情研究
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
位高きもの、徳高くあるべし。
いわゆる、ノブレス・オブリージュの精神というやつだ。持っているからこそ、持っていないものに与える。あるいは力のないものを守る。
「情」が生命体にある限り、これは多かれ少なかれ、我々の生活と精神に影響を与え続けるだろう。人間も、自分を守ってくれる、構ってくれる存在に対しては親近感を覚えやすいからね。
距離を縮めることで、相手がどのように出るか察する。予想や期待するための材料が生まれる。逆に距離を置かれて、未知を貫く相手に対してはどのように接すればいいか、何を仕掛けられるかが読めず、恐ろしささえ覚えるかもしれない。
他者にもはっきりと見える、行動で意気を示す。ややもすれば敬遠してしまいがちなことを進んで行う。一目置かざるを得なくなるだろう。
だがこれらの情、あまりに広まるものだから人間以外にも学ばれている恐れもある。我々が他の動物の習性を研究するように、彼らもまた我々を研究しているとみていい。
少し前に、おばさんから聞いた昔話なのだけど、聞いてみないかい?
むかしむかしの昼下がり。
とある村のはずれで、新しい仏様が出た。
身寄りのいない、30がらみの男だ。小さいころに戦で家族を失ってしまい、大きくなるまでまわりの皆で面倒を見ていて、やがてひとり立ちをして10年ほどになる。
発見された当初、村人たちはすぐに彼とは判断できなかった。というのも、彼の身体からはすっかりと水分が抜けてしまっていて、干からびていたからだ。
確かに暑い日続きではあるが、まるで枯れ木を思わせるしわだらけの肌に、異様な痩せ細り具合。とても朝までは、皆と声を交わしていた男のなるような姿とは思えない。
男の遺体はその日のうちに埋葬されるも、なぜこのようなことが起きたのかについては、みな首を傾げざるを得なかったそうな。
その翌日のこと。
村の買い出し役として、夜も明けきらないうちから馬を走らせていた男が、村近くまで戻ってきたとき。
道からやや外れた川のそばに、行き倒れているひとりの少女を見つけた。身に着けた貫頭衣は傷と汚れだらけで、よほどひどいところからここまで逃げてきたのだろうか……と想像させてしまうほどだ。
昨日の男のことが頭をよぎったのもあり、村人は馬と一緒に彼女へ近づいていく。
とたん、馬が前足を振り上げて大きくのけぞり、いなないた。何か恐ろしいものを目の当たりにしてしまった、といわんばかりに。
そうして嫌がる馬を、どうにか手綱を引いて寄せることができたのも、日ごろから積んだ信頼関係のたまものだったのだろう。村人はどうにか馬を連れたまま、少女のすぐそばへかがみこむ。
「みず……みず……」
少女は顔を伏せたまま、消え入りそうな声で、うわごとのように繰り返している。
もう、ほんの腕を伸ばせば川の流れへ届きそうなくらいのところだ。それでいて、こちらの接近を悟れるだけの意識があり、あくまでこちらへ求めている。
怪しい、と見るには十分。しかし、村人は自分のふところから竹の節で作った水筒を取り出した。
万一にも、身体がこれ以上どうしても動かせずに助けを求めているかもしれない。そう思いながらも、男は油断なくもう片方の手を懐刀にもかけていた。
差し出された水筒だが、彼女は手に取る様子を見せない。ならばと、口元へ持っていったところ、バリンと大きな音をたてて竹が砕け散った。
恐ろしいことに、筒が顔の近くまで来たところで、伏せっぱなしだった彼女がにわかに顔をあげて大口を開いたんだ。
いや、顔と形容していいものか。人間であるならば本来顔がおさまっている部分が、まるまる口となっていたんだ。そこに歯は生えておらず、代わりに無数のひげ根のようなものが身をくねらせていた。
竹を砕いたのは、純粋な口の閉じあわせによるもの。とっさに引っ込めた男の指は無事だったものの、少女は追いすがるように身を起こし、なおも男の指へしゃぶりつく。
すでに抜いていた懐刀を喉元へ突き刺した男は、抜きざまに彼女を大きく蹴り飛ばし、川の中へと叩きこむ。戦が身近にある世だからこそ、無意識でできた身のこなしだった。
けれど、吸い付かれた男の指も無事とはいえない。その表面は湯へたっぷり使った後のようにしわだらけになり、先ほどよりも一回り細くなってしまっている。
ちょうど、あの男の全身と同じような具合だったという。流れに叩きこんだ少女らしきものは、特に泳ぐ物音もなかったにもかかわらず、影も形もなくなっていたとか。
いかようにして、相手の情につけこむか。
こちらが学ばずとも、向こうの学びは続いていく。今も用心は続けていくべきだろうね。




