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白紙の中に  作者: 太刀河ユイ(飛竜院在九)
第一章 変化
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第七話 見知らぬ手紙


 次の瞬間、俺は自分が横になっている事に気がついた。


「あ、起きた」

「恵理」

「ダメだよ~仕事サボってこんなとこで寝てちゃ」

「俺、寝てたのか」

「ぐっすりね。ほら、そろそろ八時になるよ。引き上げるわよ?」

「……!」


 俺は勢いを付けて上半身を跳ね起こした。


「おわっ」

「あいつは!?」

「えっ……?」

「ローブの絵描きだよ! 見なかったか?」

「見てないよ。それどころか、ジョギングしてる人にも会わなかったけど?」

「…………」

「どうしたの? も、もしかして見たの!?」

「い、いや」


 俺は恵理から顔を背けた。

 夢だったのか? あれは……。

 どうやら、最初に恵理と別れた場所で眠っていたらしい。

 坂の下。ガード下をその場から覗き込んでも、そこには誰もいない。


「えー、なんか変だよあんた」

「いや、なんでもないって。なんにもなかったんだ」


 俺が自信なさげにそう答えると、恵理は心底不思議そうな顔をした。

 当然の事だと思う。


「恵理、お前って身長いくつ?」

「? いきなり何?」

「いいから」

「細かい数字は覚えてないけど、啓一君のマイナス九センチくらい」

「じゃあ、無理か」


 なりすましはできない。俺よりも高いか同じくらいだったからな。

 厚底ブーツでもあれば別だろうが、水気の多い川辺で厚底なんて靴を履けばバランスを失って転げてしまう。

 なら、他の誰か?


