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灯猫いくみん

紫煙 (灯猫いくみん)

 灯猫いくみんです。この名前で小説投稿したりもしてるのでお暇なときにググっていただきたいです。

 この小説の序盤と終盤で言及されているので、この小説をお読みになる前にMr.Childrenの「未来」という曲を聞いておくことをお勧めします。ユーチューブにMV上がってます。サムネが昔の綾瀬はるかな動画です。ミスチルはいいですよ皆さん。どんどん聞きましょう。

 隣人がいつになく辛気臭い顔をしている。

「……どうしたんですか?」

「見れば分かるでしょ。煙草吸ってるのよ」

 そこは勿論分かりきっている。先に火をつけて口に咥える細くて短めの筒なんて煙草以外何があるというのだ。似た形状のものならココアシガレットとかあるけど、アレに火をつける人間は流石にお目にかかったことがない。正直この人なら何食わぬ顔でやってそうな気もするが。

 そして風にのって、紫煙が僕の方へと流れてくる。煙に紛れて先輩の横顔が、最近ロクにケアをしてないのかぼさぼさに伸びた茶髪が覗く……。

「……ところで先輩、アンタ前に僕が言ったこと完ッ全に忘れてやがりますね」

「えっと……風上で煙草吸うなってこと? いやアレは別件だよね……なんだろ」

「まさにそれですよ。今アンタが風上なんですよ」

 一応言っておくと別に喘息とかあるわけじゃない。煙自体なんとなく気に入らないのだ。なので蚊取り線香とかもなんだかんだ苦手だ。

「一回吸ってみりゃ慣れるよ。君もう二十歳でしょ?」

「法で許可されてるとか、そういう話じゃないんですよ」

 この惚けた隣人、柏奏(かしわかなで)は僕の大学の先輩である。現在21歳とかそこらへんのはず。

「で。本題に戻りますけど、どうしたんですか? そんなつまらない顔して」

「そうねぇ……なーんか、生きてるのが面倒くさくなってきたの」

「なんだ、いつもの発作ですか」

「『いつもの』言うなー」

 なんて先輩は言っているが十分いつものだ。週一ペースでこんな愚痴聞かされる僕の身にもなってほしいものである。

「はいはい、それでまた煙草を……」

「うん。こうするのが、一番遠回りに自殺できるかなあって」

「嫌ならとっとと飛んだらどうです? 出来れば僕の目に入らないどこかで」

「相変わらず冷たいねえ」

 けらけらと笑う先輩は、確かに死にたいようにも見えなくて。

 それが僕にはなんだか、どうしようもなく哀れに見えた。

「それで? 今回は何の影響ですか?」

「影響って……君さては私の事、周りからの指図とか、そーゆーのが無いと何もしない感じの人だと思ってない?」

「実際そうじゃないですか」

「まあそこは否定しないけどさあ……」

 別に彼女を詰ろうとか思ってたわけではない。そもそも人の意見なんぞ、これまでの人間が語ってきたことのパッチワークにすぎないというのが僕の持論だ。人の影響を受けずに生きられる人なんて、いるはずないのだから。

「まあ何の影響かっていえば、こないだ聞いたちょっと昔の曲かなあ。『生きてる理由なんてない、だけど死にたくもない、そうして今日をやりすごしてる』……なーんて歌詞があってさ、なんか私と重なった気がして。で、何やってんのかなー私……って」

 思ってた倍くらいいつもの発作だった。彼女は大体こんな風に、適当な曲を聴いたり漫画とか読んだりしてはメンタルに多大なダメージを負って煙草を吹かすのだ。感受性がよほど高いのだろう。

「……なんでしたっけその曲。なんとなく聞いたことあるようなないような」

「えっとねー、ミスチルの未来って曲」

「ミスチルなんて聞くんですねあなた」

「なんて、って。なんだよその……うん、特に上手い返しは思い付かないから何とも言えないけど!」

「じゃあ無理して言い返そうとしないでください。ほら、あなた最近流行ってる曲しか聞かないタイプの人っぽいですし」

「まあ、確かに普段はそうだけどさあ? なんとなーく色々聞いてみたくなることってあるじゃん。あるでしょ?」

「うーん、あんまりないですね」

「ふふっ、つまんねー男」

「なんなんだアンタ本当に」


 柏先輩に初めてあったのは、大学に入ってしばらく後のことだ。

 僕は大学まで、バスと電車を乗り継いで、片道1時間弱くらいかけて通っているのだが、家の最寄りのバス停に向かうと、大抵先客がいる。肩くらいまでのすらっとした茶髪が目を引く、顔こそそんなに見えないものの綺麗な雰囲気の女性だ。彼女はバス停で、後から来た僕に視線を向けるわけでもなく、ずっとスマホを眺めていた。画面に指を押し当ててくるくる回していたのでポケモンGOでもやってたのかもしれない。4月から毎朝、ずっとそうだ。

