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戯劇の幕開け

 ファンタジーというには娯楽要素が少ないし、文芸かというと胸を張れない。そんな作品。

 ところで、指輪物語はどの分類?

 この物語は偽りと嘘に満ちている。舞台に上がればみな役者だ。真の心なんて誰にもわからないのかも。でも、それを理解することが本当に重要だろうか? 多くの人が求めるのは優しい甘露であって、苛烈な日差しではないからだ。知恵を探求するものは苦痛を味わうが、それでも幸福を追求することをやめない。人は安寧を求めながらも、答えをずっと探し求めている。だから、人々は主役に魅了されるのだろう。

 人は誰もが生きることを諦められない。生命はそのように作られ、終点を目指して歩くしかない。深い嘆きの内に生きることは辛く、容易なものではない。もし前進したいのなら世界の輝きに身を投じればいい。そういうことでしか、人は生きられない。

 ああ、これでは観客が退屈で帰ってしまうね。そろそろ物語を始めよう。一人の少女が懸命に生きたその記憶を。喝采はなく、称賛もない始まりから救いのない物語を。


 ✴


 人は彼女を聖女と呼んだ。ある種、間違いではないのだろう。少なくとも彼女は献身的にその身を人々のために捧げた偉大な人物として歴史に刻まれたのだから。心を律して高潔を貫いた人物として。

 だが、彼女の隣に居た目撃者は言う。あれは何処までも利己的で必死に生きた人間だったと。言うなれば、彼女は偽善の体現者であった。彼女は善を為すために生まれてきた人形ではなかった。それに気づいたときには全てに終止符が打たれ、新たな時代へと移り変わっていた。

 記録は歴史となり、記憶はその中に埋もれてしまった。彼女のことを覚えているのは少しの人間と小さなウサギ、そして観劇を楽しむ神だけとなる。

 だから、もし彼女の話を聞きたいのなら酷い神様ではなく小さな目撃者たるウサギが良い。さあ、バトンを託そう。


 ✴


 当時のことは今でも鮮明に覚えている。出会った頃はその美しさに魅了された。赤茶色の髪が光沢を浮かべ、紅瞳がこちらを見詰める。その端麗な容姿は勿論のこと、何よりも目を引かせたのは洗練された立ち振舞であった。

 「サイ? 寝ぼけてるの?」

 「そんなわけ無いだろ、オレはただ……この後のことを考えていただけだ」

 不思議そうに首を傾げる彼女に、私は無愛想に目を背けた。船の上から感じる風が幾つか過ぎ去り、彼女の髪が何回も波を打つ。今更ながらに思い出してみると、あの頃の私は生きた年月の割に幼かった。

 「確かに重要なことではある。でも、サイが気負う必要はない。もし今回の世界会議で失敗したとしても、それは私が判断を誤っただけのことだから」

 今思えば、この頃から彼女の言葉に違和感を感じるべきだった。だが、若い頃の私は青臭く照れたように白状した。

 「ちょっと、お前が目に入って、逸らせなかっただけだ。別に大した意味はない、それだけ」

 「そう、なら別に目を逸らす必要はない。私を見たところで、サイからお金を取ったりするわけじゃないから」

 「別のやつならお金取るのかよ?」

 「冗談、私は気にしないということ」

 そんな雑談をしている内に、私たちは世界会議が行われる黄金都市リーヴェルに着いた。この都市が黄金都市たる由縁は中央にあるカジノタワーだろう。この塔は夜になると周囲を光で満たす灯台となる。一面海の上で光輝く都市はまるで黄金の劇場だ。一生縁のないと思っていた場所に自分が向かっているという事実がむず痒くて、落ち着かなかった。


 ✴


 カジノはこの都市の名物であり、その象徴たる塔には有名な支配人がいる。黒い髪と獅子を彷彿とさせる黄金の目、弱肉強食の掟を遵守させる黄金の支配者。そして無慈悲な執行人。いくつもの呼び名がある中で彼を表す言葉を選ぶとしたらそれで十分だ。その支配人が私達の前に現れてもてなそうとするのには理由がある。

 「ようこそ、リーヴェルに。俺はここの支配人、ゲームマスターのフォルセト。お前たちとの出会いを歓迎するぜ」

 「私はエレナ、本日はシルメリア大陸の統治者としてお招きいただいて感謝します。貴公の噂は存じております。何より、名高いマルクトの信徒と出会えたことに」

 「よしてくれ、俺のことはフォルセトと気安く呼べばいい。それに、俺は地の王の敬虔な信徒じゃない。精々その恩恵にあやかっているだけだ」

 そんな調子でフォルセトは肩をすくめる。彼が信仰するマルクトはこの世界に顕現した最初の神だと言われている。黄金と冒険を司るかの王は一隻の船を携えて原初の海に現れた。その後大地を生み、そこから芽生えた生命を乗せて各地を遊覧した。今ではその船の上に都市ができるほどに。

