第四節 ただその笑顔のために
作業用として聞いていたBGMです。
よかったら、この話を読むときのお供にどうぞ。
ホッジャト・アシュラフザーデ 「月と魚」
http://parstoday.com/ja/radio/programs-i4006
黄昏が過ぎ、屋台の客も店主もみんな家路についた頃。
「ジンよ、相手が見える仕事というものは楽しいことだな。
見たか? 我が与えた糧を手にした者の、あの笑顔を」
月明の下で、ジンとシェヘラザードがやや疲れた……けど、何かをやりきった顔で微笑んでいた。
「そうだな。 料理人として働くことで何が一番楽しいかといわれたら、美味しかったと笑顔で言われるのが一番だろう」
それが嬉しくないなら、たぶんその人は料理人をやめたほうがいい。
きっと、誰にとっても不幸なことになるから。
「よきかな。 喜びを与える事は神の御心にかなうことだ」
そう語るシェヘラザードはいつに無くご機嫌である。
これは今のうちに言ったほうがいいだろう……ジンは意を決して楽しげにしている女王に語りかけた。
「あー じゃあ、一つ許してほしいことがあるんだが……」
「なんじゃ、申してみよ」
気分を害されたとばかりに眉をひそめるシェヘラザードに、ジンは神妙な顔で告げる。
「大変申し訳ないのだが、初日から約束の料理が思いつかなかった。
許してもらえるだろうか?」
今から考えて作ったら、おそらく日付をまたいでしまうだろう。
それでは約束を守ったことにはならない。
だが、シェヘラザードはあきれたように肩をすくめると、屋台の隅を指差した。
「何を言っておる? そこにお前の作った料理がちゃんとあるではないか」
そこにあるのは、自分たちが食べるために残しておいた分のパーシーエッグカリーであった。
おそらくシェヘラザードが食べてみたいと言い出すと思って取り分けておいた代物ではあるが……
「これ、庶民の食事だぜ?」
その瞬間、ジンの頭がボスッと小さな音を立てた。
「誰も毎日王宮のような贅をこらした食事を出せとは言っておらぬ。
それに、王宮の料理が食いたければ厨房長に命令すればそれでよいではないか。
そんなものをお前に求めてどうするというのだ?
お前が美味いと思い、私に食わせてみたいと思うものを出してくれるなら、それでいい。
すべては神の恩寵の下、禁忌に触れぬ限り食べ物に貴賤は無いのだ」
ジンの頭を殴った拳を握り締めつつ、シェヘラザードは胸を張って説教をたれる。
「へいへい。 では女王様、今宵の食事をご賞味くださいませ」
「うむ、大儀である」
フライドボテトを軽く揚げなおし、暖めたパーシーエッグカリーに盛り付けた一皿を差し出すと、シェヘラザードはわざと偉そうに、そして口の端に微笑みを浮かべながらスプーンを構えた。
「おぉ、なんともやさしい味がするな。
肉も魚もなしにこれだけふくらみのある味が出せるとは驚きじゃ」
静かな夜に、付け合せのフライドポテトを食べる音がポリポリと響く。
あぁ、気に入ってもらえてよかった。
ジンは心の中で胸をなでおろす。
パーシーエッグカリーとは、ペルシャを離れてインドに移り住んだペルシャ人が現地の味を取り入れながら作り上げた味である。
これは異界からやってきた自分が、この地で新しい味を作ってゆこうという決意でもあった。
「ご満足していただけましたかな、わが女王陛下?」
「うむ、今日の一皿も満足である」
その笑顔を見て、ジンは今日一日のすべてが報われた気がした。
あぁ、今日という日は、この時を迎えるためにあったのだろう。
実に、実に満足だ。
これこそが自分にとって無上の喜び、比べるものの無い報酬である。
そしてジンは月に照らされたシェヘラザードの満足げな顔を見て、心の中で呟くのだった。
――すべては君のその笑顔のために。