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 この町には、一歳という若さで早くも才能を開花させた男がいる。

 彼の名はタケル。昨今は風変わりな命名が話題となっている中、タケルは少々地味とも思えるこの名をいたく気に入っている。


四つん這い(ハイハイ)が幼児だけのものだと誰が決めた?」


 タケルはふっと息を漏らし、また一つ言葉を重ねた。

 彼にとって言葉とは、手段であり、目的であり、戯れであり、命でもあった。もちろん、それが誰にでも当てはまるということはタケルも知っている。ただ、みな年をとると忘れてしまうのだ。人間にとって、言葉が何なのかということを。




「人間だって自然から生まれたんだ。他の動物と同じように、たまには手を地面に置いてもいいじゃねえか。別に人間の誇りを捨てるわけじゃねえ。動物の誇りを知り、感じるためだ。そうは思わねえか、ハヤト?」

「はい、そうっすね!」


 彼の言葉に賛同し、隣で四つん這いをするのは、齢十六、タケルの生き様に心酔し、弟子入りを志願したハヤトである。「俺みたいな人間が弟子を持つなんて十年早い」と断られてからは、毎日のように付き従っている。



「早く俺も、タケルさんみたいにカッコよくハイハイしてえっす!」

「俺みたいに、か。……そうだな。お前のハイハイは拙いというか、今ひとつ華に欠けるぜ」

 そう言ったタケルは、ぴたりと足と手を止めた。



「ところでだ、ハヤト。今日は捜し物をしなくちゃならねえ」

「何かなくしたんすか?」

「ああ、大事なもんだ」

 いつになく真剣な眼差しに、ハヤトはどきっと胸を鳴らした。

 俺に何かあったら、こんな表情を見せてくれるだろうか。



「それで、ブツは何なんすか?」

「……シャブだ」

「シャブ……!?」

 驚くハヤトにタケルはこくりと頷く。



「シャブって言っても、煙草みてえな可愛いもんだ」

「ああ、おしゃぶりっすね?」

「そうとも言う」

 呼び名は何でもいい。



「GPSでも付けときゃよかったんだろうがな……ついうっかり」

「見つけたら付けましょう」

「そうだな、まずは見つけねえと……」

 遠い目でタケルはシャブに思いを馳せた。

 辛いときも楽しいときも、共に時間を共有した相棒。



「日本は……この島は、広い。だけど、どんなに時間が掛かってもあれだけは見つけなくちゃならねえ」

「あ、タケルさん、ありましたよ」

 ハヤトが意気揚々とブツを見せたが、タケルの顔色は浮かばぬままである。

 その理由はすぐにわかった。



「ハヤト、それはスペアだ」

「あ、そうなんすか……すみません、早とちりして」

「なーに言ってんだ。一緒に捜してくれるだけで有り難いさ」

 快活に笑うタケルを見て、ハヤトは密かに安堵した。



「……ん?」

 何か異変に気付いたらしい。タケルは無言で部屋の扉を凝視した。

「どうしたんすか?」

「しっ、静かに。誰か来る」

 タケルは人の気配にひどく敏感だ。獣並みと言っても過言ではないほどに。

 彼は五感を最大限に活用し、近付く気配に注意した。



「女だな。豊満な肉体を持った……いや、この歩き方は体を鍛えている。長年の訓練を経た者だけに与えられる、黄金の筋肉……なるほど、こりゃあ相当のやり手だな」

「ボンキュッボン(※1)の女? この家のお手伝いさんは、皆スレンダーっすよ? ま、まさか、女スパイ?」

「馬鹿野郎、殺気立つな。俺たちが女の正体を見抜いていることを気付かれたら、こっちがやられるぞ」

 二人が身体を強張らせたとき、扉が開いた。



「な、に……?」

 タケルは誰に向けたわけでもなく呟いた。

 彼らの前に現れたのは、中年の女であった。小太りの、だがその両足には多くの階段を制したと思われる力強さが垣間見える。

「申し訳ありません、お部屋にいらしたんですね。私ハウスクリーナーの大田と申します」

 名乗った女は、粛々と頭を下げた。

 彼女の正体はわかった。しかし、タケルたちは警戒を解こうとはしなかった。



「大田? まさか──その道四十年、落とした汚れは星の数と言われる、あの……?」

 驚愕に打ち震えるタケルと呆気に取られるハヤトに、女は雰囲気をがらりと変え、その口元に笑みを浮かべた。



「その通り」

「あんた程の腕のもんが、なんでこんなところにいるんすか? 世界にはもっと高いレベルの汚れがあるっていうのに」

 ハヤトに問われた大田は、くっと喉を鳴らした。



「そう言われてしまっては白状するしかない。ええ、ここに来たのは、タケルさん、あなたを一目見ようと思ったからです」

「ってえことは、あれか。この部屋へ来たのも、俺がここにいることを知ってたから、ということだな?」

「もちろん」

 タケルは、彼女が身に纏うその異様な空気に呑まれながらも、ぐっと体に力を入れて己を奮い立たせた。そうでもしなければ、自分を見失いそうだった。



「挨拶は終わりましたし、私は任務に戻るとしましょう。それでは」

「この部屋の掃除はいいのか? 俺たちにその腕前を見せてくれても構わないんだぜ」

「ふっ、それはまた次の機会に」

 ぱたん、と扉が閉まる。

 大田が去った後、二人は同時に緊張を解いた。



「あの女、やべえっすよ。佇まいからしてただ者じゃねえ」

 ハヤトは額に浮き出た汗を乱暴に拭い、素直な感想を口にした。

 タケルもそれに頷く。


「全く……今ここで掃除が始まったらどうしようかと、ヒヤヒヤしたぜ」

「タケルさんが挑発したとき、内心超ビクビクだったっすよ、俺」

「悪かったな、心臓に悪いことしちまって」


 和やかに喋り始めるが、突如鳴り響いた電話の音に、また二人は警戒をした。

 まさか、大田の携帯から……?