「啓一君?」

「え、な、なに?」

「……はあ。何でもない」


 溜息をついて、今日も収穫はゼロか、と肩を落とす恵理。

 一度、ここで絵描きを見たと言えば、たちまち恵理の態度は反転するはずだった。


「ほら、今日はもう撤退よ」


 食券だってもらえたかもしれない。だが、先ほどの事は胸の内にしまっておく事にした。

「家まで送るぞ」

「お、頼もしいー」


 ローブの絵描き、そして白紙のキャンパス。見た事聞いた事、この噂ごとすべて忘れよう。

 恵理にはすまないが、明日からこの噂には一切関わらない事にしよう。

 俺は、そう心に誓った。



『おはよ、啓一君』


 聞き覚えのある声。


『おーい。何描いてるの?』


 この台詞にも、デジャヴを感じた。前にも同じような事があった。

 あの夢の女の子に似ている。でも、女の子は成長していた。


『啓一君ってば』

『あ、美』

『もう。もう学校遅刻しちゃうよ?』


 名前を呼ぼうとするも、阻まれる。どうやら、絵を描く事に没頭していたらしい。


『あ……』

『集中しすぎ。ほら、早く行こう?』

『ちょっ、急いで片付けるから』


 慌ててイーゼルを畳む俺。一旦、家に持って帰らないと。


『はーやーくー』

『待ってくれって』

『川辺の方で待ってるからねー』

『おう』


 片付けを終え、一度家に帰ろうと彼女に背を向ける。

 重々しいブレーキの音が朝の公園を駆け巡ったのはその時だった。

『……!?』


 反射的に振り向く、なぜか心臓が高鳴りだした。


『美――ッ!』


 彼女の名前を呼ぼうとした。でも、その声は届かなかった。



 翌日。土曜日。

 俺は人の気配と声に眠りを阻まれることなく、目が覚めた。

 普段起こしてもらう時間より少し遅かったが、こんな時間に一人で起きたのは久しぶりだ。


「でも、嫌な夢見ちまったな」

「縁起でもない。今日は車に気をつけろってことかな」


 夢の中とは言え絵を描いていた俺。片付けを待ち切れずに川辺へと走っていく女の子と、事故。

 本当に嫌な夢だ。

 ……そういえば俺、いつ寝たんだっけ。

 恵理を送って、えっと。


「風呂入って、すぐに寝たんだっけ」


 恵理を送った帰り道。風呂。布団の中でさえ、昨日の出来事が俺の頭から離れる事はなかった。

 さっきの夢だって、気付かれのせいだろう。忘れてしまおう。

 だが、そう簡単に俺の頭から引き剥がせてはくれないらしい。そうしようとすればするほど考えてしまう。

 ローブの絵描きは、白紙のキャンパスを見せてどうしようって言うんだ。アレは、夢だったのか。そんな事ばかり考えていた。


「はあ、顔洗ってこよ」


 雑念を振り払うため、洗面所のある一階へ降りようとした時だった。


「……あれ」


 机の引き出しが開いていた。覗き込んでみると、置いておいたはずの鍵がない。


「盗まれた? いや、鍵は閉めたはずだ。それに父さんの部屋の鍵だけなくなるなんて……」


 身を翻し、俺は急いで階段を駆け下りた。

 部屋の扉が開いている。

 恐る恐る部屋に近づいていくと、早鐘が胸を強く叩いてくる。


「ゴメン、ね……」

「美鳥?」

「へっ? わっ、け、啓一君!?」


 慌てた様子の美鳥が、父さんの部屋にいた。


「お前だったのか」

「あ、ご、ごめんなさい! かかか、勝手に部屋に入っちゃって……」

「父さんの絵でも見てたのか?」

「う、うん。その、少し見たくなって」

「言ってくれればいいのに。なあ美鳥」

「何?」

「誰に謝ってたんだ?」

「え……」

「あ、ごめん。気のせいだよな」

「う、うん。何の事だかわからないよ、空耳じゃない?」

「寝惚けてるみたいだ。……顔洗ってくる」

「わかった」

「じゃあ待っててくれ」

「啓一君。もう少し、ここにいていいかな?」

「ああ。朝飯も作ってくるから、ゆっくりしてろ」

「あの、実は私、寝坊して朝ご飯食べてないの。ごちそうになってもいい?」

「いいよ。ついでに買い出しすれば問題ないし」

「ありがと。あとでお金渡すね」

「別にいいって。じゃ、またあとでな」


 美鳥を父さんの部屋に残し、俺は洗面所へ向かおうと踵と返した時、携帯を二階に忘れてきたのを思い出した。

 手元にないと忘れるからな、念のために取って来よう。再び自分の部屋へ。


「ついでに着替えちまうか」


 二階に上がり、適当に服を選ぼうとするも、とある単語が浮かんで脳裏に焼き付いた。


「で、これってデートだよな……」


 画材屋に行くって約束だけど、女の子と二人で歩くって事は……そうなんだよな。

 もう少し気の効いた、というよりいつもと違う服の方がいいんだろうか? 少々迷った挙句、俺はいつも通りの服を並ぶことにした。

 携帯をポケットに突っ込んだところで、引き出しが開けっぱなしだった事に気付く。

 何気なく片手で引き出しを戻そうとした際、顔を覗かせる一枚の色褪せた紙が目に入った。


「前に見た時、こんなのあったっけ?」


 それは俺が読んでいたと思われる本の中に挟まっていた。

 引き抜いてみる。

「……手紙?」


 裏側に差出人の名前と思われるものが書いてある。


「榎本啓一」


 間違いなく俺の名前だ。

 記憶喪失になる前、俺自身が書いた手紙だろうか。

 表には当然の如く、宛名は――。


「え?」


 俺は、目を疑った。


「秋葉」

「――美『樹』?」

「誰だ? 美『樹』って」


 美鳥の母親? いや、名前は美『樹』ではなかったはずだ。

 父親、んな訳ないよな。

 美鳥のおばあさん? いや、なんで俺が美鳥のばあちゃんに手紙を送る必要があるんだよ。


『秋葉美樹』


 名前からして、女性だと言うのはわかる。

 でも俺の知り合いに秋葉と言う苗字の女性は、美鳥とその母親だけしかいない。

 学校でもこの名前を見かけた記憶はない。

 手紙の中身を見れば、何かわかるかしれない……。


『啓一くーん? どこー?』

「……!」

『あれ、上にいるのー?』

「携帯取りに行ってただけだ! 今飯作る!」

『はーい』


 手に持っていたそれを、もう一度見つめてみる。


「見ていいのか? そう簡単に」


 この手紙は、俺が書いたものじゃない。『昔の俺』が書いたものだ。

 そんな『他人』が書いたのと同義な手紙をそれを見ていいものなのか?

