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8.闇夜の決戦

アクセスありがとうございます。

夕闇が迫る頃、2人は村を抜け出した。

 西風は雨雲を呼び、厚く垂れ込めていた雲は、重荷を抱えきれなくなったかのように生ぬるい雨を落としてきている。雨のおかけで足音が消え、姿を隠すにはちょうどいい。


 村と外を分ける柵を越えてしまえば、そこはすでにアイヒェンヴァルツの森だ。

 いくらかは木が切り倒され開けているが、それは申し訳程度のもので、あとは雨音すら漏らさぬ深い人外の領域がどこまでも広がっている。


 2人はずぶ濡れになりながら、黙りこくってひたすら歩く。一昨日のようなことにはならない、という予感があった。ある程度奥に入ったら、必ず出てくるはずだ。


 雨が激しくなった。もう自分達の足音も聞こえない。敵が現れても、直前まで気づかないだろう。

 でもそれは相手にとっても同じこと。『アイヒェンヴァルツの妖獣』は、眷属として狼を使役するという。であれば、『妖獣』自身も狼と同じ性質を持つはずで、視覚よりも嗅覚聴覚に優れるあちらに、より不利があるはずだ。


 森が切れて、少し開けたところに出た。遮る梢がなくなって、雨粒が直接体を叩く。

 見通しがいい。ここで現れてくれれば・・・。


「いる。」

 リアが見やる正面。闇の中にひときわ大きな闇の塊がある。


 信じられないことに、敵は潜むでもなく奇襲をかけるでもなく、堂々と2人を待っていたのだ。

 それがのっそりと起き上がった。想像していたよりも大きい。影を見る限り四つ足。ただ狼のようにスリムではない。


 主の動きに呼応して、周囲から狼が現れる。もちろん、包囲されている。


「じゃあ、いきますか。」

 これから起こるであろう命のやりとりに思いを馳せ、それを素直に歓迎する。そうすれば内なる闇が目を覚ます。『よし、獲物はどこだ』と。


 良識や分別という、人間を形作る枷が綺麗に剥がれていくのを感じる。代わりに流れ込んでくる、狂おしいまでの血への渇望。力への意志。


 2人は同時に行動を開始した。

 リアは左、ルネは右。先手を取られた獣たちから狼狽の気配が伝わってくる。それもそのはず、今度の人間どもは彼らより速かったからだ。


 敵が動き出す前に、既に2頭が屠られた。そのまま隣の狼に斬りかかる。

 包囲戦がなぜ有利か。ごくあたりまえの物理的な側面だけでいえば、それは布陣可能な広さに帰結する。外側の攻撃側はより広い範囲に戦力を展開できるのに対し、防御側は狭く縮こまることになる。


 だがその理屈も包囲が完成すればの話でしかない。

 それより前に周囲に散らばる敵を各個撃破してしまえばいいだけの話だ。

 そして今の2人にはそれを為すだけの身体能力がある。それは宗教的倫理で言えば許されざる罪悪だが、今の2人にとっては福音でしかない。


 半時間もかからず、狼の群れは壊滅状態になった。普通だったらとっくに撤退している。それでも退かないのは大物が威圧しているからか。


 2人は『アイヒェンヴァルツの妖獣』と対峙した。圧倒的な存在感を持つそれは、不可解なことに、これまでの戦いでは全く動かなかった。王者としての自信だろうか。それとも・・・。


 ルネは相手の姿を観察した。闇の中でシルエットだけが浮かび上がる。長い尾は高々と持ち上げられ不規則に揺れる。四肢の筋肉は、その内に蓄えられた破壊力を思わせる。狼とまるで違うのは、その頭部。鰐を思わせる長い顎に、無数の牙がびっしりと生えている。どんなものでも八つ裂きにしてしまうその口裂から、今は低い唸り声が漏れている。


