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王子の脱走劇の影に

作者: 沢森ゆうな

ある世界にあるとある国。

その国の中枢部にそびえ立つ立派なお城。

朝日に輝く厳かなお城の中は、見た目とは反対に賑やかだった。


「また王子がいないですとー!!?」


朝っぱらから大きな声をあげているのは人生折り返し地点をとっくに過ぎた年配の執事。

「まあまあ落ち着いてくださいませ」と言い慣れたように執事を宥めるのは同じ歳ほどのメイド長。


彼女は、執事を宥めたものの溜め息をつかずにはいられなかった。

王子が脱走する度に、余計にすることが増えるのだ。

それは自分に限ったことではなく、城にいる様々な者の仕事に影響を及ぼす。


(王子にはそれを理解していただかないと)


メイド長は帰ってきた王子にどのような説教をしようかと考えながら、最初に王子を起こしに来て、もぬけの殻の部屋を見つけ慌てている若いメイドを慰めることから始めた。



「というわけで、王子の護衛をしている者は今頃城下町でしょう」


色々な変更や報告を知らせにメイド達が城の中をバタバタしはじめたなか、メイド長は騎士の詰所にやってきた。

もちろん王子の脱走を伝えに来たのだ。


「またか」


「またです」


溜め息をつき、隠そうともしない不機嫌な空気を身に纏う騎士団長は、引き出しから紙を数枚取り出した。


「ここ数ヶ月の王子の脱走行動をまとめたものだ。必要ならば各所に配ってほしい」


「ありがとうございます」


メイド長は受け取ると、繊細な字で書かれた報告書に軽く目を通した。王子の行動パターンは、ここ数ヶ月変わっていない。

ならば皆に指示を細かく出せる、と彼女は少し安堵した。



「見終わったか」


「はい」


「今回の護衛はラルフローレンだ。昨日夕刻より護衛に入り、朝の交替予定だった。明日は昼からの勤務予定だ。甘いものが好きだが、酒は受け付けん。菓子の洋酒にすら拒絶反応を示す。特定の女性はおらん」


「では帰り次第、ティアナあたりに菓子とお茶を持たせます」


確か、ラルフローレンという騎士は30ぐらいの平凡な騎士だった。王子の護衛を一人でだなんて、いくら平和なこの国だろうが騎士の神経は随分すり減らされる。

大好きな菓子と家庭的なティアナで癒されてくれるだろう。




騎士団長と少し話した後、メイド長が次に向かったのは宰相の所だった。


「失礼いたします」


扉の前に立っている護衛騎士に挨拶をし、名を告げると騎士がドアをノックしメイド長の名前を告げる。すぐに許可がおりると、彼女は静かに中に入った。

そこには宰相だけでなく王様もいた。


「またか。すまんな」


「とんでもございません。騎士団長よりこちらをいただいて参りました」


謝る王様はメイド長より年齢が20ほど下だ。王様がやんちゃ盛りのとき、世話をしていたのが彼女なので、もう長い付き合いになる。だからか、王様がメイド長に話しかける時は砕けた口調になることが多い。


「ふむ、昼過ぎには帰ってくるか。私の時のようにたっぷり説教してやってくれ」


「そう致します。では予定はどのように変更しますか?」


「宰相。削ることができる予定はあるか」


「ございます。メルフィン嬢との茶会に、そうですな…今日はお好きな馬術も我慢していただきましょうか」


「そうだな。それぐらいしないと、あいつはすぐ調子に乗る」


「では、お嫌いな哲学を昼過ぎに移動致します。この会議はいかがなさいますか?」


「議題はファルソン教会の修繕についてか。よい、これは後日に変更する」


「では代わりに何をなさいますか?」


「ふむ、城下町の様子でも聞かせてもらうかな」


「またお試しになるおつもりで?」


「無論だ。ただ遊んでいるだけなら脱走通路は塞ぐ」


「ではお戻り次第、昼食のご用意を致します。ご一緒に昼食を摂られた後、哲学の授業を受けていただき、書類整理、来期の税についての会議にご参加という予定でよろしいでしょうか」


