忘れないで…
全体的に切ない作品です。
もしかしたら同じような話を書かれている方もいらっしゃるかもしれません。
ぼくの彼女が病気になった。
存在が薄くなる奇病だ。
最初はそれと気づかぬ程度。
今でははっきりと分かる程に。
症状が進むにつれて、周囲の人々は彼女を忘れるようになってきた。
最初は通りがかる人が彼女を認識できずよくぶつかる程度。
今では、ともすれば彼女の家族ですら彼女を存在しない者として振舞う程に。
彼女の姿は薄くなり、時に揺らぎ――そのまま消えてしまうのではないかと怖くなる。
…いいや、このままでは確実に消えてしまう、消されてしまう――それは直感。
彼女は何故かこの世界に嫌われ、拒絶されてしまったのだ――それは確信。
だからぼくは、彼女が完全に消えてしまう前に彼女を別の世界に逃がすことにした。
「原因を見つけて、必ず迎えに行くから」
ぼくの言葉に涙をぽろぽろと流しながら、嫌だというように首を振る彼女。その涙さえも世界に留まることを許されないのがとても痛ましく……何より愛おしかった。
陽炎のような揺らめきになってしまった彼女をそっと抱きしめ――もう触れることはできないから輪郭に沿って腕を回すだけなのだけれど――「愛している」と耳元に囁く。
愛おしい愛おしい愛おしい、ぼくの彼女。
他の誰が君のことを忘れてしまっても、僕は君を忘れないから。
必ず原因を突き止めて、治す方法を見つけて迎えに行くから。
涙をこぼしながら懸命に笑みを浮かべる彼女がいじらしくて、もう一度抱きしめる。
離れたくない。
離したくない。
けれど、このまま君が消えてしまうことだけは絶対に許せないから。だから――
「ぼくを忘れないで。待っていて……」
* ** *** ** *
私は病気に罹った。
存在が薄くなる奇病に。
最初は自分でも気づかない程度。
時々自分の手が透け視界がぶれ、
今では常に体が透けてしまう程に。
症状が進むにつれて、皆は私の存在を忘れるようになってきた。
最初は路を歩いていて通りがかりの人とよくぶつかってしまう程度。
そのうち友人たちに話しかけた時に見知らぬ他人を見る目で見た後にハッと思い出しては謝られ、
……今では、両親や姉弟ですら私がもともと存在しなかったかのように振舞うことが多くなった。
私の姿は薄くなり、時に揺らぎ――きっとこのまま消えてしまうのだろう。
…いいや、‘消える’のではなく‘消されてしまう’のだ――それは直感。
自分がこの世界に嫌われ、拒絶されてしまったから――それは確信。
家族が私のことを‘うっかり’忘れてしまうことが増えたとき、優しい私の彼は私を別の世界に逃がすことに決めた。
その時はまだ触れることのできた私の体を強く抱きしめ、いつも私を優しく見つめてくれたその瞳に涙を浮かべながら。
君を愛している。誰よりも愛している。――だから消えて欲しくない。君を忘れてしまいたくないのだと。
いつも優しく甘く囁いてくれたその声に珍しく激しいモノを滲ませて、彼はそう言った。
誰より愛している彼を。
誰より私を憶えてくれている彼を。
悲しませたくなくて、私は頷く。
「原因を見つけて、必ず迎えに行くから」
彼の言葉に涙がぽろぽろとこぼれる。
本当は行きたくない。最後まであなたの傍に居たい。――想いばかり胸にたまり、でも彼を困らせたくなくて言葉にはできない。
今や私の体は陽炎のような揺らめきとなってしまった。――そんな私を抱きしめてくれる、優しい優しい、愛しい彼。
「愛している」と耳元に囁くその声も、すこし涙ぐんだ綺麗な瞳も、何もかもが愛おしくてたまらない。
綺麗で優しい、私の彼。
「ぼくを忘れないで。待っていて……」
囁く声に込められた切なさに、私の胸は張り裂けそうになる。
愛しい愛しい、綺麗で優しい、大切なあなた。
あなたを傷つけたくなくて。
あなたがこれ以上悲しむのを見たくなくて。
だから私は言えない。
私は、あなたを愛した世界に拒まれたのだと。
あなたが私を愛したから、嫉妬した世界に弾かれるのだと。
だから。
だからどうか。
「私を忘れないで……」
あなたを愛した、あなたが愛してくれた私が消えてしまうことを。
怖くて怖くてたまらない。
私が居なくなった後もあなたが私を憶えていてくれるのかわからないから。
私の前にも、誰かあなたが愛していた人がいたのかもしれないから。
私がもしかしたら、こうやって消えた一人目ではないかもしれないから。
やさしいあなた。
愛しいあなた。
どうかお願い。
これ以上悲しまないで。
私の他に愛さないで。
・・・他の誰も消さないで。
* ** *** ** *
だから。
だからどうか。
忘れないで……
‘彼女’の不安は不安で終わるのか現実になるのか……。
いつもの電車に乗り遅れ「ひょっとしたら間に合わないかも」という焦りの中から飛び出した話です。
そんな状況下で浮かんだ話なので、ハッピーエンド至上主義の作者にしては珍しく切ないというか悲観的というかな雰囲気になっています。
投稿しようか迷いましたが、「こんな話が好きな読者もいるかもよ」という友人の言葉に後押しされ投稿することにしました。
最期まで読んでいただいてありがとうございます。




