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19.帰還と失意

 ユージェニーは夕刻前に村の門をくぐった。

 ユーリーの広大な背にしがみついて、身に染みついた疲労を噛み締める。傍らには、未だ意識の戻らないフィリップの体が括り付けられている。


 あの時、ルネの言葉になぜ従ったのか。なぜ2人をあの場に置いてきてしまえたのか分からない。

 リアとルネ、そして2人の中に巣食う存在は、四神の一柱ですら退けてしまった。

 それがなぜなのか、ユージェニーには説明できない。


 あれは、すでに太古において四神に敗れ汚穢に落ちた、精霊の成れの果てにすぎないはずだった。それが冥界神の強力な「光の舌」に絡め取られ、喰らい尽くされた。ユージェニーの、精霊としての視界はそれを確かに捉えた。弱々しくも禍々しい「悪魔」だったものは、神の力によって浄化され因果の果てに消えた。


「それなのに・・・。」


 分からない。

 自分は太古よりこの地を統べる精霊ではなかったか。


「なんという無力だろう。」

 しがみついた獣のごわごわした毛をぐいと掴んで引き寄せる。黒い毛の間に透明な雫が落ちた。

 自分の涙だと気づいた時には、周囲を村人が囲んでいた。


 ユージェニーは観念して顔を上げた。

 これこそ、自分が向き合わなければならないものだ。


「ユージェニー様。」

 トマス村長が進み出て、獣の前に膝をついた。

「おかえりなさいませ。さぞお疲れでしょう。御寝所を用意しております。どうぞ。」

「トマス・・・。」

 ユージェニーがその頭に向けて何か言おうとするが、言葉が続かない。

「間諜たちからあるていどの事は聞いております。」

「そう・・。」


 ユージェニーは大きく息を吐いて獣の背から降りた。

 地に足を下ろすやいなや、膝がくだけてよろめいてしまった。


 トマス村長がそれを抱き止めて言う。

「貴女様はもう限界です。どうかお休みを。」


 ユージェニーはそれを押しとどめて言う。

「そうも言ってはいられない。聞いているという事だけれど、私の見てきたものを話したい。その上で皆にどうするかを決めてもらわねば。」


 男たちが近づいてきて、獣の背からフィリップの体を下ろしている。

 フィリップは死んだように青ざめている。

 彼女もまた青ざめた顔で、村長に支えられながらも、その場にいる村人たち全員に事の顛末を話して聞かせた。



「フィリップ殿が四神の手先とは。」

 村長たちはその事実に衝撃を受け、横たわる男を見やった。

 白目を剥き、外れた顎から唾液が垂れ、唇はひび割れて死人のような顔をしている男。


 かつて自分達を率い、生存と繁栄の夢に導いた男だった。

「私たちは初めから彼らの手のひらの上だったの。私を森と民から引き剥がして1人にし、無力にして取り込むこと。私の精霊としての力と、森の支配、それが目的。」

 

 数日前まで男女の喧騒が絶えなかった酒場を、今は張り詰めた静寂が支配している。

 皆、目の前に置かれた盃を見つめながら、それには口もつけずにユージェニーと村長の会話に耳を傾けている。


「これから、どうすれば・・。」

 誰かが口にした。それこそが、この場にいる全員が聞きたくても聞けなかったことだった。その答えを聞くのが恐ろしい。


「リアとルネは悪魔の力を掌握した。彼らは領主を殺すでしょう。」

 ユージェニーは確信している。神をも退けた力だ。辺境の伯爵ごときに武力でどうにかできるとは思えない。あの場は一方的な殺戮になっているはずだ。


「だけど、それは解決にはならない。伯爵が死ねば新たな人物が領主になるだけ。そしてその人物がまず成そうとするのは・・・。」

「前領主の死の原因となった異教徒を滅ぼすこと。」

 トマス村長がその後を受けて言った。


「我々には多少の時間が与えられているわけですな。あのお二人のおかげで。」

「そう、彼らには感謝しなければ。私とユーリーを逃したのも、自分達が全ての罪を引き受けようとしたからだわ。でもそんなに都合よくいくとは思えない。たとえ領主と部隊を全滅させたとしても、事情を知る者は他にいるはずだもの。」



 トマスは驚きの目で少女を見た。

 彼の知るユージェニーは、彼らの父祖からの守り神にして畏敬と崇拝を捧げる相手である。

 だがそれと同時に、いつもフィリップの陰に隠れ判断と決定を彼に委ねてきた、未熟な傀儡そのものであった。

 それが今、危機にあって明晰に現状を分析する、賢明なリーダーの片鱗を見せている。ここ数日の異変が彼女を変えたのだろうか・・・。


「ユージェニー様。」トマスは少女に向き合った。

「我ら『泉の民』はこれからも末長く貴女様に従います。村はこの男の悪辣な策で手に入れた仮初の住まいにすぎず。かつてそうあったときのように、村を捨て森に戻れば良いではありませんか。」


 周囲から口々に同意の声があがったが、少女はひどく傷ついた顔をして目を伏せた。


「それが限界にきていたからフィリップに頼ったの。戻ったら前と同じように追い立てられて狩り出されるだけ。」


「ですが・・・。」


「いいの、トマス。私はあなたたちを守りきれなかった。もういいの。改宗して四神の油を受けなさい。」


「なんということをおっしゃるのですか!」


「でもそれしかないの。」


 ユージェニーの表情は、もはや誇り高い精霊のそれではなく、ただの傷ついた1人の少女のものになっていた。

「ただ改宗しただけではだめ。この村の出身だと分かったら、何かと理由をつけて魔女裁判にかけられてしまう。皆身分を隠して散りなさい。家族ごとに分かれて、それぞれ別々の地に落ち着くの。」


 それがユージェニーの結論だった。民を生かすには、民を滅ぼすしかない。

 信仰がなくなれば弾圧もなくなる。だが、精霊コヴェンティナの存在も消えてなくなるだろう。

 人々の記憶から消えれば、信仰が復活する望みはないのだから。


 トマスは、止めを刺されたかのように二の句が継げない。自らの主人の決意を受け止めるしかないのだと悟った。村人たちも皆、それぞれ少女の決意を受け止めていた。ただ弔いにも似た沈黙がその場を支配し、長い長い時間が流れたように思えた。


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