406.追走劇
ミリアを連れて逃げるサーマルを、俺は追う。
頭を屈め、天井を崩しながらも突き進む。
俺の駆けた後には、巨大な足跡が残っていく。
突き抜けて一部の床が落ちるが、俺は強引に追い続ける。
狭いこの場で戦えば、優位なのはサーマルだ。
だが、俺はサーマルにはステータスで大きく勝っている。
ランクの差による開きは大きい。
おまけに俺はアロもナイトメアも率いている。
誘き寄せてあの場から戦力を分散させるのがサーマルの狙いだったようだが、今の状況でも、ぶつかれば、間違いなく勝つのは俺だ。
相手もそれは理解している。
他に、何か明確な狙いがあるはずだ。
サーマルも、人質を取っても俺に自死を命じて通るとは思っていない。
脅しもやり過ぎて俺がミリアの奪還を諦めれば、その時点でサーマルは重要な手札を捨て札にして、俺に対する対抗策を失い、自身も命を落とすしかないのだ。
実際、俺もサーマルがミリアを盾に過剰な策に出られればどうすればいいのかわからないが、サーマルとてその境界ギリギリを攻めるのは、あまりにリスクが高い。
サーマルが考えているのは、ミリアを使って、どうにか俺が勝負に乗ってくる限界の範囲……戦闘の勝敗が、五分五分以上になる状況を作り出すことだろう。
あのスライム同様、小賢しい。
考えなしに暴れる奴だったらミリアが既に死んでいた可能性もあるので、その点では良かったのか悪かったのか、俺にもなんともいえないが。
先を走るサーマルが、他のナイト・スライム達と合流する。
わらわらと通路から、五体のナイト・スライムが現れる。
「サーマル様、この状況は……!」
「一分……いや、二十秒稼げ! クソッ、抵抗するな小娘! もっと手荒に連れて行ったっていいんだよこっちは!」
ナイト・スライム達に命じて、サーマルは先を走る。
ナイト・スライム達は困惑しつつも、俺の前に立ち塞がる。
「任されたのは足止めだ!」
「だったら……〖ウーズボム〗! 足を狙え! 顔を狙え!」
ナイト・スライム達が、俺目掛けてスライム体の弾丸を吐き出す。
複数の粘液の弾丸が俺へと飛来する。
ヴォルクの足を止めたスキルだ。
俺は後ろ足で床を蹴り、狭い通路を側転しながら掻き分けて突き進み、爪を振るった。
「グゥオオオオオッ!」
奴らの〖ウーズボム〗を爪で弾いて破壊する。
破裂した飛沫が掛かる。
体表が溶かされる痺れと痛みがあったが、こんくらい関係ねぇ。
左右上下の壁に、俺の凶爪の痕が滅茶苦茶に刻まれ、通過した後に崩れていく。
「なっ……! こ、こんな奴、どうしろと……!」
俺はナイト・スライム達の陣を悠々と突破し、通過した際に三体を爪で引き裂いた。
バラバラになった鎧と、散らばった飛沫が舞う。
ナイトメアはどうにか糸の粘力で、アロは肥大化させた腕で俺の背にしがみついていた。
【経験値を1360得ました。】
【称号スキル〖歩く卵Lv:--〗の効果により、更に経験値を1360得ました。】
三体合計分の経験値の取得を、神の声が伝えてくれる。
爪から逃れ、生き残った二体のナイト・スライムが呆然としゃがみ込んでいるところへ、崩れた瓦礫が落下し、悲鳴と共に押し潰されていく。
【経験値を940得ました。】
【称号スキル〖歩く卵Lv:--〗の効果により、更に経験値を940得ました。】
悪いが、お前ら如きに時間を取られてるつもりはねぇ。
サーマルよ、俺を罠に掛けてぇんなら、とっとと仕掛けに来い。
俺はその隙にお前をぶっ飛ばして、ミリアを助け出してみせる。
「く、くそっ……! レベルが高くても、C+ランクじゃ、どうにもならないのか! しかし、いくらなんでも、いい加減、この先にローグハイルが……」
サーマルは俺を振り返った後に、進路の先へと目を向ける。
強引にサーマルに腕を引かれていたミリアが、サーマルを睨み、覚悟を決めた様に目を細める。