「あのでかい口が鈍そう。」

 リアは天性の戦闘巧者だ。観察力と直感で相手の弱点を見抜くのがうまい。

「分かった。囮は僕がやる。」

 言うとルネは走り出した。その時、目の前の相手が跳んだ。


「なっ!?」

 予想以上の速さだ。これまで一度もその動きを観察できなかったことが祟る。


 跳んだ先はリアの正面。強力な爪の一撃が繰り出される。


「リア !」

 リアは後ろ跳びで間一髪で避けた。そこに追撃がかかる。リアはまだ体勢を立て直せていない。爪がリアの肩に届いてしまう。


 肩当てがちぎれ飛んでいく。ルネがようやく追いついて剣を振るうが、その時には、すでに距離を取られている。


「リア!?」 

倒れている彼女を背中に庇って剣を構える。心臓が締めあげられるように痛い。彼女の傷はどうなっている?振り返って手当をしたい欲求を必死で抑え込む。


「大丈夫。かすり傷。」

背後から労わるような声。だがわずかに震えている。

「それより、ちょっと普通にやって勝てる相手じゃないよ。こっちも覚悟決めてかないと。」

「・・・そうだね。それなら僕がやるから、やばくなったら頼むよ。」

「分かった。お姉ちゃんに任せときな。」



 その頼もしい声を背中に受けて、ルネは自分の中に潜り込んでいく。精神の深淵。既に第一の檻は解き放たれ、中層意識のかなりのところまで、黒い存在が染み出して来ている。


 だが、まだその四肢には幾重にも枷がかけられ、封印の鉄鎖が巻かれている。


 ルネの自我は注意深く、どの鎖を外せばいいかを判断する。どこまでなら闇を解き放てるのか。


「よし、これだ。」


 手に持った鍵を枷に差し込むと、重々しい音がこだまして戒めが外された。歓喜の叫びがルネの意識を駆け巡る。



「ルネ!」

 意識が引き戻される。目を開けると、無数の牙の列がそこにあった。もはや避ける余裕はない。


 だが、その勢いは唐突に止まった。いや、止められた。

 ルネの手が、巨大な獣の顎を締めあげていた。それは異様な光景だった。

 身長の数倍を超える巨体を、一人の少年の片手が軽々と掴み上げている。


 柔らかな喉を片手で捻り上げると、巨獣が苦悶にのたうちまわり、何とかして戒めから逃れようとする。


 ルネの右手がそれを抑え込み、次いで紙くずのように投げ飛ばす。

 ルネの口から、とても人とは思えない獰猛な雄叫びが吐き出された。その双眸は刮目しており、眦からは赤黒い血が止めどなく流れ落ちる。


 リアはその様子を食い入るように見つめている。

 もはや監視するべきは敵ではなく、別の存在に変貌した従弟のほうだ。


 ルネが跳躍した。ひとつ跳びで獣の巨体にのしかかると、まるで幼児が気に入らないおもちゃをバラバラにするかのように、強靭であるはずの魔獣の体を引きちぎり始めた。


 この世のものとも思えない凄惨な光景が繰り広げられ、哀れな獣の断末魔が辺りに響きわたると、次いで生々しい咀嚼音が聞こえ始める。

 ルネの形をしたその存在は、巨獣の亡骸を貪り食っていた。



「そろそろ潮時よね。」


 リアは覚悟を固めて自分に言い聞かせる。

 食事に夢中の従弟にじりじりと近寄っていく。

 魂の性質が近すぎて、近づいてもなかなか気づかれない。

 ぐっちゃぐっちゃと盛大な咀嚼音を立てているルネの後ろに回り込み、あとは一気に首を絞めあげた。


 凄まじい力で抵抗されるが、同質の力をこめてそれを緩和してしまう。

「ごめんね。次はあたしがやるから。」腕の中で、ルネの呼吸がか細くなって行くのを感じる。


 ここから先は力加減が難しい。

 リアは慎重に腕に力を込めた。

 このまま、ルネの呼吸をちぎれる寸前の麻糸のように細くしていく。

「かはっ。・・・ひゅー。」

 ルネが絶えきれずに白目を剥いた。ここだ。


