461.忍び寄る影
せっかく拠点を作ったのに、近くにヤバイ魔物の巣があっては敵わない。
俺は安全確認のために、住処にした滝の洞窟周辺を見回りすることにした。
洞窟にはアロ達を残しているが、何かあれば、叫び声を聞いてすぐに戻れる範囲内だ。
川沿いに歩き、目を細めて周囲を眺める。
……やはり、視界が潰れるのは怖いな。
おぼろげに地形が見えるが、そこまでだ。
厄介な奴がいても、それなりに近づかなければわからない。
まぁ、こっちの方面は元々、俺が歩いて来た側だ。
キナ臭い山側の方を注意すべきだろう。
川の水でも飲んでリラックスしたら、上流側へと軽く探索してみるとしよう。
……んなことを考えながら川へと顔を伸ばしたとき、対岸側にいる、四つの禍々しい邪眼と目が合った
川の向こう側で水を呑んでいるフェンリルがいたのだ。
ばっちりと目が合った。
相手も暢気に水を呑んでいたことを思えば、ほぼ同時に気が付いたはずだ。
奴は即座に身を翻した。俺は咄嗟に〖鎌鼬〗を放った。
背に一撃ぶち当ててやった。黒い毛皮に赤い血が迸る。
だが、走るのにさしたる支障にはならなかったらしく、物凄い速度で霧の中に消えて行った。
俺は濃霧に覆われた遠くを見て、ゆっくりと首を振った。
先程まで見えていた大きな影は既に見えなくなってしまっていた。
……クソ、あのデカ狼を取り逃がしちまった。
完全に互いが見失ってから少し間を置いて「ギルォオオオオオ! ギノオオオオオオ!」という、フェンリルの負け犬の遠吠えが響いてくる。
うっせぇな、挑発するなら戻って来やがれ。
血を追えば捕まえられるだろうが、仲間達を滝の洞窟に置いている身なので、あまり離れるわけにはいかない。
しかしフェンリルとはいえ、後四体前後狩れば、必要経験値量が急に跳ね上がりでもしていない限り、最大レベルになれるはずなのだ。
惜しいことをした。
遠距離スキルを放つより先に、地を蹴って飛び掛かるべきだったかもしれない。
……最近俺は〖鎌鼬〗に不信感を持ちつつあった。
他の中距離攻撃がないので仕方がない事なのだが、〖鎌鼬〗は少々威力が弱い。
もっともMPに優しく、手軽に撃てるのでいい牽制になるという利点はあるのだが……直接攻撃に比べて、あまりに打点で劣る。
確かに雑魚狩りと格下狩りでは役に立つし、俺も世話になった場面も多いので〖鎌鼬〗先生の悪口はあまり言いたくない。
しかし、逆に言えばそれくらいにしか役に立たないのだ。
メイン攻撃として頼ったときにはほとんど裏目に出ているといっていい。
スキルLvは7なので、スキルLvのせいではないだろう。
俺の中ではナンバーツーの〖転がる〗を凌いで多用していた〖鎌鼬〗だったが、ここ最近はパワー不足が目立つ。
エルディアにカオス・ウーズ、ルインにベルゼバブと、〖鎌鼬〗がほとんどまともに通らなかった格上を立て続けに相手取ってきたのが、余計にその印象を強めている感がある。
せめて称号スキル〖勇者:Lv8〗のお陰で習得した通常スキル〖ホーリースフィア〗さえあればマシになるのかもしれないが……残念ながら、ウロボロスは左右の首で役割を分けられているらしく、一度も〖ホーリースフィア〗を使用できないままとなっていた。
いや、近距離並みの火力があって速度がある遠距離攻撃なんて、夢を見過ぎなのはわかってはいるんだがな……。
しかしそれでも、エルディアの〖ドラゴフレア〗の様な強力なスキルがあれば、Bランクを相手取るのに苦労しなくなるはずなのだ。
俺は気分を入れ替え、当初の思惑通りに、川へと口をつけて水を飲んだ。
