659.元勇者の最期
「竜神さまが勝った……!」
アロの言葉に、俺は首を横に振った。
『……いや、ミーアの奴、俺に勝ちを譲りやがったんだ』
最後の最後で、追い詰められた俺は分の悪い賭けに出て、あっさりとミーアに回避された。
あの隙に、どう考えてもミーアは俺に重い一撃を入れられたはずだった。
それで勝負は終わっていたはずだ。
だが、ミーアは敢えてそれを逃して、隙を晒したのだ。
俺は床でぐったりとしていた瀕死のトレントを回収して〖ハイレスト〗で回復させてから、斬り捨てたミーアの上半身の許へと向かった。
タナトスの六眼のドラゴンは苦しげにもがいているが、流血が激しい。
段々と動きも鈍くなっており、すぐにでも息絶えそうな様子だった。
その横で、自身の血に塗れたミーアが、俺を見上げていた。
「崩神が始まっているらしい。最大HPが高いから、力尽きて死ぬ方が先だろうけれどね」
ミーアはそう言って、弱々しく腕を上げて見せた。
指の先から、微かに砂のように崩れてきている。
崩神は、最大HPとMPが減少していく状態異常だ。
スライムの奴は、最終的にそれで半ば自滅するように死を迎えることになった。
『神聖スキルを失っても、崩神がつくわけじゃねえんじゃ……』
「崩神は、世界を壊せるような強過ぎる存在が何体も現れないようにするためにラプラスが用意したシステムだ。神聖スキルを失えばステータスは減少するが、それでも一定水準以下にならなかった場合は、こうして崩神が発生することになる。知らなかったみたいだね。もっとも、そのシステムを無理やり突破して、何体もストックしてる奴がいるんだけどね」
神の声のことだろう。
奴は神聖スキルの紛い物を大量にばら撒いて、このンガイの森で伝説級の魔物を何体も集めている。
神の声とラプラスとやらの関係性は未だに見えてこないが、ラプラスの用意した枷や法則を、どうにか神の声の奴が書き換えようとしているらしいということは何となく見えてきた。
『ミーア……お前……外に出て、神の声に報復するんじゃなかったのか?』
「私の狂神は、実はもう取り返しのつかないところまで進行しているらしい。自分のことだからわかる。これは一回掛かったら、もうそれっきりだ。簡単に消えてくれるような生温い状態異常ではない」
俺は目を見開いた。
だったらミーアは、未来に希望を託してオリジンマターへと飛び込んだ時点で、既にここンガイの森で自分が朽ち果てることを受け入れていたことになる。
「実は君達が思っているより、狂神の精神汚染の悪影響は大きくてね。それ以前に、まぁ……タナトスに進化したこと自体が、あまりよくなかったんだけど。私はもうずっと、何を見聞きしても心が動かされることがないような、そんな状態が続いているんだ。そこに加えて、狂神とタナトスの破壊衝動がずっと私を蝕んでいた。残った理性でかつての使命感を必死に手繰り寄せてここまで来たが、それももう、狂神に押し潰されそうになっている」
そんな状態だったのか……。
作ったような表情や、どこかちぐはぐな言動に違和感は抱いていた。
てっきり神の声への憎悪のせいかと思っていたが、それどころではなかったらしい。
ここにいるのは、ミーアというより、散々心を引き千切られた後の、ミーアの残り香のようなものなのかもしれない。
ミーアはそんな精神状態の中で、それでも尚、俺達を導いて、希望を託そうとしていたのだ。
今となっては戦闘を仕掛けてきた理由は明白だ。
ミーア自身が自分が既に限界であることを知っており、命と引き換えに神の声に対抗するための五つ目の神聖スキルを俺に渡そうとしていたのだ。
「私の我が儘に付き合わせてすまなかったね。神聖スキルを渡す前に……どうしても、君の強さと覚悟を今一度確かめておきたくなったんだ」
