762.全能なる者
俺は〚竜の鏡〛から姿を現すと同時に〖ヘルゲート〗をお見舞してやった。
刹那の内に、周囲一帯が地獄の炎に包まれていく。
巨大な骸を模した黒い炎が立ち上がり、アイノスへと倒れ掛かっていく。
「なんだ、そこにいたのか! ハハハハハ! ボクの視界から逃れた瞬間、〖竜の鏡〗で存在を消していたんだね! でもこの程度の炎、ボクには効かないよ!」
「グゥオオオオオオオオッ!」
黒い炎に合わせ、俺は右前脚を全力を以てアイノスへ叩き付ける。
アイノスの翼が閉じるように折り畳まれ、己の身体を守る。
俺の爪は、奴の翼に傷一つ付けられなかった。
次の瞬間、自身の爪と前脚の血肉が爆ぜ、全身に衝撃を受けて俺は後方へと吹き飛ばされた。
どうやら勢いよく開かれたアイノスの翼が、俺の巨体を突き飛ばしたらしい。
俺は無防備に身体を打ち付けながら転がり、地面の上に倒れることになった。
これで正真正銘……HPもMPも、もうほとんど空っぽだ。
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〖イルシア〗
種族:アポカリプス
状態:通常
Lv :175/175(MAX)
HP :104/15371
MP :181/12440
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俺にできることはもう何もない。
「いや、凄い凄い。キミは本当に素晴らしいよ、誇るといい。キミは最後の最後まで無謀な戦いに死力を尽くし、このボクを一手出し抜くことさえ可能にしたんだ」
アイノスは簡素な拍手を送った後、憎たらしげに目を細める。
「だから、これからボクに蹂躙されて利用され尽くす、憐れなキミの仲間達も、きっとキミのことを許してくれるはず……」
アイノスがそこで言葉を途切れさせる。
奴の周囲を神々しい光が覆っていた。
終末の竜アポカリプスの魔法スキル〖リンボ〗だ。
本来は発動までに時間が掛かるため、格上には決して当たらないスキルだ。
しかし、〖竜の鏡〗によって一切の前兆なしに〖ヘルゲート〗と同時発動された上に、ド派手な黒炎とそこに練り込まれた膨大な魔力、そして俺の全力を込めた爪の一撃が、アイノスから〖リンボ〗の存在を覆い隠していた。
アイノスが飛び立とうとするが、白い光が奴の身体へ纏わりつく。
纏わりついた光は、アイノスを光の中へと呑み込もうとする。
アイノスの顔色が変わった。
「嘘だろ……まさか、このスキルは……!」
俺にできることは、もう全てやった。
後は、最後の賭けがどうなるかを見守るだけだ。
『これまでの罪を償いやがれ、アイノス!』
俺の念話に呼応するように〖リンボ〗の光が強くなり、アイノスの身体が薄れていく。
成功したのかと俺が息を呑んだ、その刹那だった。
「はい、〖レジスト〗」
〖リンボ〗の光が広がったかと思えば、光は薄れて消えていった。
中央には薄ら笑いを浮かべるアイノスが浮かんでいる。
〖レジスト〗……魔法を打ち消す魔法スキルだ。
ヨルネスが使っていたのを覚えている。
魔法力で俺を圧倒的に上回っているアイノスなら、俺の魔法程度いくらでも易々と消し去ることが可能だろう。
全ての魔法を使えるのだから、このスキルを使えることも頭に置いておくべきだった。
しかし、だとしても、他に取れる手なんてなかっただろうが。