「はい」

 恐る恐る出たのはハヤトだった。

「はい……えっ? 今ここに? えーっ、そうっすか」

「どうしたハヤト」

 ハヤトの顔色を覗くと、話の内容は大したことではないらしい。


「どうも俺に客が来てるみたいなんすよ」

「女だろ」

「な、なんでわかるんすか!?」

「お前のことだからな。よし変われ」

 受話器を取ったタケルは、楽しむような面持ちで話し出した。



「俺だ。向こうに時間があるようなら、この部屋に案内しろ。とびきりのブツも用意しろよ」

『はい、とびきりのお茶とお菓子でございますね』

「ああ」

 ハヤトはぎょっとしてタケルに向き直った。



「ちょっ、何言ってんすかっ!」

「いいじゃないか。俺も挨拶したいし」

 屈託なく笑うタケルに、眉尻を下げる他なかった。









「ちょっとハヤト、今日デートの約束してたでしょ! なんでここにいるの!」

 制服姿の少女は、丈の短いスカートで惜しげもなく太ももを晒している。

「やめろよミユ、タケルさんの前で」

「バッカみたい。なんでベビーシッターが赤ちゃんにさん付けしてるわけ?」


 ベビーシッターとは、あくまでタケルに近付くために用意した便宜上のもの。ハヤトは単なる世話係ではなく、タケルの心の一部を受け継ぐような、そんな存在になりたいのだ。

 だからこそ、今のミユの台詞は聞き流しておけなかった。



「ミユ、お前、なんてことを」

「ハヤト、小さいこと気にするんじゃねえ」

「で、でも」

「ほら、タケルくんもそう言ってるし」

 ハヤトはじろりとミユを睨んだ。



「ミユ、いくら何でも馴れ馴れしいぞ」

「何それ、別にいいじゃん。私ハヤトよりタケルくんとの付き合い長いし」

「えっ?」


 それは初耳だ。

 てっきり、二人は初対面だと思っていたのに。ハヤトはタケルのことなら大概知っているだろうと思っていたのに。

 何たる驕りだろうか。

 ずん、とハヤトの心が重くなった。



「タケルくんのお母さんとちょっと知り合いなんだ。ほらこれ、一緒に撮った写真」

 ミユは携帯電話の画面に映し出された写真を見せた。

「おいおい、昔の写真なんか出すんじゃない」

「えー? いいじゃん。タケルくん照れてんの?」

 二人の間に流れる空気は、まさに気心の知れる物同士のそれだった。



「そうそう、今日はタケルくんに渡したいものがあって来たんだ」

「何だよミユ、変なもん渡す気じゃねえだろうな」

「もーっ、さっきから何なの? ぶすっとしてるし。あっ、もしかしてハヤト、ヤキモチ焼いてんの? 私がタケルくんのことばっか話してるから。ふふっ、子どもにヤキモチ焼かないでよね」

「……別に、そんなんじゃねえ」

 不貞腐れるハヤトに、ミユはくすくすと笑った。



「はい、タケルくん、これ落ちてたから拾っておいたよ」

 ミユが差し出したのは、タケルがずっと探し求めていたものだった。

「そ、それ、タケルさんのおしゃぶり……! ミユ、これどこに?」

「道に落ちてたけど?」

 きょとんと目を瞬くミユに、ハヤトは複雑な顔をし、タケルは破顔した。



「ありがとうミユ」

「べっ、別にー? たまたま見つけただけだからっ。えーっと、用はそれだけ! それじゃ帰るね!」

「もう行くのか?」

「うん、これ渡しに来ただけだから。撮り溜めした笑点観なきゃいけないし。容量いっぱいでこのままだと今日のドラマ撮れないから、早く帰らないとやばいんだ」

「それなら仕方ないな」

 苦笑いするタケルに別れを告げると、ミユは早々と去ってしまった。



「あ、ミユの奴、携帯忘れてる」

「ハヤト、届けてやれ。今ならまだ間に合うだろう。ついでに俺も散歩したいしな」

「公園っすか?」

 ハヤトはベビーカーを出し、すっと礼をした。



「タケルさん、どうぞ」

「ああ、ありがとう」

 スー……。

 最新式ベビーカーの走行音は静かだ。

 外の空気に触れたタケルは、早くもミユの後ろ姿を目にし、ぷっと吹き出した。



「なんだ、ミユの奴、案外歩くの遅いんだな」

「案外じゃないっすよ。予想通りっす」

 未だ近くを歩くミユの背中を眺めながら、二人は笑った。



 そのときであった。

 タケルたちの横を通り過ぎた自動車がミユの横で急ブレーキで停まり、中からぞろぞろと男たちが出てきた。

 平日の住宅街にはまるで合わぬ、異様な光景だった。

 ひとりの男がミユの顔を睨みつける。


「兄貴ぃ、この女だな!」

「ああ間違いねえ! よし担げ!」

 荒々しい口調とそれに見合った風貌の男たちは、躊躇なくミユを担ぎ上げる。



「やっ、何……!? やめて離して! やだっ、誰か! 助けてえ!!」

 細身の少女の抵抗を制すのは、男たちにとって造作もないことだった。

 ばたん。

 無慈悲にドアの閉まる音が、嫌に大きく響いた。



「ミユ──!!」

 ハヤトの叫び声と共に、車が走り出したのであった。



(※1)ボンキュッボン……胸がボンと大きく、腰がキュッと引き締まり、お尻がボンと出ているような、メリハリのある身体を表す死語。

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