776.世界の理ラプラス
アイノスの竜化の残骸が消えていく。
最後には、アイノスの人間体だけが残った。
ポリゴンのような崩れた不完全な肉体を引き摺り、地面の上にうつ伏せに倒れていた。
身体は傷だらけで、両翼も引き千切れている。
こうしている間にも、俺の目前で、どんどん身体が砂のように端から溶けていっている。
「ボクは、死ねない……死なない……! 絶対に死んで堪るものか! 何年ボクが、この箱庭の管理者として、この無意味な生を生きながらえさせられてきたと思っている! 理想郷イデアの地を踏むまでは、絶対に……!」
アイノスが這うような動きで、俺から距離を置こうとする。
だが、腕自体も砂と化して消えていき、最後にはついに完全に動けなくなった。
まだHPが残ったとは驚きだったが、もはや抵抗する力はないだろう。
俺は再び〚神叛のラグナロク〛を構えた。
『……或いは、テメェも何かの犠牲だったのかもしれねぇ。だが、お前は、あまりに罪を犯し過ぎだ。もう、ここで眠りやがれ。しでかしてきたことを思えば、安からに、とは願えねぇがな』
「イルシア……!」
アイノスが俺を睨み、目を細める。
俺は奴の身体へ〚闇払う一閃〛を放った。
アイノスの全身へと亀裂が走る。
「ハ、ハハハ……ボクは……ボクは、絶対に諦めない……! たとえボクがここで力尽きても、理想郷イデアへ、あるべき姿へ世界を還す、最後の保険がある! このクソッタレな世界が終わって……全てが美しい、本物の世界が還ってくるんだ!」
アイノスはそこまで言うと、そっと目を細めた。
「ああ、ボクも、見たかったなあ。本物の、世界……」
甲高い音を上げて、アイノスの全身が硝子のように崩れ落ちた。
【経験値を0得ました。】
【称号スキル〖歩く卵Lv:--〗の効果により、更に経験値を0得ました。】
その瞬間、役目を終えたかのように〚神叛のラグナロク〛がその形を崩し、魔力の粒子へと変わっていった。
どっと疲れた。
肉体も精神も極限まで擦り減らされたからな……。
意識は眩む。
吐き気が酷い。
全身が本当に鉛のように重い。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
〖イルシア〗
種族:テュポーン
状態:通常
Lv :240/240(MAX)
HP :832/75663
MP :3/52082
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
……いや、ここまで追い込まれることある?
HP、残り1%よ。
MPに至ってはもう%表示が野暮なレベルなのよ。
身体が重いわけだわ。
マジで勝ててよかった。
これ、あと一歩のところで、普通に〚ヴォイドエッジ〛でざっくり殺されてた可能性全然あったからね。
自動回復で段々とHPとMPが回復していく。
まあ、十分も待ってりゃ、気分は大分マシにはなるか。
しかし、最後の保険だの口にしていた。
アイツ……この期に及んで、まだ悪足掻きを目論んでやがるのか?
『ハッ、ただのつまんねぇ負け惜しみだろ。気にするこたねぇよ』
相方が力強くそう口にした。
『オレはあんまりよくわかってねぇけどよ。なんかアイツ、魔王や聖女嗾けてた滅茶苦茶悪ィ奴で、ずっとオマエを弄んでた奴なんだろ? 解決してよかったじゃねぇの』
『まあ、アイツがこの世界に対してやってきた悪事に比べりゃ、俺が被った被害なんて微々たるもんだが……』
……とはいえ、本当に酷い目に遭わされてきたがな。
いや、マジで勝ってよかった。
勝ててよかった。
どれだけ細い綱渡りを、何本渡されたことか。
『最後、よくアイノスの精神攻撃の弱点に気付いてくれたな』
アイノスに察されたくなくて、中途半端な言い方になっちまってた。
今振り返ってみれば、あんな言い方でよく〚エンパス〛に〚支配者の魔眼〛でカウンターできる、なんて通じたもんだ。
ま、俺達は一心同体。
相方も直感はマジでとんでもねぇくらい鋭かったからな。
『……ンア、何の話だ?』
相方が首を傾げる。
『いや、何の話って、お前俺の言葉通り、アイノスのスキルに〚支配者の魔眼〛を合わせて……』
『オレはオマエが〚支配者の魔眼〛使えって急かしてくるから、時間もねぇし痛みで頭も回んなかったから、とにかくやってみただけだぞ。オマエ、なんで通じるってわかったンだ?』
タイミングかち合ったの偶然!?
いや、思い返したら確かに、そういう感じだったかもしれねぇ。
じゃあこれ通じてなかったの!?
ちょっとズレてて普通に失敗してた可能性思いっきりあったってこと!?
