23.フィリップ
「フィリップ。あなたのことを教えてほしい。」
ユージェニーが改まって申し入れた。
それはもっともな質問だった。フィリップは長い間素性を偽って彼女を裏切ってきた。
ここへきて協力的になったとはいえ、何も言わずに許せるものではない。
「ああ。」
フィリップはそんなユージェニーの目を直視できなかったのか少しうつむいて語り始めた。
「私の家族はもともと『泉の民』さ。それは嘘ではない。よくある話と言えばよくある話でね。四神教の開拓布教があって、運悪く布教団に見つかった私の家族は捕まって奴隷に売られた。」
3人は何も言わずにフィリップの話に耳を傾けている。
「売られた先は法都エトルリアの冥界神の神殿でね。当時は大規模な聖堂造営工事の真っ最中で、人手がいくらあっても足りなかった。両親もほとんど休みなしに働かされていた。それこそ、命を搾り取られるような労働でね、2人からどんどん生きる力が失われていくのが見ていて分かった。
私は、ああもう両親は死ぬんだと分かった。そして自分も大きくなったら同じように残りカスのようになるまで働かされて死ぬんだと。」
フィリップはカップの液体に一口つけ、話し続ける。
「それはどうしてもいやだったから、どうにかして逃れる術はないか探した。すると、同じくらいの歳の子どもが司祭の見習いをしているのを見たんだ。むろん、向こうは奴隷ではないがね。で、儀式の所作や聖句を覚えられなくて折檻されていた。でもね、それも両親の仕事に比べれば天国みたいなものさ。だからそれを見てまるごと覚えて、司祭の前で披露してやったのさ。最初は生意気な奴隷の子のくせに、と処罰されそうになったけれど、その場にたまたま居合わせた上役の人が目をかけてくれて、私はその方に仕えて修行をすることになった。」
フィリップはよどみなく続ける。
「幸運にも私は学僧としての才能があった。同輩が苦心惨憺していた文書や教典を、1度読んだだけで丸ごと空んじることができた。同輩からは妬まれたが、上役は期待をかけてくれた。そんなある時、聖者の選抜があった。」
「聖者?」
「そうだ。聖者は神に直接触れられる者。神がその肉体を通して現世に力を発現させる、その通り道になりうる者のことを云う。」
「じゃあ・・・。」
フィリップがルネを制して続ける。
「言いたいことは分かるがひとまず聞いてくれ。私は上役に推挙され、聖者の試しを受け、そして選ばれた。大変に名誉なことと喜ばれたよ。私も誇らしかった。」
「あの時のは聖者の力・・・。」
「そうさ。私の使命はまつろわぬ土地土地の神や精霊を冥界神に取り込み、四神教、というか冥界神の布教を拡大することだ。」
「ではあれが神の姿であると?なんというか、神というには少し・・・。」
「不気味だと言いたいんだろ?」
フィリップはルネにニヤリと笑いかけた。
「あれは冥界神が顕現された姿ではあるが、同時に私という死すべき人間の精神を通してのものなのだ。だから神であっても限られたほんの一面でしかない。」
「神に邪悪な面があるということ?」
「それは、あるさ。神の精神は広大で深遠。どのような面も持ち合わせている。ただそれが現世に立ち現れるとき、現世のものを通した力としてしか現れ得ない。それはお前たちも感じているのだろう?」
リアとルネは自分たちの中に潜む存在に意識を向けた。悪魔と言われ、ずっとそう信じてきたし。心象的にもそれらしい形相を持っている。
「それじゃあ、私たちの悪魔も神なの?」
「神も悪魔も精霊も、この世に現れるのは力でしかない。深淵においては出自が異なると言われているがね。」
「深淵・・・。神は人の心の中にいるということ?」
「その辺りは微妙な神学論争になってしまうがね。正確に言えば、精神が深淵につながっているのだ。人だけでなく、心を持つありとあらゆるものが。」
悪魔の棲む精神の深層。さらにその奥の深みは覗きこんだことすらない。もしそこを潜っていったとしたら、神や悪魔たちが住まう世界があるというのか。
「大変説明が難しいところだが、私たちの精神そのものだって似たようなものではないかね?意識の深みでは複雑だが、行動に現れてしまえば卑小で単純だ。」
ルネは、自分という存在が、この肉体に間借りしている不気味で得体の知れない幽霊のような存在だと想像してみた。そしてそこにリアと馴染みの悪魔が同居している。
「私たちの旅の目的はね、この悪魔を剥がすことができるという聖者を探すということだったのよ。」リアが言った。
それは先の戦いで成就した。奇しくも。
「結局戻って来ちゃったけどね。」ルネは苦笑した。自分たちは以前ほど、この奇妙な同居人を追い出そうとはしていないのかも知れない。
「エペーはあなたたちを異常に気に入っている。」
ユージェニーが言った。
「異常に・・・。」
「そう。それは普通じゃない。冥界神の支配を打ち破ったのもきっとそのせい。何か普通じゃないものが関係していると思う。気をつけたほうがいい。」
ユージェニーは警告した。
きっと2人を困惑させるだろうと思っていたが、幾度も感じた違和感を伝えずにはいられなかった。
フィリップがそれを収めて言った。
「先のことは分からんよ。あくまで可能性の話だ。ともあれ、まずはユージェニーだな。」
「分かっている。」
ユージェニーはうなずいた。民を逃がし、村の滅亡を偽装した。だがそれで根本的な解決になったわけではない。ユージェニーが考え、フィリップに相談し、リアとルネに動いてもらうことで今できる最良の策が進んでいる。その成就まであと少し。
「じゃあ、明日に備えて休むってことで。」
リアの提案で、長い会談が終わった。