俺は元々、〖鎌鼬〗先生の反省会議をするためでも、フェンリルを狩るためでもなく、気分を入れ替えるために川へと首を伸ばしたのだ。
うん、うめぇ、うめぇ。
相方の奴にも飲ませてやりたかったもんだ。
でもこれ、普通の水って感じがしねぇんだよな、やっぱ効能からして、酒みたいなもんなんじゃ……。
まぁ、この辺りに目立った魔物は見つからなかった。
一旦アロ達に報告してから、滝の元でもある、山頂の方を探索してみるとしますかな。
霧も、山の上の方が濃いように思う。
……とはいえ、あくまで今回は、洞窟近辺の調査のみだ。
Bランクの魔物を安定して狩っておけば、俺の進化まで安定して持っていける。
アロ達のレベリングにも、Bランク、またはCランクの群れくらいがちょうどいい相手だ。
ただ、リリクシーラとの決着をつけるのがここになりそうな以上、不確定要素は残してはおけない。
後回しにはするが、いずれは調査に向かうこととしよう。
今は行動範囲を広げていき、知っている場所を増やしていこう。
リリクシーラも怖いが、この場所も世界最悪の地だ。
油断し過ぎれば、ここが俺の墓場になる。そのときはアロ達も巻き添えだ。
レベリングを急ぐのは重要だが、焦りすぎるのは要注意だ。
俺は身を翻し、また川沿いに歩きつつ、滝の洞窟へ引き返すことにした。
……さて、できれば次の周辺探索はちょっと距離を伸ばしたいのだが、誰を連れて行って、誰を残したものだろうか。
全員固まった方がいいという考えもあるが、やはり探索には身軽な方がいい。
例えば最悪の場合、B+の魔物の群れ、みたいなのも考えられるわけだ。
地形もわからず、視界の悪い場所で、散らばっているアロ達全員を守って逃走することも難しい。
しかしそうなると……アロ、ヴォルク辺りが、探索のお供候補であると同時に、他の面子の護衛候補になる。
B+相応は彼女達だけなのだ。
アロだけでも、ヴォルクだけでも、トレントさん達に常に気を配りながら、フェンリル級の相手を退けるのは難しいだろう。
誰か連れて行きたかったところだが、安全を考えれば俺だけ単独で別行動して探索するべきかもしれない。
滝の洞窟がくっきりと見えてくるほどに近付いてきた。
俺を見つけたアロが、手を振りながら俺へと駆けて来る。
「りゅーじんさまー!」
はっはっは、アロ、あんまり洞窟から離れると危ないぞ。
ふと、周囲から殺気を覚えた。
無論、アロ達のいる前からではない。
背後……そして、側面側からだ。
見回すと、ぼんやりと霧に影が浮かび上がっている。
これは、一体じゃない。最低でも三体いる。俺から距離を保ち、なるべく気配を隠したまま囲んでいる。
……厄介な敵を引き連れて来ちまったか。
やっぱし、こっちの想定している安全圏の範囲で常に事が進むってわけはないわな。
この霧の中、俺に悟られずに三方を囲むとは、相当感知に優れた奴らか……。
おまけに、徒党を組んで動くのにも慣れている連中だ。
俺は歩くのを止め、アロを睨んで止まる様に促す。
事態を察したアロがその場で立ち止まり、背後の他の仲間達へと目線で合図を送っていた。
すぐさまヴォルクがマギアタイト爺の剣を構えてゆっくりとこちらへ向かってきて、トレントさんがごく自然な動きで洞窟の中へと撤退していく。
冷静な判断だし間違っていないが、だからレベルが上がらないんだぞ。
すれ違う様に前に出て来ようとした黒蜥蜴が、トレントの枝に背を押さえ付けられてその場でジタバタしていた。
グッジョブだトレントさん、一瞬心の内で悪態吐いて悪かった。