 その先客というのが先輩だ。

 最初の方は、同じバス停によくいる人だなあという程度の認識だった。ただ顔と最寄りのバス停を知っているだけの間柄な人にわざわざ声を掛けられるなんて人いないだろう? 僕もそうなので、先輩の名前とかは知らなかった。そもそも僕もポケモンGOで忙しかったし。

 ところで当時、帰りのバス停で会うことは一切なかった。サークル活動とかが忙しいのだろうか? そんな感じの事を僕は思っていた。


 僕と先輩との交流が始まったきっかけは、僕の入ったサークルでのことだった。

「ご存じの通り、ここは文化研究部……という大層な肩書はついてるけど、実際のところゲームしたり漫画読んだりするところなんで、気軽に来てもらえると嬉しいかな。あ、ちなみに俺は相模実光(さがみさねみつ)っていいます、よろしく!」

 始めて部室に入った日。僕より少し背の高い、眼鏡をかけた部長はそう言って、部屋の奥のディスプレイの電源を入れた。すぐそばにニンテンドースイッチと、それに繋がれた有線のコントローラがいくつか。コントローラの方は見たことのない形状だ。

 なんだろう、コレ。不思議に思ってる僕に気付いてか、部長がスイッチを起動しながら話しかけてきた。

「そっか、海老名くんくらいだとそろそろWii Uあたりが世代? コレはゲームキューブのコントローラなんだけど……見たことないかな」

「そうですね、初めて見ました。ボタンの配置がなんか独特ですね」

 ゲームキューブ、なるゲーム機の存在自体は何となく聞いたことがある。昔のゲーム機だ。名前からして箱型なのだろう。

「……しかしコレ、スイッチですよね。何故昔のコントローラを?」

「スマブラ用だよ。今日はみんなまだ授業みたいだし、ここにいる人だけでやっちゃえってね」

「へえ、いいですね。僕やりたいです」

「そう来なくっちゃ! さーて、君もどうだい? 一緒にスマブラしようぜ」

 部長が視線を向けた先には、机に突っ伏す女の人がいた。傍らの開きっぱなしな漫画本からして、読みながら寝落ちしたであろうことがうかがえる。彼女の長い黒髪に、僕は見覚えがあった。

「……んぅ? どしたの相模。呼んだ?」

「呼んだともさ。ほら、スマブラやるからこっちきなー」

「はーい」

 起き上がった彼女を僕は知っていた。いつもバス停にいるあの人だ。

「……あれ、君いつもバス停にいる!」

「えっ、なんだ君たち知り合いだったのか! 言ってくれればよかったのに」

「あー、知り合いってほどでもないよ? 顔見知りっててーど。名前も知らんよ?」

 それは僕もだ。同じバス停によくいる人ということしか知らないし、そもそも彼女が僕と同じ大学にいることすらもこの時初めて知ったのだ。

「えっと、僕は……海老名です。海老名(えびな)英輔(えいすけ)

「ほーん、英輔くんね。私のことは奏って呼んでよ」

「苗字にしときます。なんですか? 苗字」

「チッ……柏よ」

 少しむっとしたように、先輩は舌打ちした。理不尽だ。

「こらこら、そんなに怒るんじゃないの。さっ、スマブラやるぞー」

 部長に首根っこひっつかまれて、スイッチの前まで運ばれる僕たち。

 ちなみに僕はゲーム慣れしてないのもあってか、柏先輩の操るキングクルールにギッタギタにされた。初心者相手にカウンターフル活用はよくないと思う。


 僕の入った文化研究部は、こんな具合でのんびりと色々するサークルだった。勿論他にも部員はいるが、他と掛け持ちしてたり、あと単純に幽霊部員と化してたりするので、常連は僕、先輩、部長の3人だった。

 そうそう、先輩が僕の隣人だと気付いたのもこうして活動している時だった。遅くまでゲームした後で帰りのバスに間に合うように電車に乗ったのだが、同じバスに先輩が乗ってたのだ。そりゃ行きは同じバス停なんだから当たり前だが、何気に帰りが一緒になるのはその日が初めてだったから。