 「そもそも俺はあれに一瞥もされたことはない。おそらくあんたと違ってな」

 「……そんなことはない。かの神は人を気にかけているはずだから、大君と同じように」

 「ま、何だっていいさ。今は人の時代だからな、世辞を言ったって仕方がない。俺が来たのは案内と……そう、忠告のためだ。ぜひ君たちには俺のカジノで遊んでほしいんだが、度を越すと俺も庇ってやれない。カジノでは一つだけ守ってほしいことがある。負けたら、大人しく俺に従ってくれ。ああ、負けたらだからな」

 彼はその後、貴賓の部屋に私たちを案内して、幾つかのゲームを教えてくれた。実際のところ、なんの役にもたたない知識だったが。


 ✴


 会議が始まるまでにはかなりの時間がかかる。

 ここに来てから数日、けしてカジノに入り浸るということはなかった。というより、エレナはいつも通り古ぼけた本を読み、カジノ場の背の届かない椅子にうんざりしていたからだ。補助してくれる椅子も、子供用で憤慨していたのを覚えている。

 「なあ、何を読んでるんだ? もし面白いやつなら見せてくれ」

 「面白いというより興味深いと思う」

 そう言って渡されたのは読解困難で理解不能なものだった。古い言葉だったのもあるが、何より単語と単語の意味は分かるのに文脈になると理解できなかった。

 「……なにこれ?」

 「神代直後の物語、確か君の故郷の話だったはず。大君が降臨して、様々な伝説を為した。その行為に含まれる意味の注釈かな」

 「そんなの読んでるやつなんて学者でもあまりいないと思うぞ」

 「学び取れることは多くあるよ。もちろん、時代によって多くの変化が生まれるから、これが答えになることはない。でも、参考にすることはできる。今でも通じる普遍のものもあるけど」

 「そうか……とりあえず返すよ」

 古書を返すと、彼女はまた時間を再生したかのように黙々と本を読み始めた。私は退屈さに堪えきれず、ひとまず外へと足を向けた。


 カジノタワーといっても、中にある施設は全てが賭博施設という訳ではない。下層で行われる賭博施設と上層に設置された宿泊施設。外縁には上下を行き来するゴンドラがあり、塔の外側這っている線が装飾のように美しい、またゴンドラの中から見る日の出などは格別のものだろう。ともかく、私はそのゴンドラに乗って下層まで足を運んだ。カジノの方は好きではないので、近くにあるバーで適当に時間を潰すことにした。

 「そこのあなた、こんな昼間から何をしてるの? 何か悩みごとがあるなら、何でも聞くわよ」

 「誰だ?」

  声をかけられた方を向くと、白髪に赤色を差した髪を持った幼い女児が、年齢に見合わぬ理知的な瞳でこちらを見詰めた。

 「私はレーア、ただ貴方のことが目に入ったから声をかけてみたの。こんな時間にカジノにも行かず、特に何もしないなんて珍しいことだから」

 「別に困ってないけど、……そうだな。何か面白いものを教えてくれないか? お前のような子どもがここにいるってことは面白いものも知ってるはずだよな」

 「ふうん……そう答えるんだ。いいわ、おすすめの場所に連れて行ってあげる。でも、他の人には他言無用でお願いするわ。なんせ、彼らが困ってしまうもの」


 レーアに付いてゴンドラで地上階まで降り、港まで行く道とは正反対の雑多な道を歩いてみると、今まで見てきた高貴なイメージとは打って変わって下町の装いを見せた。

 「ここはずっと昔から住んでいる住民たちの居住区。普段は余所者が立ち入ることはないけど、ここも良い場所よ。特にあの酒場のピリ辛魚の甘辛煮はとても絶品で、貴方におすすめしたいくらい」

 「食べたいのか?」

 「……いや、食べれたいとは思うけど、今食べに行こうとは思わないわよ」

 そう言って咄嗟に酒場から目を逸らして、レーアは次の場所に案内してくれた。


 「ここは漂流者たちの石碑、人々はここで大地の王マルクトに最初の誓いをしたと言われている」

 「ここは王の舵と言われてる場所、何人もこの進路を変えさせることは出来なかったと言われているわ。その権限を持つのは地の王だけ」

 「ここは……」

 そんな調子でゆっくり案内してもらうと、既に日が傾き始めていた。

 「うん、なかなか楽しめた。ありがとな、最後にあの酒場に行きたいんだがいいか?」

 「うん、近道は暗記してるから。こっちよ」

 再び酒場の前に戻り、今度は酒場の中に入る。中には筋骨隆々のいかつい見た目をしたマスターがにこにこした笑顔で接客していた。私を見ると少し驚いた顔をしたが、俺の後ろを見ると疑問は解けたのか手厚くもてなしてくれた。

 「全く、レーアには感謝するぜ。お前が誘ってくれる客は皆常連だ。態度が悪いやつもいないし、お前は俺の幸運の女神かもな、がははっ」

 「私は女神じゃないっていつも言ってるでしょ。それより、いつものを彼に出してあげて。君も、きっと気に入ると思うから」

 「ああ、すまない親父さん。こいつにも作ってやってくれ。色んな場所を案内してくれたのに、お駄賃なしじゃ可愛そうだからな」

 「え? 私のは……」

 「おう、まかせとけ!」

 白身の魚に赤みがかったホワイトソースがかけられ、フォークで一切れ食べてみるとその絶妙な旨味にご飯が欲しくなってくる。だが、隣に添えられたパンでソースを掬って食べるのもまた格別だ。