 目を閉じて、自らの意識に潜り込んでいく。


 『自己への潜行』は大きな危険がつきまとう。

 「自分が自分だ」と思っていられるのは意識の表層部分だけで、深みに落ちれば落ちるほど原型をとどめない醜悪な姿を無数に見せつけられることになる。

 それらに裸の自我のままで対峙することは、人間には耐えられないことであって、無理に行えば人格が崩れ落ちることになる。


 リアとルネは、過去のある事件をきっかけに、互いの意識の中層から深層の上部にかけてを共有することになってしまった。それは互いの人格を常に脅かす危険と隣り合わせなのだが、こういう時は便利だ。

 割と見慣れた醜悪な自我の表象を、なるべく見ないようにして素通りし、ルネの意識にかかる橋頭堡に足をかけた。


 その瞬間、心象風景が切り替わる。ヘドロの沼地のようだった景色が一変して、霧に覆われた大河になった。


 リアにとってそこは、いつも船の形をしていた。右舷から鎖が伸びていて、その先にもう一隻の船が繋がっている。

 その船には長大なヤツメウナギが巻きついていて、ルネが甲板の上で右往左往しているのが見える。ルネはヤツメウナギが大の苦手なのだ。

 だがリアに関してはその限りではない。むしろ、

「おいしそう・・・。」

 リアはじゅるりと唾を飲み込んで、船と船を繋ぐ鎖に足をかけた。


 さほど長くもかからずルネ側の船に飛び乗るや、絡みつく粘液質の胴体に斬りつける。

 それはいともやすやすと切り裂かれる。肉片は甲板に落ちるや否や、香ばしい香りが立ち上る塩焼きに変わる。


 片手でそれらを頬張り、もう一方の手で剣を振るうリアを、ルネが泣きながら見上げている。ルネ。


 可愛いルネはここでは8、9歳の姿だ。ここに来る時は大抵この姿をしている。

(あたしが修道院に入れられるっつって街を離れた時のあれよね。)


「待っててねルネ。今全部食べちゃうから。」

 湧きあがるいとおしさを全力でこらえながら、ひたすら作業に集中する。今すぐルネを抱きしめたいが、ここではそれをやってはいけない。


 船に絡みついていた長大な下等生物は、リアの剣と胃袋によって跡形もなく消えた。

 ルネも今は落ち着いて、リアを見つめている。

 幼い風体をしているが、それはリアの意識がそう言う表象を作り上げているだけなので、向こうは向こうでいつものルネのはずだ。


「じゃああたし帰るね。」

 手を振って舷に足をかける。その背中に、ルネも手を振っているのを感じる。


「お姉ちゃん、右によけて。」

「え?」セリフのあまりの唐突さに思わず聞き返す。その時




「ぐっ!?」

 火を押し付けられたような痛み。足だ。

 潜行から急激に引き戻されたショックと、左足の痛みで、ただじっとしていることしかできない。


 周りはどうなっている?ルネは?

 無理矢理目を開く。空は薄々と明けかかっている。


 左足に目をやると、矢が突き立っているのが見えた。


 やられた・・・。

 必死で周囲をまさぐる。ルネは、いる!


 よかった。まだ気を失っているが、息はある。ちゃんと戻ってきている。

 複数の足音が聞こえる。この矢を撃った奴。予想が正しければ、


「とんでもないことをしたね。まさか本当に殺してしまうとは。見事に出し抜かれたよ。」

「フィリップ・・・。」

「まあいい。シナリオは書き直すとして。ユージェニーのケアが大変だ。いやいや。」

「ユージェニー。あの子は・・・。」

 

 リアは、視界がいきなり歪みだしたのに気づいた。けれどもう遅い。

「しびれ薬・・・。」

「まあ一応狩人ってことでね。」

 ヨーナスの声が聞こえた刹那、リアの意識が暗転した。


ご一読ありがとうございます。

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