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白紙の中に  作者: 太刀河ユイ(飛竜院在九)
第三章 白紙のキャンパス
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第十六話 物置にあった物語

「ねぇ啓一。これって」


 短編の、それもすごく短い内容のものだった。

 そして、細部の違うところはあるけど、小説は今の状況そのものだった。

 白紙の絵と、完成した絵。

 絵描きをやめた人間の前に現れるローブの絵描き。


「物置の中にあったのだから、たぶん評価はされなかったんだろうけど」

「どこか優しい感じがする」

「父さんって、こんな話書いていたんだな。絵だけじゃなくて」

「いろんな事を知っていて、いろんな事ができる人だったよ。僕や美鳥、もちろん美樹だって啓示さんからいろんな事を聞いた」

「啓示さんから絵を教えてもらっていた事もあったよ」

「へぇ、全然覚えてないな……」

「そりゃ啓一は覚えてないでしょ。あの約束だって思い出せてないんだし」

「達也。その約束の事」

「ごめん」

「達也?」

「美樹と約束したんだ。啓一が約束忘れたら、思い出すまで言わないって」

「え?」

「啓一は覚えてないだろうけど、美樹と大喧嘩したことがあったんだよ?」

「手紙に書いてあった。手紙の交換はじめたキッカケだと思う」

「それで啓一が思い出すまで教えるなって……釘刺されたんだよ」

「…………」

「怒らないでね。こんな時にって思うかも知れないけど、僕にとってはこれも大切な約束なんだ」

「それに自力で思い出さないと意味がないと思うからさ」

「それができないから苦労してるって言うのに」


 溜息をつく俺を見て、達也はクスッと小さく笑った。


「さっきの小説。たぶん、本人が自分の未来に否定的だから、白紙に見えるんだと思う」

「未来に否定的?」

「推測だけど、啓一は記憶がなくて、絵を描く理由を見つけられない。美鳥はどうかわからないけど、たぶん、美樹の事で絵なんて描けないんだと思う」

「だから、白紙に見えたのか? だったら、お前は?」

「ローブの絵描きがいなくても、僕は自分の未来を否定したりしないからだと思う。多少後ろ向きにはなるけど、僕にはやりたい事があったから」

「やりたい事……?」

「美樹は運動が得意だったのは覚えてるかな?」

「ちょっと待ってくれ」


 川辺で拾ってきた古びた箱を、達也の前に提示する。


「それは……」

「美樹とやり取りした手紙。これ以外に一枚、俺が出しそびれた手紙がある。中身は見せられないけど、高校から推薦をもらったって書いてあった」

「知ってる。すごいよね」

「お前の運動神経の方がすごいと思うぞ」

「必死になって走ってたし、もう三年前の事だよ? それで僕さ、大学でも陸上したいんだよね」

「大学でもって、まだ走る気か」

「それが僕のやりたいこと」

「瑞樹先輩と同じだよ。お金貯めて、大学に行く」

「それで美樹の叶えられなかった夢を叶えてくる」

「美樹の夢、叶えてくるって?」

「あ、美樹は啓一には話してないって言ってたかな」

「お前には話したのか、美樹は」

「僕が告白した時にね。振られた変わりに彼氏に教えてない秘密を教えてくれたよー」

「なんか嫌な言い方だな」

「はは、ただ恥ずかしかっただけだと思うな」

「恥ずかしい?」

「オリンピックのマラソン選手だって」

「オリンピック!? すごい目標じゃないか。じゃあ、お前が叶えたい美樹の夢って」

「本気でオリンピックに行ってこようかなって」

「……お前」

「笑う?」

「笑うかよ」

「クスッ。美樹も言えばよかったのに。今の啓一の顔、見せてあげたいよ」

「人の反応見て遊ぶな」

「ごめんごめん。でも、これはもう僕の夢だよ」

「マラソン選手か」

「昔は美樹の夢だったけど」

「進む勇気はもう貰っているって言ったけど、心のどこかで迷っていたのかもね」

「絵を見てから、ローブの絵描きは?」

「見てない。見た絵も思い出せないんだけど……」

「?」

「思い出そうとすると、ね」

「達也?」

「おかしいんだ。思い出せないのにっ、あの絵の事を思い出そうとするとっ……」

「へへ、涙が出てくるんだ」


 手のひらで顔を覆い隠し、達也はすすり泣いて、どもりながら声を絞り出した。


「たぶん、そういう事なんだろうね」

「ローブの絵描きの顔も見られたんだけど、はは……思い出せないや」

「絵もそう。だけど、すっごく下手だったってのは覚えている」

「……ん」


 涙を拭う達也。


「絵の道には進まない。でも、僕なりに前へ進む。今度は二人の番だよ?」

「そうだな。でも、まずは美鳥だ。元に戻してやらないと」

「美鳥をあのままにはしておけないしね」

「……手紙、読んでみる」

「お、決心ついた?」

「悪いんだけど」

「覗かないよ。ゆっくり見なって」


 お言葉に甘え、手紙の束を持ち、それをひっくり返して床に置く。

