708.グラトニー・グール(side:アドフ)
赤黒い鬼の群れ……グラトニー・グールが、聖堂を中心にハレナエ全土へと広がっていく。
「なぜ……なぜ、このようなことに……? 聖神様……我らハレナエの民だけは、この現代においても信心深くあり続けたつもりです……。だというのに、まだ試練を課されるというのですか?」
司祭がそう嘆く。
「司祭殿! とにかく、人を集めて保護を!」
アドフが呼びかける。
司祭は顔を上げてアドフの顔を見たが、力なく首を振った。
「どうしろというのだ……? あのような絶対的な力を前に。そもそもが古の勇者が現れたのが聖神様のご意志ならば、刃向かうことなどできるわけが……」
「それはわからんが、何もしないわけにはいかん。とにかく早急に兵を束ねて、民の安全確保を……! 大陸最強の剣士、ヴォルク殿が居合わせていたのは不幸中の幸いか」
「……お、俺様を当てにしているのか? あんな化け物共と戦えと?」
アドフの言葉に、ヴォルクがびくっと肩を震わせる。
話している間に、アドフ達の許にも赤黒い鬼が現れた。
『王ノ許二、集エ……。逆ウ者ニハ、死ヲ……!』
「ひぃっ!」
ヴォルクが鬼へと剣を向けるが、明らかに腰が引けていた。
後退りするヴォルクに対し、鬼が爪を構えてじりじりと詰め寄っていく。
「ゲエェェッ!」
鬼が爪の連撃をヴォルクへお見舞いする。
ヴォルクは辛うじて剣で防ぐものの、明らかに力負けしており、一打受けるごとに追い込まれていく。
三振り目で剣が宙を舞い、丸腰になったヴォルクがその場で尻餅を突く。
「うぐぁっ!」
「ヴォルク殿!」
アドフが横から飛び込み、片手の剣で鬼の爪を防ぐ。
「ぐっ!」
爪と刃を競り合うが、力では鬼に分がある。
鬼は必死に押し返すアドフの様子を、楽しんでいるようでさえあった。
「ヴォルク殿……どうしたのだ、今の構えは! 怯えていては、勝てる戦いも勝てなく……!」
「俺様……本人じゃねえんだぁ! ごめんなさいィ! 本名はディラン……ただの無名の剣士だ。『竜狩りヴォルク』って名乗ってりゃ、ハッタリ利いてどこでも一目置かれるから、つい……!」
偽ヴォルクことディランは頭を抱え、その場に蹲る。
「な、なんだと……!」
当てが外れ、アドフは苦い顔をする。
「ゲゲゲェ!」
「ぐぅっ!」
ついに受けきれなくなった爪の攻撃を、アドフは辛うじて地面へと受け流す。
鬼の爪が地面を深く抉るのを見て、アドフは息を呑んだ。
「こんなのまともに受ければ、一撃で身体が持っていかれる……!」
「この薄汚い魔物め!」
ハレナエ兵の一人が、鬼へと死角から切り掛かった。
「ギィッ!」
鬼は苛立ったような声を上げながら、その一撃を腕で防ぐ。
血こそ流れていたが、骨までは達していなかった。
「一時停戦しかないみたいだな、アドフ!」
ハレナエ兵がそう叫ぶ。
「よくやってくれた! 〖クレイ〗!」
アドフが魔法を放つ。
鬼の下に魔法陣が展開され、その片足が土へと沈み、固められる。
すぐさま足を引き抜こうとした鬼だが、死角からの兵士の剣の回避に気を取られ、上手くその場から動けないでいた。
「〖精神統一〗……」
アドフが鬼へと斬り掛かりながら、目を閉じる。
先の兵士の一撃をあっさりと腕で防いだ辺り、魔物が格上の相手だということをアドフは感じ取っていた。
戦いが長引けば敗れる。
この絶好の機会に、重い一撃を叩き込むしかない。
「〖鎧通し〗」
引いた後、横に大きく振るう。
「〖大切断〗!」
「ゲッ……!」
アドフの一撃を、鬼はまともに首で受けた。
刎ねられた鬼の首が地面を転がる。
「よ、よし、倒した……!」
兵士が安堵の息を吐いたとき、地面に転がっていた鬼の首が彼へと跳ね上がった。
「うぐっ!」
「ゲェエエッ!」
アドフが、鬼の口へと剣を突き入れた。
「ゲ、ゲゲ、ゲ……」
アドフは剣を地面へと振るって鬼の頭を叩き潰した。
そこでようやく鬼が絶命した。
「油断するな。今回の相手……あまりに規格外だ。それに、一体どうにかなったものの、あんな化け物がハレナエ中に放たれている」
そしてその数十体の鬼でさえ、アーレスが手を振るった血によって、一瞬にして生み出されたものなのだ。
「なんてときに来ちまったんだ……。こんな辺鄙な国に来たばっかりに、意味わかんねえ騒動に巻き込まれて……うう」
偽ヴォルクのディランがそう呻く。
「……あの魔人は、世界帝国の誕生を掲げている。どこかで奴を止めねば、被害はいずれ世界に広がるだろうがな」
アドフはディランへとそう言った。
アーレスの口にしていた世界帝国の野望。
それがただの夢物語りでないことは、本人の異様な力が証明していた。
アーレスが現れたと同時に放ったらしい、ハレナエを二分した攻撃。
あれが自在に使えるのであれば、本当に数日で世界を統一できても何ら不思議ではない。
世界は自身を崇めるためだけに存続すべきだとでも言いたげな、アーレスの言葉。
アドフも最初は何を大袈裟なことをと考えていたが、彼の規格外れな力を見ていると、もう大袈裟な言葉だとは思えなくなりつつあった。
「アドフ……いや、騎士団長アドフ様! どうか今一度、ハレナエの兵を率いて、民を導いてください!」
アドフと共に戦っていたハレナエ兵が、剣を捨ててその場にしゃがみ込み、地に頭を付けた。
「お、おい!」
「やはりあなたでなければ、ハレナエは導けない……。俺は教会の犬になって、あなたを狙っていた身……。都合がいいのは理解していますが、お願いします!」
アドフの襲撃に参加していた兵士達がアドフの前へと集まり、彼と同じように頭を下げ始めた。
「お願いします……!」
「あなたの力がなければ、ハレナエはきっと滅んでしまう!」
「復任を断って、国を出たことは知っています! しかし、どうか、ハレナエを見限らないでください!」
彼らは口々にそう言った。
「顔を上げろ。俺もこの惨状を前に、逃げ去ろうというつもりはない。お前達や、教会のためじゃない。単独で砂漠を抜けられぬ民のために、今は対立している場合ではないだろう」
「アドフ様……!」
兵士達が歓声を上げる中、司祭は俯いていた。
「……何をやっても無駄に決まっておる。聖神様が、あの古の勇者を仕向けたのだ。世界のどこへ逃げようとも、いずれ支配下におかれる」
「仮に無意味だとしても、ただ死を受け入れるつもりはない。せいいっぱい力の限り足掻いてやるさ。お前と勇者に嵌められたときと同様にな。……それから、お前にも来てもらうぞ」
アドフはその場から逃げようとする大男、ディランの肩を掴んだ。
「み、見逃してくれ! 俺様はもう、こんな国、一人で逃げる!」
「偽でも伝説の剣士を名乗ったんだ。多少は力に覚えがあるんだろう? この状況、戦力がとにかく貴重なんだ」
「勘弁してくれぇっ!」