2.出会い
狼の群れに包囲された不利な戦いは、何者かによって助勢されどうにか勝利を得ることができた。
「なかなかの腕前ね。」
リアが言う。彼女は腕から血を流している。リアの戦法はヒット・アンド・アウェイを旨とする。素早いステップと見切りが持ち味だ。互いの背中を守るような戦い方では持ち味が生かせない。いきおい後半は、守るべきゾーンを離れてしまったのだろう。
手当をしようかとも思ったが、今は未知の勢力に意識を集中すべきだ。それにあのくらいの傷なら半時間もしないで塞がってしまうだろう。
「そちらこそ見事な剣さばきで。」
ルネの後方から男の声がした。振り向くと、長弓を肩にかけた男がこちらに歩いてくる。狩人ではない、とルネは判断する。明るい白金の髪、一見して分かる貴族的な立ち居振る舞い。
「お褒めにあずかり光栄ですわ。ところでもうお一方はどちらに? 」
リアが剣呑なカーテシーを披露する。矢は、2方向から飛んできていたはずだ。この状況で武器を持った人間を隠すのは、友好的な態度とは言えない。
「失礼した。ユージェニー、出て来ていいぞ。」
男が言うとリアの左手から少女が現れた。同じく金髪の、こちらはややクリームがかった豊かな髪だ。同じく長弓をもっている。男と少女はいずれも抜けるような白い肌をして、兄妹のようにも見える。
「君たちの案内人が逃げていくのが見えたのでね。」
男は言った。口調に揶揄が混ざる。
「あらそう、あの人元気そうだった?」何食わぬ様子でリアが返す。こういうところは素直に感心してしまうルネだったが、フォローも忘れない。
「ともあれ、危ないところ助太刀いただき感謝の言葉もありません。」
「なに、私たちの追っている獲物かと思って駆けつけたまでだ。・・・外れだったがね。」
「するとあなたがたも?」
「『アイヒェンヴァルツの妖獣』を追っているの。」
少女が口を開いた。見た目通り、野の花がそよぐような声だった。
リアの傷の手当てをすると、逃げた案内人の捜索がてら、互いに情報交換をすることにした。
男はフィリップ、少女はユージェニー。兄妹ではないが、遠からぬ血縁だという。2人はこの地に根づく司祭家の末裔で、森と泉の精霊を代々守ってきた家系だった。だが最近では四神の教えが支配的になり、精霊信仰は廃れてきてしまった。それに加えて今度の妖獣の出現で、守るべき森が荒れ果ててしまう。
「さすがに放っておくわけにはいかなくなってね。」
フィリップが肩をすくめた。貴族でもないのに、どうしてこういう仕草をするのかそれとなく聞いてみると、
「ついこの間まで法都で留学していたのさ。」
田舎者が気取っているのかと思いきや、西方国家群で最も栄えた都で暮らしていたということだ。
「ところで君たちはどうして『妖獣』を?」
「・・・はめられたのよ。」
フィリップの問いにリアが渋面で答えた。
ルネは耐えきれなくなって、正確には自分からはまりに行ったんじゃないかと指摘してみた。案の定リアが睨みつけてきたが、構わず続ける。
「領都に着いたのが3日前。酒場でカード賭博に手を出して、見事に全財産すって、借金まで負わされたのがその日の夜。踏み倒そうとして警吏に捕まったのが・・・。」
「そうして罪のないあたしたちは無理矢理悪徳領主の前に引き立てられて、泣く泣く乙女の柔肌を・・・。」
「じゃなくて、赦免の代償に獣退治を押し付けられたというわけです。」
「ぷっ」
フィリップが噴き出した。何がツボに入ったのか分からないが、体を「く」の字にして肩をひくひく震わせている。
「ほら、あんたが余計なこと言うから。」
「どっちが。」
「本当に息がぴったりなのね。いとこというより夫婦みたい。」
ユージェニーが抑揚のない声で言った。どうやら感情表現の乏しい少女のようだ。それにしても、今のやりとりのどこに息の合う要素があったのだろうか。ルネは頭をひねらせた。
「あれは。」
リアが何かを見つけた。下草に半ば埋もれかけてはいるが、見間違えようがない。死体だ。
それは中年の男だった。案内人ヨーナスではない。革の作業衣に身を包み、職人風の風体をしている。まだ殺されて1日も経っていないだろう。腹を大きく抉られた傷から、獣にやられたことは一目瞭然だった。
「工房の親方だ。」
亡骸は森のほとりにある開拓村の有力者のものだ。周囲には他に死体らしき影はない。この人物は危険な森に一人で入ったのだろうか。
発見してしまったからには報告する他ない。かと言って担いで運ぶことはできないから、何か証拠になるものを持ち帰ろうということになった。
「それなら首だな。」
フィリップはそう言うと死体の髪を掴み、短剣を抜いて躊躇なく刃を差し入れる。
「ちょっ」
ルネが慌てて制止するが手遅れだ。おそろしい手際の良さで斬り落とされていく。
「ほら。」金髪の秀麗な若者の手に、既に腐敗が始まっている首がぶら下がる。さすがに耐え難い臭いが立ち込めた。そしてこともあろうに、それをルネに手渡してきた。ルネは慌ててそれを突き返す。
「い、いや。首を落とすって罪人の扱いですよね。そんなことしたら村の人がものすごく怒るんじゃないかと・・・。」
「・・・。」
ルネが指摘すると、フィリップは何やら考え込む。リアはうっかり親の恥部を見てしまった時みたいな、何とも言えない顔をしている。
「それもそうだな。」フィリップが首を投げ捨てる。彼の守る精霊の教えには、死者の尊厳とかは含まれないのだろうか。
「フィリップ、やりすぎよ。」
「うむ。」
金髪の2人の間では何かしら決着がついたようだが、ルネは違和感を処理しきれない。
「ま、まあ持ち物とかでいいんじゃないかな。そこにカバンっぽいのが転がってるし。」
リアが極めて常識的な提案をしてきた。従姉の心中が自分とだいたい同じだと分かると、ルネは少し気を取り直した。
幸い荷物は荒らされておらず、愛用らしき道具がいくつか入っていたから、これで用は足りるだろう。相変わらずネズミ顔の案内人ヨーナスは影も形も見えないが、日も暮れかけているので引き返すことにした。
このまま金髪たちと連れ立って歩いて、本当に安全なのだろうかと、ルネはふと不安になったが、そのことは口には出さないことにした。