《一夜で考えた小説シリーズ》推しを推すことを推しに嵌められました
私ー影井深月には推しがいる。
近年、推し活と呼ばれる文化が取り上げられるようになり、最早オタクというのは日本の経済を支える一大勢力を築いている。
私もそんな社会の歯車の一部になってしまったのかと思うと自分も落ちたものだなと考えてしまうが、推しというのは気づいたら、推してしまっているものなのだ。だから仕方ない。
そう、私は自分を誤魔化している。
なぜなら、私が推しを推すことは、必然以外の何物でもないからだ。推しを推すことを推しに嵌められたといえば伝わるのだろうか。
きっかけは今年の四月。
社会人五年目である私のデスクには使いやすさを追求したおかけで、機能面が向上している。
それは、いい感じに社会のぬるま湯に浸かっている人間らしくて、嫌気が差す。
そんな私の隣には同い年の超絶美人がいる。彼女の名前は永光千陽。
目はクリッとしており、肌は白く、手足は細く長い。髪はボブヘアで、毎朝ヘアアイロンで外側に巻いているらしい。自分の見た目に自信があるのか、常にキラキラしたオーラを纏っている。
正直言って苦手な部類。俗に言う陽キャで、私みたいな陰キャには見向きもしない。
その、はずだった。
残業するくらいなら早く出勤して、仕事を終わらせてやる主義の私は、早朝に出勤していた。いつもは一人。だけどその日だけは、隣のデスクの彼女がいた。
「あ、おはよ〜」
そう挨拶してきた彼女にペコッと会釈をして、自分のデスクに向かう。
すると彼女は誰もいない社内なのに、コソコソ話をするように耳元に囁いてきた。
「ねぇねぇ」
「……」
反応したら負け。反応しなければ、聞いてないのと同じ。
「ねぇねぇ」
「……」
「ねぇねぇ」
「……」
「ねぇねぇ」
「……」
私の無視に根負けしたのか彼女は私の耳元から離れた。
「私ね、転職しようと思うんだ」
「え?」
しまった、反応してしまった。
コソコソ話をやめ、堂々と宣言した彼女を見てしまった私に、彼女はニヤッと笑いかけてきた。
今思えば、そこから彼女の策は始めっていたのだ。
「反応、したね?」
「ぐ…」
「反応したなら、話を聞いてもらいます」
「………分かった」
私は、いやいや従った。
「実は、この仕事嫌いなんだ。男どもは私の容姿にしか興味ないし、他の女性には枕営業って言われる。もう、疲れた」
「うん」
私はコーヒーを淹れてあげながら話を聞いていた。
「私たちって同期で同い年じゃん?もうアラサーなんて信じられる?」
「信じられない」
そう答えた私は、二つあるマグカップのうち、一つを渡した。
「ありがと。それでさ、せっかくの二十代を、そんなふうに生活して良いのかなって思うの」
「はぁ……」
「だから、私……地下アイドルになるんだ!!」
私は、目をパチパチした。
だって信じられない。もうアラサーの彼女が、地下アイドルなんて人気出るのか?
「プロデューサーっていうのかな。その人に誘われて」
私は興味がなかったはずのその話題に対する疑問を口にしていた。
「でも、私たちはもうアラサーだよ?」
「プロデューサーさんが言うには、若い子たちがアイドルをやっている時代だけど、ここはあえて、そろそろ二十代が終わる人たちにアイドルをやるんだって」
「売れるの?」
「どーだろ。でもね、お金とかはもう、いいかなって」
「なんで?」
「お金より楽しく過ごしたい」
私は明るく話す彼女との話をそろそろ打ち切ろうと思って、終わりの言葉を口にした。
「そう。頑張ってよ。応援してる」
「応援してくれるの!?」
話を終わらせようとしたのに、彼女は終わらせてくれなかった。
「ねぇ、私を推してよ」
「は?」
「だから、私を推して」
「なんで」
「私を推してくれたら、毎日を楽しくしてあげる」
その提案は魅力的だった。
「今、魅力的な提案って思ったでしょ?」
「まぁ、うん」
「だから、推してよ」
その日は私が答えを出さないまま、他の社員が来たので話は打ち切られた。
一ヶ月後、試しに私は彼女のデビューライブに行った。
少しだけ高くなったステージで、少し壊れかけた照明の光を受け、安っぽい衣装で踊る彼女。決してセンターを飾っているわけではない。周囲を見れば、彼女のメンバーカラーのペンライトを振っている人はなかなか見当たらない。本来の私なら「くだらない」その一言で一蹴するはずなのに、できなかった。
なぜなら、彼女がとても楽しそうだったからだ。
安そうな衣装なのに、彼女の笑顔だけは、何にも代えられないぐらい高価なものに見えて。
あれから三ヶ月。私は今日も彼女のライブを見に来ている。もちろん、推し活だ。ペンラだって持っている。チェキを撮るためにお金だって持ってきた。
まんまと私は彼女の策に嵌まった。だけど、もう戻れない。
苦手だった彼女は、私の推しへと変貌した。