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千夜の晩餐  作者: 卯堂 成隆
第二夜 吼えたける祝福の話
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第三節 精霊の鍋

「まったく……余計な手間をかけさせやがって」


 ジンの脅しがよほどこたえたのか、ならず者たちは意識を取り戻すなり一目散に逃げていった。

 とりあえずあれだけ脅しておけば報復する事は無いだろう。

 心配が一つ解決した事を確認したジンは、ホッと胸をなでおろしてから被害者に目を向けた。


「その傷、大丈夫か?」

「あ、あははは……たいした事は……痛っ」

 ならず者に殴られた屋台の店主は、腕を動かそうとして思わず悲鳴を上げる。


「その分だと、しばらく商売は無理そうだな」

「はぁ、こんな事を言っては失礼かもしれませんが、精霊(ジン)様のお力で何とかならないものでしょうか?」

 ため息をつくジンに、怪我をした男は上目遣いで申し訳なさそうにそんな事を願い出るが、ジンにそんな事が出来るはずも無い。


「馬鹿なことを言うな。 俺はただの人だ」

「あ、あはは、そうですよね……」

 そのやり取りに、周囲の野次馬がホッと安堵のため息をつく。

 やはりジンのことを精霊(ジン)だと思い込んでいた人間がいたらしい。

 もっとも、今ため息をつかなかった人間のほとんどが、ただの人間だということのほうを信じなかっただけに過ぎないという事実をジンは知らない。


「まぁ、それでも出来る事はある。 お前の腕が動かせるようになるまでの間、俺が屋台を手伝ってやろう」

「え? いや、そこまでしていただくわけには……」

「遠慮するな。 どうせ、夜に飯を作ってやる相手がいる以外は暇だしな」

 ……というより、せっかくだからここでこの世界の料理について情報を集めたいのだ。


「とりあえず今日のところは俺が故郷の料理を振舞ってやろう。

 騒がせてしまったから、その詫びだと思ってくれればいい」

 人の心を掴むなら、胃袋を先に掴んだほうがやりやすい。

 ジンは有無を言わせず屋台の後片付けを開始すると、この男の屋台で作っていた少し辛めのスープと似た料理が記憶に無かったかと思案する。


 ――そうだ、アレにしよう。

 ジンはようやく何を作るかを決めると、神から与えられた厨房からなじみのある食材を無意識に取り出しはじめた。

 ニンニク、ショウガ、ニンジン、タマネギ、何も無いところから次々と出てくる見たことも無い食材に、周囲の目が再び精霊ジンへの疑いを帯びる。


「あ、あの……その見たことも無い野菜、どこから出してくるんですか?」

「秘密だ」

 群衆の中から勇気を持って告げられた質問に、ジンは取り付く島も無い口調でそう返した。

 その背中に一筋の冷や汗が流れたことを知る者は、おそらく神か天使ぐらいだろう。


 しかし、その質問で何かのタガが外れてしまったのか、群衆の目に好奇心に満ちた光が輝き始めた。

 ――まずい。 この空気、どうにかしないと。


 そして……

「か、神の御名において、お前の名を名乗れ!!」

「嫌だといったら?」

「……え?」

「いい歳した大人が泣きそうな顔するな!

 ……ったく、神の名を出さなくても名前ぐらい名乗るぞ。 麻戸(あさど) (じん)だ」

 いきなり群集から飛び出してきた失礼な男に、ジンは面倒くさそうな口調で名前を告げる。


獅子の精霊(アサド・ジン)!? やっぱり精霊(ジン)ではないか! ふはははは、獅子の精霊(アサド・ジン)よ、神の名において我に従うがい……」

 その瞬間、ジンの鉄拳が男の言葉を物理的に黙らせた。

 名とは精霊(ジン)を従えるための触媒であり、神の名においてその名を問いただせば精霊ジンはその名を偽ることが出来ないのである。

 ……当然ながら精霊ジンではないジンに、そんな効果があるはずも無いのだが。


「俺は人間だといっているだろうが!

