王ならそう考える」
部屋の隅で食事をしていた二人の客のうち、見上げるほど背の高い男がのんびりした声で二人の王子の間に割って入ったのである。
「そこの兄さんの言うとおりだ! 我らが女王に求婚するというなら、まず彼女が常々我が宝と呼んではばからない俺たちのことを大事にしろ!!」
「店の中で暴れるな!」
「火の女王シェヘラザード万歳!!」
大男の言葉に感銘をうけたのか、周囲で様子を見守っていた群衆からも王子たちを非難する声が響き始めた。
「む、こ、これは……確かにみっともないところをお見せした」
その非難に、ハラム王子はそう呟いて愛剣に当てていた手を離したのだが……
「何を生意気な! ゴミのような民衆風情が調子にのりおって!!
この俺が王配となった日には、まずお前らの思い違いを正してくれるわ!!」
アキル王子は顔を真っ赤にして怒り狂い、手にしていたビンを地面に叩きつける。
パリン! と大きな音が店の中に響き、民衆は自分たちが虎の尾を踏んだことに気づいて青褪めた。
だが、彼らは知らなかった。
この場に、虎よりももっと恐ろしい獅子がいたことを。
そして、彼らが虎だと思った者が、ただの生意気な虎猫に過ぎないということを。
「おいおい、落ち着きなって王子様。
大声で叫んだところで何も解決にはなんないだろ?」
ふたたび割って入ったのは、先ほどの大男である。
「お前に何がわかる! この無礼者が!!」
大男に向かって唾を飛ばしながら怒鳴り散らすアキル王子だったが、大男が一瞬目を細めた瞬間、ヒッと短い悲鳴を上げて地面にへたりこんだ。
「はいはい、とりあえず怒鳴っても我らが女王は振り向きゃしませんよ。
……何か実績でも見せれば別ですがねぇ」
そう告げると、大男はちらりとハラム王子に目を向ける。
「ほぅ? 面白そうなことを言ってくれるな、そこの獅子頭」
だが、明らかに楽しんでいる声でハラム王子は大男を睨みかえした。
しかし大男はその物騒な視線を鼻で笑い、舞台役者のように大げさな身振りと台詞回しで周囲に向かって語りかける。
「これは独り言なんだが……この街の郊外に最近山賊がよく出るらしくてねぇ。
やさしい女王陛下はさぞや胸を痛めておられるだろうなぁ!」
かなり不謹慎な台詞であるにもかかわらず、その突き抜けたわざとらしさに周囲から忍び笑いが漏れた。
その様子を見てしてやったりと笑う大男に、ハラム王子はなぜか強くひきつけられる。
実に不思議な人物だ。
「白々しい奴だな。 だが、悪くない。
おい、アキル王子……この決着は別の形でつけないか?」
「ど、どういう意味だ」
突然話しかけられたアキル王子は、何をしていいかわからないとばかりに目を白黒させる。
「俺とお前とで、盗賊退治を行うんだよ。
そして多く盗賊を殺したほうが女王に求婚し、負けたほうはおとなしく国に帰るんだ。
まさか嫌だとは言わないよな?」
そういわれれば外面を気にするアキル王子の事、後先も考えずにハラム王子に噛み付いた。
「い、いいだろう! 俺と俺の従者の力、思い知るがいい!!
……あとでほえ面をかくなよ!」
そんな捨て台詞をはきながら、アキル王子は従者の男たちに支えられるようにして食堂から立ち去ってゆく。
そしてアキル王子がいなくなったことを確認すると、ハラム王子は大男を振り返って挑発的な笑みを向けた。
「これでいいのか?」
「上出来ですな。 まぁ、相手がアレではたいした自慢にはならないでしょうがね」
「……違いない」
「では、ハラム王子殿下のご武運をお祈りし、脇役は退場いたしましょう」
そう告げると、なんとも不思議な大男は連れらしき小太りの老人と共に食堂の外へと足を向ける。
だが……
「まて、名を名乗るがいい!!」
ハラム王子は大きな声を上げ、その男を呼び止めた。
このまま別れるには惜しいと思ったからである。
そして出来るなら、この不思議な男を自分の配下に加えたい……
まるで渇望するような衝動を不審に思い、ハラム王子は自分自身へと問いかける。
これはいったいなんだろう?
まるで毒を持った生き物につい惹きつけられてしまうような、なんとも怪しい魅力を持つ男だ。
すると大男は足を止め、首だけをハラム王子のほうへと向け、歯をむき出しにしてニヤッと笑う。
――なんとも恐ろしい。
だが、目をそらせない。
「ただの獅子ですよ。 お忘れください」
そして彼はそのまま呆然として黙りこんだ民衆をかき分け、舞台を歩く主役のように堂々と歩み去る。
背中にびっしょりと汗をかいた王子と従者を後に残して。
「あれは……果たして人であったのだろうか?」
あぁ、そうか。
そう呟く従者の一言に、ハラム王子は妙に納得してしまった。
明朗で快活、やや狂気を感じるほど大胆な立ち振る舞い。
そして世俗の身分など知るかといわんばかりのあの態度。
ただそこにいるだけでまるで太陽のように苛烈な光を放ち、猛禽ですら萎縮しそうなほどの強い目をした男。
そんな人間など、王子は今まで見たことも聞いたことも無かったが、人で無いというなら妙に納得できる。
――もしかしたらあれが精霊という奴かもしれない。