シャ、シャレにならねぇ……マジかよ。
ぐったり頭を下げる俺を、相方が不思議そうに見下ろす。
な……何はともあれ、全ての元凶であったアイノスは死んだ。
これで邪神フォーレンの封印を解こうとする奴はいなくなった。
この世界の住民達が、アイノスという上位存在によって徒に弄ばれることもない。
俺ももう、必死こいて戦う理由はなくなったってワケだ。
いや、そもそも、今の俺が戦ったら世界が滅茶苦茶になりそうだが。
『つうか、相方……お前、死んだんじゃなかったのかよ! なんで……いや、んなもんはどうでもいい! 俺、こんな、再会できるなんて思ってなくてよお……!』
『や、やめろ! バッチィ! テメ、鼻水付いたぞ今!』
俺が顔を擦り寄せると、相方が嫌そうにぐっと首を引き離す。
『アロ達に報告しねぇと。いや、真っ先にアトラナートに会わねえとな。お前のこと、大好きだったんだから。今、皆離れ離れでよ。でも、地上世界は滅茶苦茶で、トレントも……ああ、チクショウ、何から話したらいいのかわかんねえよ』
俺は前脚で、自身の頭を押さえる。
『落ち着きやがれ。そもそもオレら、この謎空間から出れんのかよ。ここ、どこだよマジで』
相方が怪訝な表情で周囲を見回す。
『そこからなのか……。実はここ、アイノス……神の声が連れてきた場所で……舞台裏の世界だとかアイツは呼んでたっけな?』
『んで、どうやって帰ンだ?』
『…………』
俺をここに連れてきたのはアイノスの〚異界送り〛だ。
つまりあのスキルがないと、世界の垣根を跨げない可能性があって。
でもアイツはもう、俺達が倒しちゃったわけで……。
『……帰れねえかもしれねえ』
『ハァァァァァアアッ!?』
相方がブチギレた。
いや、マジでそうよな。
死んだと思ったら突然最終決戦引っ張り出されて来て、もうアホみたいに苦労して倒したと思ったらこの仕打ちはねぇよな。
マジでごめんな。
『テメェもほぼ同じ状況だろうが! テメェが頭下げてどうすんだ!』
相方が俺の頭へ齧りつく。
……マジですまねえ、相方。
そのとき、頭の中にメッセージが響く。
【特性スキル〖神の声〗のLvが8からMAXへと上がりました。】
な、なんだ?
なんか突然上がったな。
〚神の声〛って、もうアイノスは死んでるのに。
いや、アイノスはただ〚神の声〛を利用して、メッセージを飛ばしてただけなんだったか。
つっても、これでメッセージ飛ばせるのなんか、アイノスくらいだと思うが。
【いえ、元々はこれは、私のためのものなのです。】
頭にメッセージが響く。
俺は身体を震わせ、咄嗟に身構えた。
ま、まだ、アイノスが生きてやがんのか!?
目の前に、真っ白な子供が現れた。
顔に一切の表情はない。
人間の形をしているが、人間ではないと、直感的にそう理解できた。
アイノスと同タイプの存在……か?
【いえ、私は六大賢者ではありません。】
【私は〖ラプラス〗、この世界そのものであり、この世界の法の番人です。】
【最後の六大賢者の代行者が消失したとき、特例措置として神聖スキルの所有者へ、私が接触することが決められています。】
ラ、ラプラス……コイツが。
いや、コイツがっつうか、なんか算数がお得意で、アイノスがすっげー恨んでる世界の中心的な奴ってことしか知らねぇんだけど。
『コイツ、オレも地獄みてぇなところで会ったぜ! 悪いヤツじゃねェよ』
相方が楽し気に口にする。
地獄で会ったなら悪い奴なのでは?
と、とにかく、アイノスが消えた今、この世界の事情を知ってるのも、俺達を元の場所に戻せるのも、コイツだけのはずだ。
『よくわかんねぇんだが、ラプラス……お前は結局何なんだよ? 特例措置って……いつだれが決めたんだ?』
【もう御存知でしょう。二万三千年前、本物の六大賢者達が決めたのです。私は心を持たない存在、故に私の裁量が重要な場面を左右することを、六大賢者達は恐れていました。】
に、二万、三千年前……。
途方もない年月だが、同じ年数を口にしていた奴がいた。
アイノスだ。
『つまり、この世界ができて、理想郷イデアが封印されたとき……だな』
そのときには既に、全ての六大賢者が死んだときのことが想定されてたわけだ。
気の遠くなるような連中だな。
【半分正解です。】
『半分……?』
【薄々察しておいででしょうが、そもそも最初から、理想郷イデアなんてものはありません。いえ、ないというのも不正確です。ただ、アイノスが信じていたような場所ではないのです。アイノス自身が語っていたはずですが、理想郷イデアの名前自体、後からこの世界の住人によって便宜上付けられたものでしかない。】
遠回しな言い方だな。
はっきり言ってくれねぇか?
俺は察しがいい方じゃねえし、わかんねぇことだらけだよ。
【アイノスが理想郷イデアと呼ぶものは、貴方が地球と呼ぶものです。地球を知らず、幻想の理想世界として二万三千年美化し続けてきたあの子には、貴方の口にするそれが、理想郷イデアだとは認められませんでしたが。】
……い、いや、マジで皆目わかんねぇよ!?
つ、つまり、何がどうなるんだ?




