踏み切りの向こう側
カンカンと甲高い警報音と共に、踏み切りがゆっくりと閉まった。
私は待ちぼうけでも食らったように、その場にポツンと佇んでみる。
列車が通り過ぎるまでには、まだ時間があるらしい。
それまでの暇をつぶすためにチラりと辺りを見回してみたが、誰もいやしない。
どこか寂れた街中の、踏み切りの前。一抹の孤独を感じながら、私は立ち尽くした。
何もぶらさげていない両手が寂しくて、思わずポケットにしまう。
ほんの少しだけ冷えた両手が、ズボンの中でゆっくりと温もりを取り戻していく。
わずかな安心感にホッとため息をつき、視線を正面へと戻すことにした。
向こう側にはやはり、人っ子一人いやしない。それでも、このまままっすぐ見つめていれば誰かが来るような気がした。
カンカンと甲高い警報音を聞きながら、列車が過ぎるのをじっと待つ。
こうして歩くのをやめて立ち止まっていると、秋の寒さがじわじわと身に沁みる。
人知れず吹いた風はヒヤリとしていて、頬を掠めるたびに身震いしてしまう。
日が落ちて街が薄暗くなっているのも相まって、余計に寒い。
私は目を細め、背中を丸めながら、列車が過ぎてくれるのをとにかく願った。
けれど、来ない。私をバカにしているのかと思うほどに、列車は来ないのだ。
なんだか苛立ってきてしまい、チッと舌打ちをかましてやる――その時だった。
踏み切りの向こう側に、ひょっこりと誰かがやってきたのだ。
爽やかな短髪に、紺色のジャージで上下をそろえている少年。顔はよく見えないけれど、肌がこんがりと焼けているのは分かった。
あの格好、あの肌色からしてスポーツでもやっているのだろう。
たまに少年は意味もなく足踏みをしたりして、じれったそうにしている。
そんな様子をジッと見つめていると、私の視線にでも気がついたのか、少年は照れくさそうに頬をかいた。
そして姿勢を正し、落ち着きを取り戻すと、あさっての方向へと視線を送る。
まるで想い人を前にしたような反応に、私は思わずクスっと笑ってしまった。
しばらく微笑したままでいると、少年はこちらを一瞥する。けれども、すぐに目を逸らす。
とにかく私のことが気になるらしく、チラチラと探るような視線を送ってきた。
きっと私が見つめているから、少年も気になってしまうのだろう。
まあ、それはそうかもしれない。たぶん私も、見ず知らずの人に見つめられたら気になって仕方がないはずだ。
少年の気持ちを察して、今度は私があさっての方向へと顔を向ける。
どこかどんよりとした、午後六時の天気。お月様は見えず、星も見えず、ただひたすらに黒雲がはびこっている。
見ていると気が滅入ってしまいそうで、私はそっと地面へと視線を移した。
いつになったら、踏み切りは開くのだろう。そんなことを思いながら、足元を見つめる。
相変わらずカンカンと甲高い警報音が鳴り響いていて、なぜか鼓動が速まる。
ゆっくりと片手を動かして、自分の胸元へと添えてみた。
小さな膨らみの中で、心臓はいつもより激しく脈動している。
これはもしかして、恋――などとふざけたことを考えながら、私はそれとなく少年を見る。
ハッキリとは見えないけれど、それでも少年はドキリとしたような顔をしていた。
みるみるうちに少年の顔が真っ赤になったような気さえした。
その表情はあまりにも青臭く、そして可愛らしい。
ちょっとした冗談のつもりで、片手を振ってみる。すると少年は、どうしていいか分からなくなったのか、頭をぽりぽりと掻く。
程なくして少年は、こそばゆそうにしながらも手を振り返してくれた。
それがすごく面白くて、嬉しくて、私は思わず口元を覆ってしまう。
そのまま私たちはジッと見つめ合った。列車が来るまで、ずっと見つめていようとさえ思った。
けれど意地悪なもので、遠くの方からレールの軋むような音が聞こえてくる。
あと数秒もすれば、目の前には列車が……。
果たして踏み切りが開くとき、少年はまだそこにいるのだろうか。
そんなことを考えている間に、光のような速さで列車が過ぎ去っていった。
風で乱れた髪をなおしつつ、私は一歩前へと歩みでる。そして正面へと向き直れば、また目が合った。
「あ、あら……?」
思わず疑問の声をあげてしまったのには、理由がある。
少年がいた場所には、確かに誰かがいる。けれどそれは少年ではなく、スーツ姿の男だった。
不思議なこともあるものだと思いつつ、ようやく開いた踏み切りを渡る。
徐々に、徐々に、少年――もとい、少年だったはずの彼との距離が縮まる。
手を伸ばせば届きそうなほどのところへとやってくると、私だけではなく、彼もハッとしたような顔になった。
「あ、あれっ、お前だったのか」
「あ、あなたこそ……」
お互いにキョトンとしながらその場に佇んでいると、カンカンと警報音が鳴りだした。
私たちはひとまず踏み切りを渡って、そして改めて向かい合う。
踏み切りが閉まり、列車が過ぎると、彼は不思議そうな口調で喋りだした。
「いや、なんだか面白いこともあるもんだな」
「それはいったい……?」
「さっきお前がいたところには、可愛らしいお嬢さんがいたんだ。だけど列車が過ぎて、踏み切りが開いたら、そこにはお前がいた」
「あら……まあ……」
「さっきのは、なんだったんだろうな。まさか俺が、お前を少女と見間違えるはずもあるまいが……」
「あ、あの……」
「んっ? なんだ?」
「いえ……やっぱり、なんでもないわ」
面白いこともあるもんだ。彼の言葉を、私は心の中で繰り返してみる。
そして私は、彼の手をとってゆっくりと歩みを進めていった。
「手をつなぐのは……久しぶりね……」
無愛想に頷いてみせる彼を見つめていると、ほんのりと心が温まっていくような気がした。
すれ違ってばかりで、もう夫婦としてはやっていけない。そう思っていた私だけれど、少し考えなおしたほうが良さそうだ。
きっと彼は、あの少年のように恥ずかしがり屋なんだろう。だから冷たいわけじゃなく、照れているだけなんだ。
そんなことに初めて気づいたのは、とある日の午後六時過ぎ、踏み切りを渡った後だった。