 お前如きに誰が従うか、この阿呆。 飯が食いたかったらおとなしく待ってろ。

 ……ったく、このやりとり、いい加減疲れるぜ」

 そんな事を呟きながら、ジンの手は鍋で大量の卵をゆで始めた。

 そして別の鍋を弱火にかけると、今度は月桂樹の葉を乾煎りする。


「あ、なんかいい匂い」

 漂い始めた神秘的でエスニックな香りに、作業を見つめる群集がざわめき始めた。

 そんな呟きを尻目に、ジンはさらにクミンとマスタードの種を鍋に入れる。

 パチパチと種が弾ける小気味良い音が響き始めると、あたりに漂う香りがなんとも食欲をそそるものへと変わり始めた。

 もしもここに日本人がいたならば、おそらくカレーの香りを思い出したことだろう。

 まるで魔法のような香りの変化に、大人も子供も目をキラキラと輝かせはじめた。


 続けてタマネギがカラメル化してキツネ色になるまで丁寧に炒めると、甘さを帯び始めた香りにつられてさらに多くの人々がこの屋台の回りに集まり始める。

 そこに真っ赤なトマトが入ると、その鮮やかな色合いに群集からおぉっと小さなどよめきが湧き上がった。

 そして塩とキノコを加えてトマトを煮込んでいる間に、ジンは茹で上がった卵を冷水につける。

 卵が冷える間の時間も無駄にはせず、ジンはあいた鍋で細切りにしたジャガイモを油で揚げ始めた。

 ここまで来ると見物していた客の口からツッとよだれがこぼれ始める。

 実に良い傾向だ。


 観客の反応にジンはニヤッと唇の端で笑って見せると、煮込んだ鍋に生クリームを入れて器にさっと盛り付ける。

 そして半分に切ったゆで卵とフライドポテト、そして千切ったコリアンダーをハラハラと上から振りかけた。


「さぁ、俺の故郷の料理の一つ……ペルシャ風(パーシー)卵カレー(エッグカリー)だ。

 誰から食べたい?」

 おりしも時刻は黄昏を少し過ぎた頃。 少し早めだが夕食をとりはじめる時間である。

 ジンが料理の入った器を差し出したその瞬間、群集が精霊(ジン)疑惑も忘れて屋台に殺到した。

 

「忙しそうだな。 手伝おうか?」

 屋台の前の長蛇の列にジンがどうしようかと考えていると、不意に後ろから女性の声が響いた。


「あぁ、助かる……って、お前!?」

 だが、その声の主を確認した瞬間、ジンの顔が凍りつく。


「では、何をすればいい?」

 ジンの目の前でにこやかに微笑んでいるのは、事もあろうかヘジャブ姿の女王シェヘラザードその人であった。

 ※ヘジャブとは、髪を隠す布のこと。 イスラム文化圏では女性が肌や髪を人前にさらす事は下品なことと考えられている。


「おまっ……」

 一瞬叫びそうになったものの、ジンは賢明にも口を閉じ、視線での意思疎通を試みる。


 お前、こんなことしていいと思ってるのかよ。

 いいに決まっているだろう? 我はこの国で一番えらいのだ。


 まさにぐうの音も出ない開き直り。

 ジンにとっては久しく覚えが無いほどの惨敗であった。

 これは諦めるしかない。


「……盛り付けなら任せられるか。

 ゆで卵を剥いたら半分に切って、そのフライドボテトって奴をこのぐらい、あとはそのコリアンダーって野菜を千切って美しく盛り付けてくれ」

「うむ、まかされた」


 その瞬間……民衆は熱狂した。

 ただでさえ蠱惑的なまでの香りをもつおいしそうな料理に、街ではとんと見ることの出来ないレベルの美女が加わったのである。


 その日は鍋の中身がすべて尽きるまで客足が途絶える事はなかった。

 さらに待ち時間の空腹を紛らわせるためか、周辺の軽食も売れに売れたのである。


 ――だから子供たちよ、困っている人がいたら惜しみなく与えなさい。

 そうすれば、それは何倍もの幸せになってお前に返ってくるだろう。


 この日の出来事は、『精霊の振る舞い鍋』という童話になり、バザールで長く愛されることとなるのであった。

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