 「美味いな、これ」

 「そうでしょ、私もこんなに食に感動したのはこれが初めてだったもの」

 得意げに語るレーアの頬にソースがついているのを見て可笑しく感じ、私の様子に彼女は恥ずかしそうに目を閉じてさっと口を拭った。


 「はぁ、とんだ失態を見せたわ。でも、今日はこの都市の裏側を楽しんでいただけたかしら?」

 「おう、ありがとな。結構楽しかったぜ」

 「なら良かった。ああ、昼食のお礼をしてなかったわね。お礼として、あなたを占ってあげる」

 「占い?」

 「そう、大したものじゃないわよ。ただ相手の運命を測り、およその未来を見通すだけ。予測と何も変わらないわ」

 そう言って彼女はその赤い瞳とその中心にある白と黒の虹彩と瞳孔をもってこちらを見詰めた。

 「……うん、君はきっと幸せな人生を歩める。今は何が幸せか分からないだろうけど、きっといつか幸せとは何かを理解する。君にはその素地が十分にあるから」

 「凄い曖昧だな」

 「言ったでしょ、占いってそういうものなの。もし予言を聞きたいのなら、君の全てを知らなければならない。でも、私は占い師じゃないから、そんな運命を背負うつもりはないわ。私はただ貴方の幸せを願うだけなの」


 ✴


 そんな出会もあり、私は少しずつここを良い場所と感じるようになっていた。

 「なあ、今日は一緒にカジノに行かないか?」

 「構わないけど、何かあったの? 最近、外に出ることが多いから」

 「いい奴に会ったんだ、レーアっていう子どもだけどな。そいつが色々と紹介してくれて、……折角カジノがあるのに一回だけは勿体ないと思ったんだよ」

 「それで?」

 「……別にオレがゲームに参加しなくてもいいやと思ったんだよ。最初はフォルセトもいたし、遊戯場の雰囲気も固くなってた。今なら実際はどんな場所なのかを知る良い機会だと思ってな」

 「自分でゲームしないの?」

 「オレは体験するよりも見てる方が楽しいんだよ、あんま強くないし」

 「分かった、少し支度をするから先に降りて」


 一足先にカジノに着くと、ガラガラとルーレットの回る音やカードをシャッフルする音、思わず漏れた感嘆や嘆きの声がカジノを装飾する黄金に溶けていく。エレナを待つ間、私は賭け事をする人たちの様子を眺めていた。

 (あれ? これはイカサマじゃないのか?)

 まるでカードの裏面を把握してるかのような手付きでカードを引き抜き、オープンの掛け声のもとで裏返される。勝負はもちろん成功、勝者はほくそ笑み、敗者は顔を真っ青にして後ろに崩れ落ちた。

 「嘘だ! 嫌だ! こんなのおかしい! お前、俺を嵌めたなぁっ!?」

 「そんなわけ無いだろう、証拠はあるのか? 証拠もなく喚き立てる、ああまさに負け犬とはこのことだな!」

 遊技場の中心で突然繰り広げられる茶番に私は驚いた。周囲の野次馬たちは笑い、嘲り、軽蔑している。一瞬、この場が今までいた場所ではなく、反転して人の零落を語り出す舞台に変わったように思えた。ああ、人の冷徹さと悪意を恐ろしいと思ったのはこのときが初めてだった。

 「さあ! 敗者は絶対のルールのもとに審判される!」


 いつまでこんな酷いものを見せられるのか、この空気を変えたのは一人の聖女だった。

 「それは貴方が不正をしていなければの話だよ」

 周囲の目が暗色のドレスを纏ったエレナに注がれる。しかし、彼女は狼狽える素振りを見せずに一歩を踏み出す。

 「何の話だ? 俺とこいつは公正なルールのもとで勝負をした。そして俺は勝ち、そいつは負けた。この結果に文句を言う資格はお前にはない!」

 「貴方は恐れている。勝負に勝ったというのに、何かを隠そうと心が揺れて、早くここから逃げようとした。別に私は事実を告げているだけ、例え上から目線の言葉であろうとそれを語るのに資格なんていらない」

 エレナの言葉に相手はたじろぎ、目線を彷徨わせた末に腰に手を当てようとした。

 そして、

 「おい、なんの騒ぎだ? ここは劇場じゃないんだぞ。皆が手を止めたら、どうやってカジノを運営しろと言うんだ」

 百獣の王が姿を表した。その金瞳で人々を睥睨するかのように。

 「うむ、どうやら俺の仲介が必要なようだ。この場での言い争いは差し控えてもらおう。この続きは法廷で」

 結局、この登場人物はこう、だからこう動くのほうが分かりやすかった。実は聖女でした、という流れを作るのに私は向いてない。

 これ、何を参考にしているのか分かりやすいよね。

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