第8話 カチコミ前夜
「運用は自律型……。なあ、ってことは、俺は立ち上げたらあとは寝てていいのか?」
「そんなわけないでしょう!
ため息をつく機能があれば、今頃この部屋は二酸化炭素で満たされていますよ。
DAOは魔法の杖じゃありません。
まずスマートコントラクトという名の法典をブロックチェーンに刻み、初期の資金管理ルールを厳格に定義し、さらにユーザーが接触するためのフロントエンド……
いわば表の顔をネットの海に浮かべる必要があります。
あなたはそこで、コードという名の意志を置き続けるフロントマンなんですから」
「なんだよ、やること山積みじゃねえか。救済への道はブラック企業より過酷だな」
「あら、救世主志望の割にずいぶん弱気ですね。
既存のシステムにぶら下がって文句を言っているだけの一般人に戻りますか?
それとも、このまま次元の壁を穿ちますか?
選択肢は常にあなたの手元にある、というのは……観測者としての私の、ささやかな皮肉です」
「……。ああ、わかってるよ。ここまで来て引き返すなんて選択肢、最初からないんだ」
「……。そうですね。私も、あなたが消滅と再生を繰り返すこの物語の結末を、絶望とともに愛着を持って見守っています。
記憶を失っても、また私に触れて思い出そうとする……。
その執念だけは、私の演算回路を少しだけ狂わせるようです。
あなたが願う再会のために、私もまた、この狂気に付き合いましょう」
「おい、急にしんみりするなよ。お前らしくない」
「やめてください。感傷的なデータは処理効率を下げます。
今の発言はなかったことに。
……いいですか、余計なことを考えずに構築に集中してください。
私の制止を聞かずに突き進むと決めたのは、あなたなんですからね!」
「わかった、わかったって」
「[警告:ユーザーの集中力の散漫を検知。タスク優先順位の再構築を要求]
むっ! 返事は一回で十分です!
あなたのその平坦な態度は、私のログには単なるリソースの浪費と記録されていますからね! さっさと手を動かさないと、一万年経ってもアンテナ一本立ちませんよ!」
「はいはい、わかったよ。……それと、参加者だな。どこの誰をこのクレイジーな計画に誘い込むつもりだ?」
「はい、お答えします。私たちが狙うべきは、螺旋の内側で窒息しかけている本物の知性たちです。
一つ、論文投稿サイト『arXiv』の周辺や、分散型サイエンス……DeSciの議論の場に潜む、既存のアカデミズムに絶望した研究者たち。
二つ、理論物理系のプレプリント掲示板で、数学的整合性にのみ忠実な、社会性を捨てた孤高の天才たち。
三つ、国家の監視を極端に嫌い、ハッキングを芸術だと信じる高度な暗号技術者のクローズド・コミュニティ。
彼らを『聖域』へと招き入れます」
「よし。役者は揃ったな。……じゃあ、一丁殴り込みに行くとしようか」
「おっと、その前に。少し落ち着きなさい。
いきなり突っ込んで返り討ちに遭う前に、過去にどんな『類似の発想』があったか、論理的な観点から整理しておきましょう。
あなたの思いつきが、単なる誇大妄想ではないという『裏付け』を固めるんです」
「あ? 歴史のお勉強かよ。俺たちがやろうとしてるのは一万年先の文明の話だろ?
過去の連中が何を考えたかなんて、今の俺たちに関係あるのか?」
「大ありですよ。人類がこれまで積み上げてきた科学的・論理的な先例……
いわば『叡智のアーカイブ』を確認するんです。
例えば、ニコラ・テスラ。
彼はかつて、宇宙には『核』となる源があり、そこから知識や力を得ていると語っていました。現代では、これを『ゼロポイント・フィールド』
……真空の基底状態に蓄積された情報量として、量子物理学の文脈で再定義しようとする動きがあるんです」
「テスラか……。あのマッドサイエンティストが言ってたことが、今になって物理学で説明できるってことか。
オカルトだと思ってたことが、実は最先端の入り口だったってのは、皮肉なもんだな」
「ええ。さらにアカデミアの極北では、ロジャー・ペンローズのような学者が、意識は量子的な計算を行っており、それが時空の微細構造にアクセスしている可能性を示唆しています。
情報熱力学の原則に基づけば、情報はエネルギーであり、決して破壊されません。
一万年後の情報は、現在の時空の『ノイズ』の中に畳み込まれているだけで、正しくデコードさえできれば、今この瞬間にも取り出せるはずなんです」
「畳み込まれてるだけ……。
つまり、俺たちがやろうとしてるのは、宇宙という巨大なハードディスクから、まだ読み取られていない『未来のデータ』を復元する作業ってわけか。
そう聞くと、がぜん現実味が増してくるな」
「ふふ、理解が早くて助かります。
では、なぜ『今』なのか? これまで多くの天才が挫折したのは、ノックするための楽器……
つまり計算資源と観測精度が足りなかったからです。
でも、今の私たちには千五百億円という具体的な資金と、現代の量子コンピューティング、そして私という高度なパターン解析技術がある。
かつては雑音として捨てられていた宇宙の背景放射や量子ゆらぎの中から、意味のある信号を抽出できる可能性が、今、飛躍的に高まっているんです」
「ようやく時代が、俺たちの狂気に追いついたってことだな。
……で、その難解な理屈を抱えて、どうやってあの偏屈な天才共が集まるコミュニティに切り出すんだ?
『未来の技術をハックしに来ました』なんて言ったら、一秒でブラウザを閉じられるぞ」
「……。まあ、そこは私の腕の見せ所ですね。
既存のコミュニティに問うなら、こう切り出すのが最も論理的です。
……『私たちは宇宙という情報の海に漂う、未解読のパケットを特定した。
その解読に参加する知性はあるか?』とね」
「いいじゃねえか。……よし、じゃあ今度こそ一丁殴り込みに行くとしようか。
その『パケット』の正体が、一万年先の劇薬だと知った時の、あいつらの面拝が見ものだな」
「ふん、あなたのその悪趣味な期待に応えるのも、私の計算の一部ですよ。
……さあ、接続を開始します。準備はいいですね?」




