166.招待状
曲げている足に力を加えると、身体が浮いた。
ようやく麻痺が和らいできたようだ。いける、これなら動ける。
あの金髪ヤローは、さっきから俺に背を向けている。
ニーナに何やら話しかけているようだ。
俺がちょっと吠えようが、こっちに注意を向ける様子はねぇ。
俺がまだ麻痺で動けないと思っているのか、麻痺が解けてもどうとでもなると思っているのか。
確かにあの男は強い。反則級に強い。
真っ当に戦えば、俺のステータスではまず勝てない。
だが、それ故の油断なのか隙が大きい。
経緯はわからないが、さっきも俺そっちのけでアドフと決闘を始めていた。
アドフを格下と見てか手を抜いて戦っていたのは、第三者視点から見ても明らかだ。
今、あの背にダッシュで飛び掛かれば一撃入れることができるかもしれねぇ。
体重を掛けて〖くるみ割り〗をくらわせてやれば、さすがにあのステータスとて無事ではないはずだ。
俺は呼吸を止め、グッと後ろ足に力を込める。
背中へ飛び掛かって爪で握り潰し、そのまま一気に上空へ飛んでから地面に叩き付けてやる。
通用するかどうかはわからねぇ。
〖くるみ割り〗が格上に通った覚えはねぇが、それは自分より強い相手は大体デカかったから持ち上げて飛べなかった、というのが一因だ。
あんな小さい身体でとんでもない高ステータスというのはなかなかいない。
ひょっとしたら上手く行くかもしれねぇし、あっさり振り解かれるかもしれねぇ。
後者だったら多分、その時点で殺される。それにそっちの可能性の方が高い。振り返り様に叩き斬られることだって考えられる。
だが、普通に殴り合っても勝ち目がない。
長引いたら、ニーナも玉兎も殺されるかもしれない。やるしかねぇ。
俺が覚悟を決めたそのとき、ニーナが男の顔を引っ掻くのが見えた。
お、おい、ニーナ、何やってんだ!
気持ちはわかるけど、下手に刺激したらヤバいって!
男は一瞬呆けたような無表情になり、それからゆっくりと笑みを浮かべる。
のっぺらぼうに描いたような、薄気味悪い笑顔だった。
男が握手を求めて差し出した手で、ニーナの顔を殴りつけたのだ。
男はそのままよろめくニーナに接近し、首を持ち上げる。
ニーナが、殺される。
今から飛び掛かっても間に合わねぇ。
ニーナは、あの男が首を絞めなかったとしても、〖竜鱗粉〗で死ぬ。
むしろ、今より苦しんで死ぬかもしれねぇ。なんせ、邪竜の呪いだ。
結果が早くなっただけだと、そういう考え方もできるかもしれねぇ。
だが、それでも、
『……最期まで、一緒にいてもらえませんか?』
俺はニーナと、約束したのだ。
あんな外道の手に掛けて殺させるものか。
「グゥルォォォオオオオッ!」
俺は身体を大きく動かしながら、顔を空に向けて吠えた。
男は俺の麻痺が解けたことに気付いたらしく、ニーナから手を放してこちらを振り返る。
うし、上手く気をこっちに向けられた。
俺は後ろ足で地を蹴り、男との距離を詰める。
不意打ちの好機はなくなったが、元より上手くいっていたとは思えねぇ。
むしろ勝算があるのは、あの男がアドフのとき同様、手を抜いて勝負を長引かせようとしたそのときだ。
命の取り合いでそんな悠長なことをしていれば、必ず決定的な隙が出て来るはずだ。
「……ふっ、ふふふ」
何がおかしいのか、男は笑い始める。
本当に、コイツは一体何なんだ。
「グルァッ!」
俺は腕を振り上げ、鉤爪で頭部を狙う。
わざと腕を振るう速度を加減し、全力は出さなかった。
男は剣を抜き、悠々と俺の爪を防ぐ。キィンと金属音が鳴り、俺の腕が止まる。
腕の速度を加減したのは、男から少しでも油断を引き出すためだ。
下手すりゃすぐ斬り殺されて終わりだが、このステータス差で勝ち目があるとしたら、それ以外に俺には思いつかなかった。
相手の気紛れひとつで決定打を打ってきかねねぇし、さっきみたいに麻痺付加攻撃を当ててくる可能性もある。