当然だ。
ミーアは自分を犠牲に、自分の人生の全てを俺に託そうとしていたのだ。
俺が神の声に敗れれば、または挑みもせずに投げ出せば、その全てが無駄になってしまう。
結局は俺に任せるしかない状況であったとしても、俺のことを試しておかずにはいられなかったはずだ。
だが、俺はミーアの期待に応えられたとはとても思えない。
『悪かった……ミーア。三体掛かりで挑んだ上に、お前に散々手加減させちまった』
最初の不意打ちは、ミーアを警戒していれば対応できたはずだった。
実際に戦った後だからわかる。
あのときミーアはその気になれば、タイミングをもっと計って、スキルの連撃を叩き込んでそのまま俺に致命傷を与えられたはずだ。
何ならそのまま倒し切ることだってできていたかもしれない。
最後の最後でも、ミーアは結局自分から剣を下ろした。
「いや……いいんだ。確かに私を倒すことを期待していなかったと言えば嘘になる。だが、私も思い違いをしていた」
『思い違い……?』
「私は理性的なふうを装ってはいるけれど、頭の中はずっとあんな状態でね」
ミーアが目線で背後を示す。
「オォオオオオオオ……オォオオオオオオオオオオ!」
六つ眼のドラゴンが身体をもがかせ、悍ましい声を上げている。
口から涎を垂らし、何度も床に爪を叩き付けている。
「タナトスに進化して以来、ずっと憎悪の波と破壊衝動に襲われていた。必死に記憶を手繰って、以前の思考を模して繋いでいるような状態だった。だからだろう、ずっととんでもない思い違いをしていたように思う。私の目的は報復ではなく、神の声に支配されているこの世界を救うことのはずだったのにね。だが、死ぬ前に、思い出せてよかったよ。それはイルシア君、君のお陰だ」
『ミーア……』
「イルシア君、私の恨みや妄執を継いでくれ、なんて今となっては言えないさ。以前は君の言うことを否定はしたけれど、君の言う通りだ。神の声を殺すこと、それ自体には何の意味だってないんだ。それは手段であって、目的になってはいけないはずだ。未来の世界の破滅を阻止するためなんて大仰な目的のために、勝ち目のない戦いを挑まなくたっていい。君は、君の知っている誰かを守ることを一番の目的にして、それを忘れないで戦っておくれ」
俺は、咄嗟に何も答えられなかった。
色んな想いが綯い交ぜになって、言葉にならなかったのだ。
だからただ、小さく頭を下げた。
「もうずっと破壊衝動に囚われて、それ以外何も感じられないでいたけれど……君達との食事会は、久し振りに楽しかったように思うよ。オリジンマターから解放してくれたのが君達で、本当によかった。最期に、美しい想い出をありがとう」
ミーアが目を閉じる。
「……ウムカヒメは、まだ生きているんだね。私には過ぎた願いだが、できることなら、ひと目会っておきたかった。彼女のことだ。私の願いを叶えるため、ずっと戦っていてくれたのだろう」
ぽつり、ミーアがそう口にした。
ウムカヒメの安否は、戦闘前に俺が口にしたことだ。
てっきりどうでもいいことと、聞き流されてしまっていたものだと思っていた。
ミーアがしっかりウムカヒメのことを心に留めていたのが、俺は嬉しかった。
『……ありがとうな、ミーア』
ミーアは目を閉じたまま、いつものぎこちない笑みを浮かべた。
それから六つ眼のドラゴン共々、ついに動かなくなった。
【経験値を82950得ました。】
【称号スキル〖歩く卵Lv:--〗の効果により、更に経験値を82950得ました。】
【〖オネイロス〗のLvが145から150へと上がりました。】
【〖オネイロス〗のLvがMAXになりました。】
【特性スキル〖胡蝶の夢:Lv--〗を得ました。】
【進化条件を満たしました。】