ミ、ミリア、、なんかやるつもりじゃあ……。
確かに、俺への危機意識を高めた直後で、自然とサーマルの意識がミリアから薄くなっている。
ミリアが仕掛けるには今が好機であることには違いないが、彼女とサーマルでは、いくらなんでも実力に開きがあり過ぎる。
「……有効なのは、範囲攻撃! 火魔法〖ファイアボール〗!」
ミリアの手が、サーマルの右肩へと添えられる。
次の瞬間、接触部を起点に、炎の球が膨張し、リンゴ二つ分の直径になったところで破裂した。
炎の弾ける音が響く。
猛煙の中、サーマルの顔が怒りに引き攣るのが見えた。
「だから、調子に乗らないでほしいって言ってたよね? あのね、君が何をやろうと、関係ないんだよ。オレを怒らさない方がいいんじゃない?」
サーマルの右手は、ミリアを掴んだまま微動だにしていない。
腕には一切の変化は生じていない。奇妙なことに、猛煙の合間に見える服にも変化がない。
服も体の一部であるスライム体を用いて生成したものなので、衣装というよりは本体の生身に近く、生半可な攻撃では通らないのだろう。
むしろミリアの方が、自身の起こした意図的な魔力の暴発に巻き込まれ、咳き込んでいる。
直接ぶつけたミリアの腕は火傷が酷く、親指から手のひら、手首近くにかけて焼け爛れている。
だが、無意味ではなかった。
サーマルがはっと気が付いた様に、ミリアを掴んだまま通路の端へと跳んだ。
俺がミリアの〖ファイアボール〗と合わせて放っていた〖鎌鼬〗、二つの真空の刃は、一つは見当違いの方へ、もう一つはサーマルの頭部の上を掠め、そのまま上方へと飛んでいく。
切断された髪が、宙で粘液へと戻って床へと舞う。
サーマルが風の刃を目で追い、顔を歪ませながらも笑みを浮かべる。
「危ない、危ない……猛煙で視界が悪くなり、俺が至近距離の爆発を受けて音を拾い辛くなった瞬間を狙ったのか。ちょっと反応が遅れたな。今の隙を突いたのは、悪くない攻撃だ。オレも、思わず頭を切断されかけた。ただ、判断が稚拙すぎる」
サーマルが目線を俺へと戻した。
「勝負を急いたか? それとも、この女は案外、どうでもいいのかな? どうせ、対抗策がなくなるから、オレにはこの小娘を殺せないって判断か? だとしたら、それも浅はかだ。オレには、生かすか殺すかの二択しかないわけじゃない。駆け引きとして、段階を踏むことだってできる。顔を毒でぐずぐずにして、この娘の綺麗な顔を台無しにすることだって、足を腐らせて一生歩けなくすることだってね? いいか、これは君達へのペナルティーだ。もうちょっとコンパクトになった方が、オレだって歩きやすくていい」
サーマルの手が、ミリアの左足の付け根に触れる。
それとほぼ同時に、後ろへ通過した二つの〖鎌鼬〗が、天井と曲がり角の壁を崩した。
呆気に取られ背後を見るサーマルの目の先で、瓦礫が積み重なって通路を封鎖した。
「うっ……イ、イルシアっ! お前っ、最初からこっちを狙って……!」
サーマルはスライムだ。
一人でも、瓦礫の隙間を通って逃げられるだろう。
だが、ミリアを連れて行くことはできない。
置いて逃げるしかなくなる。
ここでミリアを連れて引き返してヴォルクと合流し、確実にメフィストから個別撃破する。
最悪、魔王には逃げられるが……ひとまずは、アーデジア王国からこいつらを追い出せるし、大幅に戦力も低下させられる。
決着を急ぐよりも、最悪を考えてここは確実に窮地を脱せる方を選ぶ。
正直、リリクシーラの行動が読めなさ過ぎて、ここで攻める賭けには出られない。
リリクシーラは自分が捕まったら人間サイドはゲームオーバーだと考えているのだろうが、それにしても慎重過ぎる。
彼女にも彼女の考えがあるのだろうが、口車に乗せられて仲間の命まで賭している俺としては、あまり愉快な気持ちにはなれない。