「そうですな」


「ああ」


一通り予定変更が決まると、宰相が紙にスラスラと書き込んでいく。

それをメイド長と王様に渡すと、宰相は書類準備をしなければ、と早速机に向かった。


「では、私はこれにて失礼致します」


メイド長が次に向かったのは厨房だった。




『厨房は戦場』


そう言ったのは誰だか知らないが、正にふさわしい言葉だとメイド長は常々思っていた。

朝から夜まで下拵えから盛り付けまで行われているこの場所は休まることを知らない。


怒声がよく響くのもここで、年若いメイド達は厨房へ行くことを若干怖がっている。

もう孫がいても可笑しくない年齢のメイド長は長年の経験から、すっかり慣れたもので気にもせず厨房へ入っていった。


「こんにちは」


「おお」


料理長はメイド長に視線も向けず、年若い料理人の手元を見ていた。

そばかすが多い若い料理人は匙を持つ手を震わしながら、そーっと液体を料理に綺麗に垂らしていく。


「…できました」


「これならいい。よし、お出ししろ……で何の用だ?」


そう言うと料理長は初めてメイド長を見た。メイド長は料理長の後ろで小さく喜んでいる青年を見て微笑むと料理長に残念なお知らせを伝えた。


「またか!!」


顔を真っ赤にして怒りを表す料理長に周りの料理人が後ずさる。さっき喜んでいた青年も、さっといなくなっていた。


「メルフィン様との茶会が中止、代わりに陛下との昼食会が入ります」


「くっそー!!次から次に予定を変えやがって!!」


「陛下より伝言がございまして『息子の嫌いな野菜をたっぷり使用した料理にしてほしい』とのことです」


「言われなくともやってやらー!迷惑かけやがって!」


料理を作ることに集中力を発揮する職人気質の料理長は下働きの青年達に王子の嫌いな野菜をたっぷり持ってくるように怒鳴る。仕返しする気満々だ。

メイド長は、王子の帰ってきそうな時間を告げると厨房を去ろうとしたが、料理長に声をかけられた。



「少し食ってけ」


渡されたのはいつの間にか淹れられたハーブティーと、小さめのサンドイッチだ。


「ありがとうございます」


こうやって、厨房に立ち寄ると軽食を出される様になったのは5年くらい前からだ。

王子が脱走したとき限定で出される軽食は、メイド長がご飯をとる暇がないことを配慮してくれてのことだった。


メイド長の朝は早い。まだ日が上っていない時間から彼女は動き始める。

そのため、今は昼前の中途半端な時刻だが、朝が早いメイド長にとっては昼食を食べるにちょうどいい時間なのだ。


「相変わらず美味しいですね」


「あんがとよ」


騒々しい厨房で十分ほど休憩してから、メイド長はまたもや行動を開始した。



「待たせましたね」


「いいえ、今日もよろしくお願い致します」


扉を開けると、そこには三人の中堅メイドがきちんとした身なりで立っていた。


メイド長はもういい年だ。そろそろ引退しようと後継ぎを教育しているところで、この日も本当ならば一日つきっきりで教え込む予定だった。


「また脱走されたのですね」


「そうです。しかし、ちょうどいいので本日の課題はこれに致します」


メイド長は紙を二枚、それぞれのメイドに渡した。


「一枚目は王子の脱走時の行動パターンが記されたもの。二枚目が本日の変更した部分のみを記載した予定表です。先日話したばかりなので、王子の今日の予定は頭に入っているものとして話します」


予定の把握はできているかと視線で問えば、三人ともから「はい」と心地よい返事が返ってきた。

メイド長はそれに満足げに頷くと話を進めた。

まず、今日王子の脱走を聞いてからの自分の行動、他のメイドに出した指示。

そして課題を告げた。


「私は今、中途半端なことまでしかしていません。他にしなければいけないことはなにか。思いつく限り述べてください。では、ユーリから」


「はい。まず……」


………


……



「解りました。ではそのように行動してください」


メイド長は三人から意見を聞くと、次はそのまま行動するように伝えた。


「卓上の議論も大事ですが、実践に勝るものはありません。私からの命令と伝えていいから、思った通りに実行しなさい」


「はい」


先程より緊張した返事を聞いて、メイド長は「後ほど評価を伝えます」と部屋を出た。



聞いた限りでは大丈夫そうなので、メイド長は次に出迎えの準備をするためにティアナというメイドの元へ向かった。


裏庭の目立たない所、白いシーツがたくさん並べて干してある一角にこじんまりした人影が動く。

人影の主はまだ十代後半のおっとりとした少女だった。


「ティアナ」


「はい。あっ、お疲れ様です」


シーツを広げていた少女に呼びかけると、にっこりとした笑顔と共に声が返ってきた。

出迎えのことを伝えると「解りました」と、ちょっと顔を赤らめる。まだ若いメイドは騎士との接点がなかなかない。出迎えをするだけで、彼女にしてみればちょっとしたイベントなのだ。