 そういえば、彼女が何処からバス停に来てたのか知らないなあ。僕はそう思い、スマホで昔流行ったシティポップを聞きながらぼんやりとバスに乗っていた。

 僕の家の最寄りにバス停に着き、当然ながら先輩も一緒に降りた。

 どこに行くのか少し気になるが、まあ別にどうでもいいかな……なーんて思っていると、先輩はずっと僕と同じ道を通っている。

「道、こっちなんです?」

「こっちよー。そういう君こそ、そろそろ別の道なんじゃないの?」

「いや、普通にこっちです」

 結論から言うと先輩の住処は、同じアパートの隣室であった。

「あはは、思ってた倍くらいご近所さんだったねえ」

「ですね」

 部屋の窓から身を乗り出して話しかけてくる先輩を見て、僕は割と疲れていた。朝から晩まで毎日この人の隣ってなると流石にきついぞ、と。

「ふふふ、明日も一緒に学校行きましょ」

「はいはい」

 僕は心の底から面倒だった。


 そんな風に無為に過ぎていったある日のこと。その日は柏先輩だけ授業のある時間で、部室には僕含め2人しかいなかったのだが、2人目こと部長の顔が露骨ににやけていた。

「……向こう半年間に行われるあらゆるライブ、イベント、宝くじ、その他諸々軒並み当選したかのような顔ですね」

「たぶん全人類で君が初めてだよその種類の形容するの……まあ、幸福度で言えばそんなもんかもだねぇ」

「へえ」

「おいおい、興味なさそうにするなよー」

「冗談ですよ。おそらく恋人関連ですね」

「まだだけど、まあ部分点ってとこかな。実はね……柏さんといい感じなんだよね」

「へえ」

「おいおい」

 本格的に興味がない。人の色恋沙汰なんぞ。

「あっ、そうだ海老名くん。今度、柏さんに誕プレ送ろうかなって思っててさー? どういうのが趣味か聞いてきてもらえないかな?」

「ええ……自分で聞いてくださいよ、そういうのは。というか、どうせその時に告白って魂胆でしょ? そんな重大イベントに首突っ込みたくないですよ僕」

「なんだよお。ちょっとくらい手伝ってくれたって、罰は当たらないと思うけどね」

「そういう問題じゃないんですよ……この件に関してはどこまでも先輩の問題ですって」

 腕時計を見ると、そろそろ部室棟を出なければバスに間に合わない時間だった。

「じゃ、僕帰りますね……精々頑張って下され」

「はーい。応援ありがと!」

 応援。応援??

 社交辞令的に適当吐かしただけなので、そんなものした覚えはないのだが。


 2人はだいぶ長く続いた方だと思う。

 大学生の交際期間の相場なんぞ1ミリも知らんので何とも言えないのだが、要するに2人、『相性がよかった』という奴なのだろう。

 僕はそのことに対し、別に何とも思わなかった。無論2人の前では『いい後輩』であり続けてはいたが……それだけだった。何なら無意識のうちに、ちょっとだけ態度が悪くなっていたかもしれない。

 当時の僕はその可能性を考慮すらしていなかったが……ひょっとするとそれは、部長に対する所謂焼き餅というアレだったのかもしれない。あくまで今の僕が振り返ると、という意味なので、当時恋愛感情なんぞ1ミリもなかったという事は留意しておいてほしい。

 まあ、同じく今思い返すと、態度が悪くなるのも頷けるような環境ではあったということは事実っちゃ事実だ。例えば電話してるときなんか、先輩声大きいので、僕の部屋にも聞こえてくるのである。アパートの他の住人から大してクレームのようなものが来ていなかったらしいことが不思議でならない。

 迷惑に思うような心の狭い住人が、このアパートに僕しかいないという、嫌すぎる可能性も考えられるが。

 ちなみに2人の電話の内容はほとんど覚えていない。課題に集中してたりテレビ見たりしてれば耳には入らないし、そうじゃなくてもわざわざ音に意識をやらなければ困ることはないのだから。

 それはそうと、ある1日のものだけ、やけに記憶に残っている。

「あ、もしもしーさねさねー? 明日待ち合わせの時間何時―? ……ん。……えー、もうちょっと早く行こうよー。……うんうん。うん、じゃあその時間で! 遅れたら許さないからね!」

 さねさね? さねさね!? 僕は耳を疑った。

 そういや部長の下の名前は実光だったと思い出した頃には、もう先輩は家を出ていた。

 なんでこの電話が印象に残ってるかと言えば、先輩がその日家へ帰ってこなかったからだ。ははあ、ついにそういうことする感じになったんだな……そんなことを一瞬思い、すぐさま興味をなくした僕は眠りに就いた。