「アハハハハ! 当たり前じゃん! キミの持ってる中で唯一ボクを倒せるスキルなんだから、警戒していなかったわけがないだろうに! ボクの不意を突けるタイミングで使ってくるだろうことは、戦う前からお見通しなんだよ! ボクだって馬鹿じゃないんだからさぁ! だとしても、いや、本当に当てられそうになっちゃうなんてねえ! ちゃんと戦いになっているじゃないか。対処法は考えていたけど、こんな形で仕掛けてくるなんて、ほんの少しだけヒヤっとしたよ。このボクが、この世界の住人に命を握られうるときが来るなんてね! ああ、ゾクゾクする……久々に生を実感させてもらった。こんな感覚、本当に何万年振りか! アハハハハハ!」
〖リンボ〗が対応された今……俺にはもう、何の手札も残っちゃいねえ。
アイノスのHPを正攻法で空にする方法なんて、とてもじゃねえが思い付かない。
「さすがのキミももう疲れただろう。ゆっくりと眠り……微睡の中で、ボクの人形となるといい」
アイノスが俺へと指を向ける。
「グゥオオオオオオオッ!」
俺は起き上がり、血塗れの右前脚を振るって〖次元爪〗を放った。
アイノスの立てた指を弾く。
奴の胸部に亀裂が走った。
俺に勝ち目なんて、最初からなかったのかもしれねぇ。
俺は象に噛みつく蟻に過ぎなかったのか。
だとしても、俺は俺が生きている限り、絶対に諦めるわけにはいかねえ。
まだ意識が残っている。
まだ腕が動く。
とっくにこれはもう、俺だけの戦いじゃねえんだ。
この世界と、過去の神聖スキルの所有者達と、そして俺を信じて戦ってくれた仲間達の全てが懸かっている。
アイノスが口にした通り、この世界が歪であることは、きっと間違いはない。
だからこそ、何が起きるかわからないからこそ、最後の最後まで俺にチャンスがあるはずだ。
「まさか、まだ戦意があるのか? まだ心が折れていないというのか! 本当にキミは、不屈としか言いようがない」
アイノスが目を見開き、興奮げに叫ぶ。
「いいよ、キミの頑張りに免じて教えてあげよう。ボクの奥の手を……そして、本物の絶望をね」
アイノスが宙へと浮く。
奴の周囲に、ゲームのウィンドウのようなものが大量に展開された。
「ここまでしなくてもいいんだけど、どうしてもキミの魂を屈服させたくなった。たっぷりと楽しんでくれ」
今まで以上に嫌な気配がする。
このまま奴の力の行使を許しちゃいけねえ。
俺は〖次元爪〗をアイノス目掛けて放った。
奴の姿が消え、更に上空に瞬間移動する。
二発目をお見舞いするも、掠りもしない。
アイノスは展開した大量のウィンドウをそのままに、事もなげに対応していく。
まるで捉えられない。
【〚アイノス〛により〖ラプラス干渉権限:Lv9〗が行使されました。】
【舞台裏の世界を一時的にデバッグモードへと上書きします。】
【権限者へコードの実行を許可します。】
何の話だ……?
不穏な言葉が次々に俺の頭の中に浮かんでいく。
真っ暗だった空を、サイケデリックな妖しげな光が支配する。
不気味な光は大きな渦を巻く。
せわしなく光るそれが、俺にはまるで、俺の無謀を嘲笑う声の嵐のように感じた。
「制限はあるけれど、このエリアに限り、一時的に六大賢者の行使していた力を取り戻すことができる。ここで戦ったのが運の尽きだったね。いや、どちらにせよ何も変わらなかっただろうけど。キミがどこまで、その魂の輝きを示せるのか、見せてもらうよ」
アイノスを覆うウィンドウの数がどんどん増えていく。
「コード取得申請……と」
【〖アイノス〗にコード〖KG47FE61〗を付与しました。】
【〖アイノス〗にコード〖AJ12LQ56〗を付与しました。】
【〖アイノス〗にコード〖PO88RE24〗を付与しました。】
【〖アイノス〗にコード〖TY29VX50〗を付与しました。】
【〖アイノス〗にコード〖GH39BS10〗を付与しました。】
なんだ……?
何が起きようとしていやがる。
「これだけあればいいか。管理者に刃向かうことの意味を教えてあげるよ。キミはいつ、殺してくれと懇願するかな?」