 俺は手紙を引き出しにしまい、出口へと向き直った。見えない不安と、記憶から逃げるように。



 朝食後、俺達は少しばかりの休憩を挟んで繁華街へ向かった。


「悪いな、フレンチトーストくらいしか作れなくて」

「ううん。おいしかったよ」

「そりゃよかった」

「そういえば昨日、恵理ちゃんと川辺に行ったんだよね?」

「え?」

「あ、ああ。恵理の奴、何か言ってた?」

「ほら、ローブの絵描きがいたとかいないとか……」

「何か、イタズラしたとか」

「イタズラ……例えばどんな?」

「ローブの絵描きに変装して、俺を驚かせようとしたとか?」

「んー、いくら恵理ちゃんでもそこまではしないんじゃない? それに変装するんだったら啓一君にさせると思うよ?」

「え、なんで?」

「啓一君をローブの絵描きに仕立てて、写真を取る、とか。スクープ写真だって言ってさ」

「捏造じゃねーか」

「た、例えばだよ。いくら恵理ちゃんでも、スクープがほしいからってそこまでは……あ、それでローブの絵描きさんはいたの?」

「恵理から収穫なしって言われなかったか?」

「啓一君は寝てただけだったんだよね」

「ああ……何も見なかった」

「そうなんんだ。あ、ほら。着いたよ」

「この画材屋さん覚えてる?」

「退院して、一回行ったきりだったっけ」


 三年前か。そういえば、あれから全然来てなかったんだな。


「それより前は啓一君もよく来てたんだよ」

「へぇ……」


 美鳥の後について、画材屋へ。

 内装は三年前から変わってない。懐かしいな、俺の意識では一度しか来てないんだけど。

やっぱり、元常連だったせいか、妙に落ち着いてしまう。

「あ、啓一君。私は必要なもの注文してくるね」

「イーゼルか?」

「ううん、新しい絵の具と筆。イーゼルは借りられるから」

「そうか。じゃあ、俺は待ってればいいよな」

「適当に見て回ってていいよ?」

「了解」


 って言っても、今の俺には見るものなんてないんだよな。


「あら、榎本君?」


 入口付近でを待機していると、誰かに話しかけられた。


「智明先生」

「こんにちは」

「あ、どうも」

「あら? 美術部の入部は拒否するのに、画材屋には寄るの?」

「え、えっと……」

「ふふ、ごめんなさい」

「へ?」

「あはははは。見てたわよ、美鳥ちゃんと一緒なんでしょ?」

「大人げないですよ先生」

「ごめんってば」

「で、先生」

「ん?」

「えっと」


 先生の足元を一瞥する。


「あ、この子の事?」


 智明先生の後ろに隠れている小さな影が、チラチラとこちらを窺ってくる。


「ッ!」


 警戒しているのか、目が合うと先生の影に隠れてしまった。小学生かな?

 いや、それよりもっと小さい。


「ほら。啓一おにーちゃんに挨拶は?」

「こんにちは。そんなに怖がらなくてもいいよ?」

「……こんにちは」


 返事はしてくれたけど、ヤケに警戒されている。


「先生って子供いたんですね」

「いないと思ってた?」

「噂で聞いたことがあるだけです」

「こうやってこの子と一緒によく画材屋に来るからね。結構話は広まってるのかと思ったけど。美術部員は全員知ってるわよ」

「名前はなんていうんです?」

「明るい音って書いて、明音よ」

「そうですか、いい名前ですね。よろしくね、明音ちゃん」


 やっぱり警戒されてる。


「榎本君は美鳥ちゃんを待ってるの?」

「はい」

「仲いいんだねー」

「幼馴染みですし」

「ふうん。だってー、明音」

「…………」

「急に話を振られて、驚いていますけど」

「緊張しているのよ。ね?」

「…………」

「……あははは」

「おにーちゃん」


 お。


「どした?」

「おにーちゃんって、みどりおねーちゃんのコイビト?」

「へ? い、いや俺は」

「あらあら」

「先生」

「どうしたのそんなに慌てて。たまに遊んでくれるのよ、美鳥ちゃん」

「いや、俺と美鳥はそういうのではなくて」

「子供の言う事よ、子供の」


 ……もしかしなくても、俺からかわれてる?