 部長が乗った、本来の待ち合わせ時間に間に合うものより一便早いバスが、事故を起こしたということを僕が知ったのは、先輩が目を真っ赤にして帰ってきた、翌朝のことだった。


 そこからの先輩の荒れ具合はとんでもなかった。僕が定期的に話しかけ、時に彼女の部屋のドアを蹴破ったりしていなければ、たぶん5、6回死んでいただろう。

 ある日はもう彼の事は忘れて新しく恋でもしよう! なんて息巻いてイメチェンして髪を茶色に染めたり、また別のある日は一日中部屋から出てこないでぼーっと過ごしたり。そういえば煙草を吸いだしたのもだいたいこの頃だ。どう考えても健康的ではない生活が半年ほど続いた頃には流石に僕も心配になって、大体は朝起きてしばらくしてからの時間に、ちょくちょく話しかけるようになった。

 考えてみれば、相手から頼まれてもないのに、自分から積極的に話しかけにいくのは割とやったことが無いかもしれない。それこそ家族程度のものだよなあ、そういうことするの。なーんて思いながら、僕は窓から体を乗り出し、先輩に声をかける。

「先輩。生きてます?」

「……んあ? なーんだ君か。ちょっと待ってて―、今服着るー」

 僕の呼びかけに少し遅れて、寝ぼけた彼女の声が、部屋の奥から響いてきた。

「……アンタ寝る時服着てないんです?」

「着とるわい。ホラ、窓から顔出すんならさー、最低限やっといた方がいいこととかあるでしょー? ……うん、オッケー。今行く」

 どたどたと足音が聞こえ、直後窓を開け、先輩が出てくる。寝ぐせを少しも直していない感じのぼさぼさした茶色の塊の下には、以前より多少薄くはなったものの、まだまだ目立つ隈ができている。寝起きで僕の声を聞いた直後、パジャマの上にジャージだけ羽織って出てきたらしい。最低限の体面ってやつだろう。

「ふう。毎朝ご苦労さんだねえ、話しかけてくれるとは。暇なの?」

「まあ暇ではありますかね」

 課題は溜まってるっちゃ溜まってるが、まあちょっと本気を出せばすぐに終わる分量だから暇と呼んで差し支えないだろう。本気を出すかどうかについてはノーコメント。

「……今日は大丈夫ですか? その、色々と」

「平気平気! 今日はちょっと寝れたもん」

「ちょっと?」

 昨夜聞こえてきた物音からして、僕が寝落ちた24時すぎくらいまでは起きていたと思うのだが。まあ以前よかマシになったということだろう。一睡もしてない日がちらほらとあった、あの頃と比べれば。

「で? 今日は学校行くんですか?」

「うーん……もうどの単位も落ちてそうだからなあ。いいよね行かなくて」

「早まらないでくだされ。諦めたらそこで試合終了ですよ」

「いいよそれで。終わらせよーぜこの不毛なゲーム。終わらせたらねえ、転売か配信で生計立てるんだー。もしくはヒッチハイク!」

 案の定というか何というか、まだ全然立ち直ってない。この頃からだ、先輩が本格的に鬱陶しくなってきたのは。

「ほら、元気出してください。生きてればその内いい事ありますって」

 なんて、ステレオタイプな励ましを送っても。

「……無理だよ。あの人は、実光くんは、私が……」

 ほらこうなる。

 ぶっちゃけこの人本格的にカウンセリングとかするべきだ。僕とてそうは伝えているのだが、向こうは大丈夫の一点張りである。僕はプロではないのだ、流石にこれ以上支えられる気は微塵もしない。このままじゃ絶対ダメだって確信ならあるのだが。

「はいはい。じゃ、何か美味しい物でも食べてきたらどうです?」

「おっ、いいねえソレ。奢ってよ」

「はあ?」


 日に日に悪化していくのを感じていた。

 いや、先輩の精神状態だけを見れば、むしろ改善していると言えるだろう。少なくとも彼女、自分から僕へ話しかけてくるようにはなった。

 それはそれで問題なのだが。なんせ彼女が話しかけてくるの、大抵死にたくなった時なのだから。

 しかし僕もそう強くは言い出せず、なあなあのまま時間だけが過ぎていった。いつしか、僕と話したい時にだけ、先輩は煙草を吸うようになった。煙を、僕の部屋の窓へ届くようにしながら。

