18.一難去って
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ユージェニーは死体とほとんど変わらないフィリップを見つめている。その表情はいつもと変わらぬ平板さだったが、瞳の奥には幾つかの感情を宿していそうだった。
「ところで・・・。」
「こ、殺せ! 全員殺せ!」
ルネの言葉はヒステリックな命令でかき消された。
見ると、周囲を武装した集団が包囲している。あの時、丘を登ってきていた領主の部隊だろう。
倒れて気を失っていたらしい兵士たちが、徐々に意識を取り戻し、あちこちでむくりむくりと起き上がっては周囲を見回したり頭を抱えたりしている。
冥界神アエイヌースの顕現という、圧倒的すぎる精神的重圧に、なす術もなく意識を放棄させられていたのだろう。神が現れた事による空間的な超常現象に精神がもたなかったのかもしれない。
そうして、その中でいち早く義務に目覚めたらしい指揮官が震える手でこちらを指さしている。
「何をしている!矢を射掛けよ。槍隊前へ!」
もちろん指す先には3人の人間ばかりでなく、『アイヒェンヴァルツの妖獣』、本名ユーリがいて、圧倒的な存在感を見せつけているわけである。
超常の神こそ去ったものの、殺せと言われて躊躇いもなくかかっていける相手ではなかった。皆困惑の表情でとりあえず武器だけは構えている。
「どうする、これ。突破しちゃう?」
兵士達全員が体勢を整える前にさっさと退散してしまうほうがよさそうだった。
だがそういうリアも疲労困憊で、ここからもうひと立ち回りというのはしんどいだろうと思った。超常現象が終われば、今度は現世の厄介ごとが押し寄せてくる、ということだろうか。
「待て、待て!」
部隊の後方から別の声が聞こえた。見ていると、人垣が左右に別れ、その間から、立派な身なりの一団が現れる。中心にいる一際豪華な甲冑を身につけた中年の男は、リアやルネにとって旧知の人物だった。
「おお、そなたらか。でかしたぞ。本当によくやってくれた。」
輝く甲冑の人物、領主ヘルベルト伯爵その人は、満足そうな笑顔を浮かべて2人を労った。
出鼻をくじかれた格好の2人に、伯爵はさらに続ける。
「さあ、そこの化け物と男をこちらに引き渡せ。わが領地の開拓に多大な損害を与えた張本人だ。そやつの首を斬って治安を取り戻そうぞ。」
どうやら話が妙な方向で落着しているようだ。
昨日の段階では、そういう濡れ衣はリアとルネに着せられていたはずだった。
「今さら驚かないけど、かなりの狸よね、あのおっさん。」
リアが呆れ気味に呟いた。敗れた者に全てを押し付けるのは、何かと都合が良い解決方法だ。特に、さまざまな方面に説明をしなくてはならない立場の人間にとっては。
「リア、見て。」
ルネが横目で示した先には、旧知の人物がいた。元案内人のヨーナスだ。
ネズミ顔をフンフン言わせて領主のそばに侍っている。
「二重スパイってやつか。フィリップの動きもあっちに筒抜けだったのかしらね。」
リアの予想通りなら、この場のこの体制は機会泥棒のような状況ではなく、もっと周到に組まれたものかもしれない。
「引き渡すのはいいけど、この子、鎖も縄もつけてないわよ。」
リアが顎をしゃくって脇にいる獣を示すと、ユーリーがタイミングよく低い唸り声を上げた。兵士たちは威嚇に怯んで数歩下がったが、さすがに領主は貴族の対面を守り、平然と言い放った。
「そなたが鎖なり縄なりを着けてくれるのであろう?美しき女戦士よ。」
足元から舐めるような視線を送ってくる。『アイヒェンヴァルツの妖獣』を前にいい度胸だとは思ったが、リアには領主が自信満々である根拠がよく分かっていた。
隣を見ると、ルネもユージェニーも迷っているような表情をしているから、2人も分かっているのだろう。
『妖獣』は、人外の存在だからこそ畏怖の対象になる。だが一連の事件で、それが開拓村に紐づいていることが明らかになってしまった。
行政権と軍事力を掌握する領主にとって、村ひとつ潰すことなど造作もない。もしここで『妖獣』が暴れて兵を殺したとしても、いや、そうしてしまえば、村に死刑宣告を下したのも同然だ。
冷静に考えればフィリップとユーリーを切り捨てるのが賢明な判断と言えた。そもそもフィリップは裏切り者だし、ユージェニーは民を守るために幾度も眷属を犠牲にしてきた。逡巡することではない。だが・・・。
「リア、やろう。」
ルネが言った。どっちにしろ情報が少なすぎる。この場をどうにかするには、こじ開けてしまうしかないのだ。
リアは意識の奥に目を向けた。頼もしい存在がそこにいる。
「そうね。」
そして領主とその部隊に向かって言った。
「伯爵様、言うのもなんだけど大切なことをお忘れよ。」
「ほう、それは何かね。」
「昨日、ここで火刑にされたのはこの男じゃなくて、私たち。」
「・・・。そうだったかね?知らなかったこととはいえ、すまなかった。それより今は・・・。」
「括り付けられて火までかけられた。熱かったわ。」
「・・・・。」
リアは自分の中から湧き出してくる黒い存在を感じている。同時に自分の意志が明け渡されることがないことも予感している。
「何で生きてるのかお訊きにならないの?」
そう言って煌びやかな甲冑の男を睨めつけた。領主はそれを鋭い目で見返してくる。さすがは辺境の地で権力を握る者というべきか、恐怖の色は微塵も出さない。
「ユージェニーとユーリーはひとまず村へ。」
ルネの有無を言わさない言葉に、ユージェニーははっとした。しかしその時にはすでに、2人は別の存在になっていた。
「やれ。」
領主の短い命令を合図に、何度目かの惨劇が始まった。