「あの、この画材屋にはよく来るんですか?」

「ええ、休日になるとこの子が画材屋に行きたいって言うのよ。お絵かきの道具は揃えてるのにね」

「ママー」

「あ、はいはい。こんな風にね」

「かわいいじゃないですか」

「ありがと。じゃ、榎本君またね」

「あ、先生。一ついいですか?」

「なにかしら?」

「昼飯を屋上で食べるって話、あったじゃないですか。理由を聞いてなかったんで」

「理由?」

「急にここで食べたいなんて言いだしましたから」

「あ、聞きたい?」

「はい」

「うんとね、あなたを勧誘するためよ」

「え」

「諦めきれないもん。あなたの絵」

「そ、そこまでする理由は先生にはないんじゃ?」

「ふふ。理由なら、平日のランチタイムに聞かせてあげるわよ。それじゃあね」


 智明先生は明音ちゃんの手を優しく引いて、店の奥へと入っていった。

 少しして、美鳥が店から出てきた。


「注文してきたよー」

「あ、お疲れ様」

「目当てのものが届くのは来週になるみたい」

「え。絵の具とか筆なら、店に並んでる奴でいいんじゃないのか?」

「んー、自分の使ってた筆と同じ奴がほしいんだよ。それが在庫切れだったんだ」

「こだわりがあるんだな」

「もっとも、このこだわりは啓一君譲りだけどね」

「え、そうなの?」

「そうだよー。なんでも自分が慣れたものじゃないと落ち着かないって言われ続けたんだから」

「それで影響されたと」

「そういうこと」

「そんなこともあったのか」


 昔の俺って、病気的に絵描きバカだったんだな。聞けば聞くほど自分の事とは思えないな。今の俺とは真逆じゃないか。


「でも、こうやって啓一君に昔はこうだった、って教えるネタも少なくなってきたね」

「話す時、少しずつでいいから昔の事を教えてやれって言われてるんだっけ」

「お医者さんから直々にね。もしかして、嫌になった? 前は話してくれって言ってたけど」

「いや、続けてくれていいよ」

「くす、わかった」

「何かあるか? ネタが少ないって言ったけど」

「そうだねー。絵の事ならずっと話せそうな気がする」

「絵以外は?」

「…………」

「おーい」

「ごめん、思いつかない」

「ないのか!?」

「あははは、ごめんごめん」

「からかうなよ。でも、今までの話じゃ絵の事しか頭になかったんだよな、俺」

「ふふ。えっとね昔は内気な子だったよ?」

「あ、それは前に聞いたかもな。でも、どんな感じだったんだ?」

「達也君より内気だったかも」

「達也は結構前向きだろ」

「ふふ。啓一君が記憶喪失になったあとね、僕がしっかりするんだって、達也君なりに頑張ってたんだよ? 一人称は僕のままなんだけどね」

「…………」

「啓一君?」

「い、いや。なんでもない」

「感動した?」

「いや、そういう風に思ってくれてたんだって思ってさ」

「でね? 予想以上に啓一君がしっかりした性格になってたの」

「そ、そうなのか」

「驚いたよ。なんか変わったって言うか、前向きになっていってさ」

「前向きか。記憶がないのにな」

「ないからこそ、かもよ……?」

「そういうこともあるか」

「もしかしら、知らない方がいいのかも」

「そんなもんか」

「私にはわからないけどね。ほら、お茶しようよ。啓一君の奢りで」

「え!?」

「ほら、早く早く!」


 その後、本当に俺の奢りになった……。

 なんて事はなく、一人暮らしだとやりくり大変でしょ、と言う有難いお言葉を美鳥から受け取り、俺の財布は約一人の御茶代の分だけ軽くなった。

 今度余裕を作って、奢ってやるか。


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