705.とある旅人と砂漠の地(side:?)
――砂漠の地、ハレナエ。
この国は資源が少なく、また魔物の蔓延る広大な砂漠に覆われているため、交易もまともに行われていない。
そんなハレナエが今なお存続しているのは、勇者の生まれる聖地とされており、諸外国が支援を行っているからに他ならない。
勇者に縋る他、国としての存続の道がない。
だが、五百年振りに誕生した念願の勇者は、ハレナエに現れた邪竜から民を守るために命を落としてしまったのだという。
「……変わったこと聞きたがるね、お客さん。勇者様の死について、だなんてさ」
「ああ、わざわざそのためにハレナエ砂漠を越えてこんな国に来たんだよ」
ハレナエにある小さな酒場に、大柄の男が訪れていた。
男は厚手のマントを羽織っており、顔を隠している。
僅かに覗く顔からは濃い茶髭が目立つ。
「……冒険者かい、お客さん?」
店主の女の言葉に、男は首を振る。
「今は違うさ。利き腕の肩を魔物に噛まれちまって、まともに動かないんだ。それでも護身用に剣を持っておいた方がいいかとも悩んだが、女々しいのが嫌いなもんでな。武器も捨てちまったよ」
「……ふぅん。どんな怪我でも治っちまう、『竜狩りヴォルク』って冒険者がこの地に来てるそうだけど、普通の人はそうもいかんからね」
女店主はちらりと男の右肩の辺りを見る。
「ほう、実在したんだな。それは会ってみたいものだ」
ヴォルクの名は男も知っていた。
大陸最強を噂される、伝説の剣士である。
二つ名は彼が一人で上級竜を仕留めたことに由来する。
化け物染みた男で、修行のために崖底へ飛び降りただの、船を逃したので泳いで追い掛けただの、その伝説には事欠かない。
魔物に剣を折られて得物がなくなった際には、その相手を噛み殺したともされている。
さすがに尾ひれがついてるだろうが、それでも名高い剣豪であることは間違いない。
「勇者様について聞いて回るのは止めときな。教会が緘口令敷いてる。下手に聞き回ってたら、最悪、教会連中に牢に入れられるよ」
「身を案じてくれるならば素直に話してもらいたいものだな」
男は貨幣の入った袋を机の上に置く。
女店主は面倒そうに眉を顰める。
貧しい国であるため、思わぬ収入は嬉しい。
しかし、それよりも、どうにも本気らしい男の様子に、女店主は厄介事の匂いを感じていた。
放っておけば、この男は余所でも同じことを聞いて回り、兵士の厄介になるだろう。
「私も多くは知らないよ」
「それで構わん。真実どうこうよりも、教会の奴らがどう触れ回ってるのか知りたい」
「国の真ん中に突然邪竜が現れて、大暴れしたのよ。そのときに勇者様は命を落とされたの。最初は教会は、国を守ろうとした勇者様が命を落とされたって……。ただ、勇者様に関する、妙な噂が次々に出てきたのよ」
「妙な噂?」
「邪竜相手に敗れそうになって兵士を囮に逃げようとしたとか、錯乱して民を斬りつけて殺傷したとか……。挙げ句の果てには、その前から旅の同行人や兵士、知人を手に掛けていただとか……教会に庇わせて、国の前騎士団長にその罪を着せようとしていただとか……」
「そいつは酷いな」
「どこまで本当かは知らないわよ。でも、真実もあったみたい。今は教会は、あの男は勇者じゃなかったって……本物の勇者が近い内に現れるって、そういうことを言ってる。表立って口にしたら牢に入れられるけど……みんな陰では、『勇者の生まれる地』っていう看板を保つためのでっち上げだろうって……これで満足かい?」
「なるほど……外の国から聞いていたら、ちぐはぐなものしか出てこないわけだ。ありがとう、満足したよ」
男は酒を飲んでから、深く溜め息を吐いた。
「ご忠告通り、聞き込みもこの辺りにしよう。目的は果たした……明日にでも他国へ発つさ。これ以上、この国にいても、いいことはなさそうだしな」
「……酷い言いようね。確かに旅人さんにとっては、ただのろくでもない国でしょうけれど……それでも、私達の生まれ故郷なのよ」
「そういうわけじゃないんだが……いや、悪いことを言ったな」
そのとき、店の扉が派手に蹴破られた。
「なっ!」
女店主が驚きの声を上げる。
店に入って来たのは、六人の兵達だった。
そしてそこへ続いて、祭服の老人が姿を現す。
「な、なんですか、これは! どうして兵の方達が、私の店に……!」
老人は店内を見回し、男を見つけて顔を険しくした。
「見つけたぞ! お前の姿を見た、という話が出ておったのだ!」
老人が声を荒らげて叫ぶ。
「勇者殺しの反逆者……元騎士団長、アドフ・アーレンス!」
「元騎士団長……ですって!?」
女店主が驚いて声を上げる。
男……アドフ・アーレンスはすっと立ち上がり、マントを脱いで顔を晒した。
「お久し振りです、司祭殿。だが、その件は既に、お咎めなしとなったはずだ。直々に司教様が、俺へとそう口になされた」
「戯けが! あれは貴様が騎士団長に復任する気があると申したから、わざわざ便宜を図ってやったのだ! だというのに、後始末を我々に丸投げして、他国へ亡命するとはな! 司教様のご恩に、貴様が砂を掛けたのだ!」
司祭が大声でアドフへと怒鳴る。
アドフはかつて、勇者の逆恨みを買い、冤罪を着せられて処刑されそうになったことがある。
その際にドラゴンに命を助けられ、その助力を得て勇者への復讐を果たしたのだ。
勇者を庇い立てしていた教会だったが、勇者の死を契機に彼の悪事が次々に外へと漏れ、教会がその道連れとなって権威を失うことを恐れた。
アドフが肩を負傷して戦えない身であることは知っていたが、形式だけでも彼を騎士団長の座に復任させることでハレナエの新たな象徴とし、同時に偽勇者との決別を示すことで、教会の権威失墜を免れようとしたのだ。
だが、既に教会を見限っていたアドフは、復任を匂わせて正式に冤罪であったことを教会に認めさせた後に、手紙を残して他国へと発ったのだ。
以降、アドフは他の国にいたのだが、ハレナエはどうあっても故郷の地。
怪しげな噂話ばかり出てくる故郷の実態を憂いて、勇者騒動のその後を知るべく、こうして様子見に戻ったのだった。
「もう帰るところだ。退いてもらえるか?」
「そうは行くものか。貴様は内情を知り過ぎておる。抱え込めるならと見逃してやっていたが、そうでないならば野放しになどできるものか! ひっ捕らえよ!」
「はっ!」
六人の兵士達がアドフを囲む。
「戦士として引退した、今のアンタなど恐れるに足らん!」
「大人しく降伏しろ。命まで取る気はありませんよ、アドフさん」
「まさか利き腕の動かない状態で、徒手のままやり合えるとは思っていないだろう」
アドフは彼らの顔を眺めた後、鼻で笑った。
「やり辛いな。こうも見知った顔が多いと」
「掛かれえっ!」
司祭の言葉と同時に、兵士達がアドフへと飛び掛かった。
新連載作、完結いたしました!
こちらも読んでいただければ幸いです。(2021/1/20)
『大精霊の契約者~邪神の供物、最強の冒険者へ至る~』
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