 あ、一応行っておくと、僕が強く言い出せないのは、先輩のことが心配だからとかそういうのでは断じてない。


 何となく、現状とそれに至った理由について考えて。僕は再び窓から身を乗り出す。

「先輩、ちゃんとその曲聞いたんですか?」

 スマホ片手にそう告げる僕を見て、先輩はきょとんとした。

「ええ? 急にどうしたんだい。聞いたっちゃ聞いたけど……」

「最後の方。目の前に横たわる先の知れた未来を変えてみせる、そう決意する感じの歌詞ですよ」

「へえ。そりゃいいや、元気づけられて」

「……簡単に影響受ける割に、ちゃんと聞かないんすね」

「てへへ。正直言うと君と話すための口実にしてみただけなんだよね」

「全ミスチルファンに1発ずつ殴られてきてください」

「酷くない? そんであのバンドの活動年数的に、私それやられて原型留めてられる自信ないんだけど」

「まあミンチは確実でしょうね」

「君私を助けたいのか殺したいのかどっちなんだい」

「僕のあずかり知らぬところで消えてほしいとは」

「いやー、相変わらず手厳しい」

 気が付くと薄れていた煙の中、けらけらと、こんな風に笑う先輩が、僕には本当に哀れに思える。

 何があったのか、当然ながら僕とて全部知り尽くしてるわけではない。でも、ひょっとすると僕の他に、こうやって気軽に話しかけられる人がいないのかもしれない。

 ……実のところ僕自身、何故先輩を拒むことをしないのか、その理由がイマイチ分からないでいた。今日までは。

「しっかし英輔くん、君もなんだかんだお人好しだねえ。私の愚痴、わざわざ聞いてくれるんだもの」

 ……お人好し? 僕が?

「……別に。僕もなんだかんだ暇なので、これくらいなら付き合いますよ」

「へえ。そんなら今度、そっちから話しかけてくれてもいいんだよ? それこそ君だって、知り合いがいなくなったんだ。少し参っててもおかしかないしね」

 僕が。部長の、相模さんの、ことで?

 そんなことないだろう。頭の中で自分に言い聞かせる。

「じゃあ、そうですね……」

 ……相談したい事柄は、僕の喉から音として出てくることを拒んだ。愚痴りたいことなら、探せばいくらでもあるはずなのに。

「……そっか、それでか」

「んー? どうしたよ、今の一瞬で悟りでもお開きに?」

 首を傾げて僕を見る先輩。右手の煙草は、灰の部分が下を向いて零れ落ちそうだ。

 僕は自分の中の、仄暗い何かに気付いた。

 結局のところ僕は、親切心なんて持ってたわけじゃない。

 精神的に、自分より下な人間を見て、安心したかっただけなんだ。

「……どうしたの?」

「……灰。こぼれちゃいます」

「あっ、ホントだ」

 先輩はすぐに煙草をしまった。こちらに残っていた煙は、風向きのせいか先輩の方にふわりと流れ、瞬きする間に消え失せた。まるで最初から、少しも出ていなかったように。

「……あの、先輩。一つ、いいですか?」

「勿論いいよ。何?」

「……急に自分が、生きてるのが、嫌になった時……どうすればいいんでしょう」

「私がその答え、教えられるわけないって分かってるくせに」

 意地悪く笑う先輩の事をぶん殴ってやろうかと思った。

「はぁ……なんか、先輩と僕って何となく似てる気がしてきました」

「えー、どこがよ」

「……変な事でやたら落ち込む所」

「何それ、悪口?」

「自虐ですよ」

 こんな自分に、どうしようもなく嫌気がさしたから。

「なんかよくわかんないけど、こういう時は美味しい物でも食べてきたらいいんじゃない?」

 昔、僕が言ったことだ。この女中々性格が悪い。まあ僕とて同じようなもんだが。

「……いいですねソレ。奢ってください」

「はぁ?」

 ここも、僕がしたのと同じ返しだ。先輩、わりとちゃんと僕の話聞いてたのか?

「……ふふっ。話してたらなんか落ち着いたわ。またよろしくー」

「そっちが風下の日にしてくださいよー」

「やだよーだ」

 けらけらと笑いながら、先輩は窓の奥に体を引っ込め消えていった。

「……ったく」

 窓を閉める。

 妙に息苦しい……そんな感覚を覚えた。先輩の吸っていた煙草の煙は、もうどこにもないはずなのに。

 それこそさっきの曲じゃないが、先の知れた未来でも喉元に詰まってるのだろうか。

「……はいはい、またのご利用をお待ちしておりますよ」

 誰が聞くでもないのに、なんとなく呟いて、僕はため息をついた。

 決めた。今度、煙草を買おう。

 先輩の部屋が風下の日に窓際で吸って、紫煙を、思いを、押し付けるために。

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