 これで上から順に見れば時系列に沿って手紙を見られるはずだ。

 一枚目。


『啓一君へ』

『昨日はごめんなさい。言いすぎちゃったよね。』

『直接会って謝りたいけど、また喧嘩になりそうだから手紙を書く事にしました。』

『本当にごめんなさい。』

次の手紙は、俺の返事のようだ。

『あの約束を忘れていたのは僕なんだから、美樹が謝る事ないよ。』

『こっちこそごめん。』

丁寧に順番通り並べられている。次はまたその返事、美鳥のものだ。

『啓一君へ』

『もう忘れちゃイヤだよ?』

『四人揃って、公園で約束を果たすんだから。』

『また忘れたら、絶対に許さないからね。』


 ……。

 次の手紙の内容が少し飛んでいる。返事は口頭で済ませて、新しい話題に移ったんだろう。


『交換日記か。ノート買うの?』

『でも、ページめくる度に前書かれた事が残っているのが見えてさ。』

『恥ずかしい内容をその度に見るのは嫌だもん。』

『だから、手紙のままがいいかな。』


 ……。


『啓一君へ』

『そういえば、昨日は美術館に行ってきました』

『啓一君と達也君も誘いたかったんだけど、忙しいかったみたいだし、残念です。』

『変わりにお土産話を持ってきました(パチパチパチ)。』

『美鳥が目をキラキラさせてかわいかったよぉ~。』

『あ、これは内緒ね? こんな事言ってるのバレたら怒られちゃうもん。』

『私も啓示さんの絵は好きだな。啓一君の絵に似てるから、なんだか落ち着く。』

『やっぱり、親子だからかな?』

『あ、美鳥は森川照義さんが好きって言ってた。』

『私は誰だかわからないんだけど、啓一君は知ってる?』


 ……。


『照義さんは父さんの知り合いだった画家だよ。』

『結婚したらしいんだけど、展覧会の直前に疲労死したんだって。』

『二年前だったかな。』

『父さんも同じ時期に死んじゃって、名画家二人逝くってニュースがあったくらいなんだよ。』


 ……。


『啓一君へ』

『先日、とある学校から推薦をいただきました。』

『運動部に力を入れている学校で、オリンピックにも選手を送ってるんだそうです。』

『私は、この推薦を受ける気でいます。』

『約束を忘れないでって言ったくせに、自分がその約束を果たせない場所に行こうとしてる。』

『ごめんなさい、なんて言えないよね。』

『明後日には先生からこの事を伝えてもらうつもりだったけど……。』

『啓一君だけには知っててほしかった。……本当に、ごめんなさい。』


 ……。


『六月二十五日の放課後。』

『部活が始まる前に屋上へ来てほしい。』

「これで終わりか」


 四人の約束。俺はまた忘れちまったのか。

 忘れた約束の事が、どうしても思い出せない。


「……ごめんな」


 すべてを思い出すのは難しいんだろうか。美樹は交通事故で他界して、俺は記憶をすべて失った。

 そう自分に念じるように、頭の中の記憶を整理していく。


「啓一?」

「決めた」

「え?」

「明日、学校休む」

「ええ!?」

「美鳥の傍で喋るだけでもいい。明日、無理矢理押し掛けるか」

「ほ、本気?」

「こうなったら意地だ。絶対に俺が美鳥を元に戻してやる」

「止めるなよ」

「と、止めないけど……」

「よし! 達也、ちょっと待ってろ!」

「どこ行くの?」

「美佐枝さんに明日家にあがっていいか許可を取る」

「あがるって、明日?」

「時間は多いに越したことはないからな。じゃ、いってくる」

「あまり刺激させすぎないようにね?」

「本当はプロに任せるべきなんだよな。カウンセラーとか」

「それは当然。だけど、ここで弱音吐いたら休む意味がなくなっちゃうよ?」

「それもそうだけどさ」

「啓一はじっとしていられない性質だもんね。絵の事以外は」

「そう、かな?」

「そうだよ。普段は行動的なのに、絵を描くとなるとすっごく静かになる」

「昔の事か?」

「今もだと思うよ。そういう根本的なとこは変わってない」

「……そうだな。記憶がなくなって初めて絵を描いた時は、手が筆の動きを覚えてたし。今の俺と美鳥が共有しているものは、やっぱり絵しかないと思う。俺は美樹を忘れているし、美鳥は美樹に捕らわれてる」

「思い出に意味がないとまでは言わないけどさ」

「絵なら、美鳥と正面切って向き会えると思うんだ」

「啓一……」

「それであいつを、前に向かせてやる」

「強いのは啓一の方だね。僕には何もできないや」

「バイトしている身だからな。仮病はまずいだろ? 俺に任せてくれって」

「うん、ごめん。美鳥の事、お願いね」

「ああ、あれ……前を向かせるって言っても……」

「どうしたの?」

「いや、絵だけじゃなくてもいいんじゃないかなって。美樹の事を教えるとか」

「美樹はもういないって言っても、信じてくれなかったら?」

「うーん。あのさ、ちょっと頼まれてくれないか?」

「?」

「今のお前なら簡単な仕事だよ」


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