580.神の僕
「あまり図に乗らないことだね。話し合いで済むならそうしてやろうと考えていてやったけれど……こっちには、いくらでも手段があるんだよ。何一つとして、自分に選択肢があるとは思わないことだ。キミが聞く耳を持たないというのならば、それでいい。今まで通りのやり方で、やらせてもらうというだけだよ」
神の声の姿が、ふわりと宙に浮かび上がった。
俺が目で追うと、神の声が左腕を振り下ろしてきた。
指先が光る。
何をしたのかはわからかった。
何かが、来た。だが、相手の攻撃の正体が全くわからなかった。
避ける猶予がなかった。
直後、脳を揺さぶられたような悪寒が走った。
身体の奥から吐き気が込み上げてくる。
一瞬にして思考が真白になった。
「ガ、ウグゥ……」
気がつけば、俺はその場に腹を付けて這い蹲っていた。
頭も、地に横倒しにしていた。
口から漏れた唾液が地面に水溜りを作っている。
せ、精神攻撃か?
予備動作から発動が速すぎる。
おまけに範囲さえ全くわからなかった。
そういえば……ミーアの残した神の声の情報の中で、そういったものがあった。
『奴は基本的に、全てのスキルを使えると思っておいた方がいい。当然だが、私がこれまでに見た何よりも遥かにステータスが高かった。加えて、当時私の持っていたあらゆる耐性を貫通した、正体不明の凶悪な精神攻撃スキルを持ち、それを攻撃の主体に扱う。恐らく対抗する術はないので、精神力で堪える他にない』
ミーアの言葉が正しければ、今の攻撃に予防策はない。
回避やスキルのバフ、耐性スキルでどうこうできる代物ではないのかもしれねぇ。
こ、こんなの連発されたら、たとえステータスが追い付いてもどうにもならねぇぞ。
「りゅっ、竜神さま!」
距離を置いて見守っていたアロが飛び出してきた。
俺の頭のすぐ横に立ち、頬に手を触れる。
『く、来るな! 今、下手に近づくな! 何されるか、わかったもんじゃねえぞ!』
視界が、ブレる。
俺は定まらない視野の中、どうにかアロの姿を目で追い、彼女へと〖念話〗を送った。
『アロ殿!? み、皆さんは待機していてくだされ!』
トレントがそう言い、俺の前に出て〖木霊化〗を解除した。
タイラント・ ガーディアン本来の姿へと戻っていく。
見る者を圧倒する大樹が、神の声と俺の間に立った。
神の声がトレントを見て、口の端を吊り上げて無感情に笑った。
『やめろトレント! 本当に殺されちまうぞ!』
「もう、いいか。ボクからのお願いを全面的に突っぱねたこと、後悔させてあげるよ。どの道ボクは、リリクシーラとの約束を果たすために、〖スピリット・サーヴァント〗を使う予定があったんだ」
ス、〖スピリット・サーヴァント〗!?
こいつは〖スピリット・サーヴァント〗まで使えたのか。
『何をするつもりだ! やめやがれ!』
「リリクシーラがこのボク相手に渡り合えると思ったのはさ、ただの幻想だよ。彼女は、そう思い込ませておいた方が、よく働いてくれたからね。自分ならばボクを出し抜けると、どうやら本気でそう思っていたらしいんだよ。憐れだろう? そう考えるように誘導したのは、結局のところボクなのにね」
神の声が左手を天へと掲げる。
「リリクシーラは律儀に頑張ってくれたことだし、今となっては意味のないことだけれど、約束は果たされなければならない。ボクは心とか、結構そういうのを重視する方なんだ。彼女の覚悟を安っぽくするわけにはいかないからね。リリクシーラとボクはさ、約束をしていたんだ。彼女が神聖スキルの争奪戦に敗れた際には、リーアルム聖国にボクの〖スピリット・サーヴァント〗を嗾けて滅ぼすってね」
『テ、テメェ……!』
「キミがどう喚こうが、ボクは最終的にこういう手段をいくらでも取れるんだよ。たかだかこの世界の一生物に過ぎないキミが、神であるボクに何かできるなんて、思い上がらないことだ。教えてあげるよ、イルシア君。キミに何一つだって選択肢がないことをね」
神の声を中心に、魔法陣が展開される。
辺りが眩い光に包まれ、視界が途切れる。
俺は前足で顔を覆いながら、ゆっくりと目を開く。
な、何を喚び出しやがったんだ!
「オ、オォオオ、オォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
霧の地に、爆音が轟く。
それが生物の声だと理解するのに数秒を要した。
神の声の背後に、俺の倍近い全長を持つ何かの姿があった。
それは、恐らく大きな蜘蛛だった。
毛むくじゃらで、八本脚の巨体を持っていた。
その前面に、三つの大きな頭部がついていた。
左はヒキガエルで、右は猫の頭だった。
中央には、王冠を被った耳の長い男の顔が付いている。
全ての顔が、目を見開いており、焦点の合わない真っ赤な瞳を宿していた。
中央の男は絶叫しており、左右のカエルと猫は不気味に笑っている。
「驚いたかな? 歴史上一番強くなった、魔王の中の魔王だよ。〖三つ首の飽食王バアル〗っていうんだ。面白い姿をしているだろう?」
バアルの足元に、二人の人物が並んでいた。
片方は厚手の法衣で身を隠した女で、もう片方は大きな剣を担いだ全身鎧の巨漢であった。
に、人間!?
まさか、こいつらも〖スピリット・サーヴァント〗なのか!?
「ロオオオオオオオオオ……」
バアルの背後から、大きな音が響いてきた。
この地の霧に姿は隠れていたが、俺なんかよりも十倍以上は大きな、何かがいた。
とんでもねぇ巨体だ。
森の木々を押しつぶしながら歩んでいる。
あ、あれも〖スピリット・サーヴァント〗なのか……?
「どうかな? こいつら一体一体、全員が伝説級なんだ。なかなか壮観だろう?」
『な、なんで……〖スピリット・サーヴァント〗は、二体までじゃねぇのかよっ!』
そもそも、神聖スキルがなければこいつらは存在を維持できなくなるんじゃなかったのかよ!
〖スピリット・サーヴァント〗状態のベルゼバブも〖畜生道〗を有していた。
〖スピリット・サーヴァント〗の四体ストックに、神聖スキルなしの伝説級モンスターなんざ、いくらなんでもルールガン無視にも程がある。
こいつのステータス、どうなっていやがるんだ。
こんなの相手に勝てるなんて言い切りやがったミーアは、神の声への怨恨でおかしくなっていたんじゃなかろうかとまで思ってしまう。
「どうしてボクが、キミ達と同じ土俵で戦ってあげると思っていたの? そもそもこんなもの、余興でしかないのだけれどね」
神の声は、俺達の様子を眺めて意地悪く笑った。
こっちの反応を楽しんでいるかのようだった。
「リーアルム聖国如き、この内の一体でお釣りが来るくらいには充分だったんだけれどね。イルシア君があんまりにも反抗的だから、こいつらに徹底的に、キミがこれまで旅してきた土地を潰して回ってもらうことにしたよ。これでもさ、さっきまでみたいに生意気なことが言えるかな?」
俺は神の声の〖スピリット・サーヴァント〗の一体、一体に目をやった。
神の声には敵わなくても、今の俺ならば多少喰い下がることくらいはできるのではないかと思っていた。
だが、あまりにも格が違う。
「わかってくれたかな? キミが表の世界で一番強くなったところで、ボクの前ではそんなものは何の意味もないんだよ」