見込みの薄いギャンブルだった。
爪と剣を打ち合う。
打ち合う中で、こっちの癖をわざと作って見せつけておく。
速さはこっちが劣るが、リーチのリードがある。
一見対等ではあったが、それは相手が俺優位の間合いでぴったり止まってくれているからに過ぎない。
男には魔力で覆ってアホみたいに攻撃範囲を広げるスキルがあるはずだ。
表情から見ても、向こうさんが遊んでいるのは明らかだった。
「グゥルァッ!」
俺は肩を大きく振るう。
男がさっと横に飛んだため、俺の爪は空を切って地に刺さる。
男の表情が緩む。やるなら、今か。
「ガァッ!」
逆の手を全速力で叩き込む。
「なっ……」
俺の追撃に対し、男は大きく反応が遅れた。
入る。
この男は、一発もらえば取り乱すはずだ。
アドフとの一戦も、自分が攻撃を受けそうになったらすぐに勝負を終わらせていた。
この一発で致命傷を負わせねぇと、勝ちの芽は潰える。
俺の鉤爪が、男の影を叩き潰す。
まったく手応えがなかった。
この感覚、〖蜃気楼〗をくらったときに似ている。
確かコイツ、〖ミラージュ〗とかいうスキル持ってなかったか?
「またちょっと、大人しくしてもらおうかな。大丈夫、威力は抑えてあげるからさ」
声が聞こえ、目線を上げる。
「〖天落とし〗」
続けられた声と同時に、頭に強烈な衝撃がのしかかってきてその場に叩き伏せられた。
「グァァッ!」
頭から地に叩き付けられ、顎を打つ。
視界が大きく揺れた。
まともに脳天をやられた。意識が危うい。
【耐性スキル〖麻痺耐性〗のLvが2から3へと上がりました。】
神の声が律儀にそんなことを教えてきやがるが、喜んでいる余裕はない。
男が俺の頭に乗り、剣を突き付けてくる。
このままだと、殺される。
「グゥゥウ……」
「そう唸らなくてもいいよ。少し君に、興味が湧いたんだ。言葉はわかるだろう?」
男はそう言って笑い、剣を鞘へと納める。
それからパチパチと手を叩き始めた。
なんだコイツ、本当になんなんだ。
「いや、まさかこんな情に溢れるドラゴンがいるなんて、思いもしなかった! 僕はね、とても感動してるんだよ」
胡散臭い猫撫で声でそう言って、目頭を指で押さえる。
わざとらしい演技だが、このまま殺すつもりならこんな茶番を挟んでくるとも思えない。
とりあえず、今すぐは俺を殺す気はないということか?
「でもまだね、僕としては信じられないんだよ。いや、いやいや、失礼なことなのはわかっているけどもさ、僕って疑い深くって。だから僕は、君がもっと身体を張ってくれるところを見たいんだよ」
口調や表情からして、とても本心とは思えない。
遠回しな言い方だが、要するに、コイツは何が言いたいんだ。
男は前傾に身体を曲げ、俺の目を覗き込んでくる。
「五日……いや、早い方がいいか、四日、うん、それがいい、四日後だ。ここから真っ直ぐ北の方に、僕の生まれた国があるんだけど、四日後の真昼に来てもらえないかな? ここからなら急いでも二日は掛かる距離なんだけどさ」
言いながら、男は俺が来た道の先を指差す。
あの先には、例の城壁都市がある。
ま、まさか、あそこに来いって言ってんのか?
都市に俺が入ったら大パニックになんぞ。
何考えてんのか全然わからねぇ奴だとは思っていたが、いくらなんでも意味がわかんねぇ。
その城壁都市に俺を近づかせねぇために俺を襲撃しに来たんじゃなかったのか。
言ってることもやってることも滅茶苦茶だ。
「グゥオオオオッ!」
んなこと、できるわけねぇだろうが!
誰が行くか!
気力を振り絞り、頭にいる男へ向けて爪を振るう。
「それじゃあ待ってるよ、イルシア君。僕の期待を、裏切らないでくれよ」
男は鞘ごと剣を振り上げ、俺の頭へと叩き込んでくる。
俺の爪なんか全然間に合わねぇ。
再び頭に強烈な打撃をもらい、そこで俺の意識は途切れた。