「シーツは私がしときますから」


「あ、すみません!」


残り僅な量のため、他の者にやらせるまでもないだろう。屋敷に駆けていくティアナを見送って、メイド長はシーツを干し始めた。



「ああ!いたいた!!探したよ、フローラ!」


シーツを全て干し終わると同時に名前を呼ばれたメイド長は振り向いた。朝、王子の脱走に大声を出していた執事だ。


「王子がやっと帰ってきたんだよ!」


王子を見て怒りがまたでてきたのか、執事は興奮しているようだった。


「それがさ、私を見て一言『眉間にシワがよってるぞ』って、そう言ったんだ!」


この執事はメイド長の数年先輩にあたる。お互いにもう同僚もいないなか、彼の愚痴を聞く役割はメイド長にふられていた。

執事は帰ってきた王子に文句を言ってはいるが、スッキリしないのだろう。フローラを探しに来て愚痴を言うのも毎度のことになっていた。


「ふう、毎回聞いてくれて助かるよ」


ひとしきり文句を言った後、執事はフローラに礼を言った。眉間のシワはなくなり、疲れたような執事にメイド長は「いいえ」と優しく笑った。

それから最近あった出来事、聞いた話など世間話をして笑い合う。この時間はメイド長にとって数少ない気楽な時間なのだ。




そうして、つつがなく他の仕事も終了し、メイド長が一息ついたのは日も暮れた後だ。

メイド長専用の個室にて、事務処理をしていると扉をノックする音がした。


「どうぞ」


お客は今日屋敷内の予定をことごとく変更させた張本人、王子だった。


「どうかされましたか」


滅多に部屋に来ない王子は、「別に」と言うと近くにあった椅子に座った。


「お茶をお淹れ致しますので少々お待ちください」


「いや、いい……何で今日いなかった」


「他に仕事がございますから。他の者が出迎えたでしょう」


そう言うと王子は黙りこんだ。

いつもメイド長と執事は一緒に王子を出迎え、説教をする。フローラも昼まではそのつもりだったが、今日はあの三人に任せてみたのだ。

屋敷の主要な人物の見送り(主人は王様)と、出迎えは下働きの中でも一番上役の者が行う。それを違う者が行い、更に今日はそれ以降の王子に関する仕事の全ても委任した。

ということは……。


「辞めるのか」


解りきった結論だった。


「はい。二月後に」


「そうか」


それだけ言うと、王子は「邪魔したな」とさっさと部屋を出ていった。


長年仕えた身としては、もうちょっと反応してほしかったとメイド長は寂しさを感じたが致し方ない。王子にとって彼女は一介のメイドだ。


メイド長は普段通りにまた事務仕事に戻ったが、その日はもう集中できなかった。



それから一ヶ月。


「おかしい」


誰もがその台詞をこの一ヶ月の間に一度は口にした。


王子が脱走しないのだ。

それどころか勉学により励み、王様と共に視察に行くなどして本格的に跡継ぎとしての活動を始めたのだ。


メイド長は、ちょっと驚いた。

執事はもっと驚いていた。

「槍が降るぞ」と、毎日の様に言っている彼はメイド長と同じように後継ぎを教育し、今は仕事のほとんどを後継ぎの若者に委任している。

とても優秀な者らしく、最近の老執事の眉間にシワがよることはない。


「王様が言ってましたよ。私達二人がいなくなるからって」


「どうして、それが次期国王としての自覚に繋がるのか解らないな」


「私もです」


「それは愛されてるからな」


「うわっ!王様!」


裏庭でのんびり話していた二人に突如割って入った声の主は、この屋敷の主だった。



護衛を四人引き連れていた王様は気にもせず、メイド長と執事の間に座った。


「二人とももうすぐ辞めるだろう?寂しいけど、安心して引退してほしいみたいだな」


メイド長と執事はきょとんとした後、「本当に?」と同時に呟いた。王様はそれを聞いて笑う。


「本当、本当だとも。私に相談してきたんだから。『二人が辞めるなら安心させてやりたい』って」


「……王子がそんなこと」


「ご立派になられて……」


二人してハンカチを取り出して目に押し当てると王様はまた笑って「ありがとう」と二人に告げた。


「王子を育ててくれて感謝する。甘えて脱走していたが、色々手回ししてくれていたお陰で問題も起きなかった。あいつも城下町に行って大分勉強になったようだ」


「そんな……」


「勿体ないお言葉……」


二人してハンカチに目を押し当てる強さを強くして、あとは暫く無言だった。



それからメイド長、執事は盛大な内宴をされながら引退した。


その数年後。


国王も若き息子に冠を譲り、静かに余生を送っている。


若き新国王は真面目に国政を行い、国は徐々に豊かさが向上していた。

あまりの変わりように昔ながらの友人が尋ねてみれば、「育ててくれた人達に顔向けできなくなるからな」と言ったそうな。


そう言ったときの表情は、昔を懐かしむ――嬉しそうで寂しそうでもあるものだったらしい。




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